壊れた椅子   仗露



 数か月前に買い替えたばかりのはずの家具が、今は無残にも砕かれている。
「露伴さぁ」
 土足で良かったと思いながら、食器の破片を踏んで室内に入る。名前を呼ばれてようやくおれの存在に気付いたようで、露伴は弾かれたように顔を上げた。
「……仗助」
「どーしてそういうことするかなぁ」
 露伴の両手もズタズタで、痛々しいほど血が滴っている。その手にはまだ割れていないティーカップが握られていた。
「君にわかるとは思わないさ」
 床に座り込んだ露伴を中心に、椅子やテーブル、ランプなんかも全て滅茶苦茶だ。どこにそんな腕力があるのだろう。壁紙が破れて凹みが出来ているんだから、叩きつけた結果なのだろうか。

 単純な破壊衝動、と言って良いのだろうか。前触れはない。けれど時々、妙に朝から気がそぞろになる日がある。虫の知らせとか言うやつかもしれない。そういう日に露伴の家に寄ってみると、大抵部屋の中がこうして荒れている。それは玄関だったり風呂場だったり、今日のようにキッチンだったりする。今のところ本や資料のある部屋がそうなったことはないので、ある程度は理性を持ってこの行為を行っているのだろう。麻痺しているのかもしれないが、その点では安心していた。
 壊れなきゃ、とポツリと呟いて、露伴が床にティーカップを置いた。目で追うと、脚の一本が折れた椅子を手に取って壁に放り投げる。見事にバラバラになった木で組まれていた椅子を、露伴は近づいて足で更に踏み壊す。
「壊れなきゃ、椅子は椅子のまま、ってな」
 露伴が言いながらふと笑った。おれはただ、何言ってるんだろうなぁ、なんて思いながらそれをぼんやり眺める。壊れたって椅子は椅子じゃないのか、なんて言って怒らせてもしょうがない。壊れた椅子は、ただの木の破片にしか見えないし。

「あれ。コレ、おれがあげたやつだ」
 そう、余計なことなんて言わない方がきっと良い。けれどつい言いたくなってしまうこともある。
 露伴が先ほど手に持ち、床に大事そうに置いたティーカップは、紅茶を嗜む露伴におれが悩んで悩んで選んだプレゼントだった。それほど高価なものではない。露伴はいかにも高校生らしいチープさだな、と貶し、しかも今まで使ってくれているのを見たことはなかった。戸棚の奥にでも押し込められてホコリをかぶっているに違いないと思っていた。だから血まみれのカップの模様をまじまじと見つめるまで、全然気付かなかったんだけれども。 
「ちゃんと持っててくれたんっスね」
 何も考えずに馬鹿みたいに嬉しくて笑うおれを露伴は睨む。憔悴にギラつきが混じった視線は少し怖いけれど、もうとっくの昔に慣れてしまった。
 露伴はしゃがんでティーカップを両手で持つと、おれの目を見ながら床に叩きつけた。なんとなく予想していたので、パリンと音が鳴る瞬間も別に動揺はしなかった。

 傷付けようとしてくる本人が傷付いた顔をしてるんだから、本当にどうしようもない大人だと思う。
「可愛いなぁ、先生」
 逃げないようにがっちりと抱き締めると胸元で露伴が苦しそうに呻く。靴の裏でパリパリ、ティーカップが砕ける音がした。
「……最悪だな」
 ようやく首を横に背けて息ができた露伴が、少し落ち着いた声で呟いた。
「離せよ」
 そう言いながらも、もがくのは無駄だとわかっているらしく、大人しく腕の中に収まっている。
「だっておれ、あんたが何考えてるか良くわかんねぇし」
 見ていないのはわかっていたけれど、それでも笑みを作って頭をぐしゃぐしゃと掻き撫ぜる。露伴は嫌そうに頭を反らしたけれど、勿論それも無駄。
「でもおれと一緒に居る時、スゲェ感情むき出しなのはわかってるっスよ」
 おれが居たら後から全部直せるし、と明るく言うと、露伴は無言で足を蹴ってきた。まだ少し気が立っているようだから、直すのはもうちょいしてからの方が良い。

「殴っても良いよ。爪立てても、噛んでも良い」
 腕から解放すると露伴がようやくおれの顔を見上げてきた。瞳のギラつきが随分落ち着いていた。
「おれねぇ、風呂場で傷眺めるのも楽しいんで」
 男の勲章だよなぁ、と言いながら勝手に手の傷だけは治しておく。されるがままに治っていく手を見つめていた露伴は、ようやく肩の力を抜いて一度脱力した。
「……知らなかったな。マゾだったのか」
 軽口が出ると後はもう平気だ。
「こんなん露伴限定っスよ」
 首を傾けて精一杯可愛い口調で言うと露伴は普段通りの訝しげな表情を作ってくれた。
「そういえば、君は馬鹿だったな」
 好きに壊しても、蹴っても殴っても良い。噛んで爪を立てて、馬鹿にしてくれても。

「ここまで惚れさせたのはあんたっしょ」
 あんたが壊し切るのがおれ一人なら、もうそれで満足。



 2013/04/30 


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