本心   仗露



「どうしても前から読みたかったものがあるんだ」
 腕の中でもぞもぞと動いていた露伴が唐突にぽつりと呟いたので、黙ったままその顔を覗き込む。ヘアバンドを付けていない状態でも、瞳が好奇心で疼いているのが見て取れた。
「だから手伝えよ、仗助」
 そう言ってにやっと笑った。なんとも可愛い顔。
「いきなりなんスか?」
 けれど大抵この可愛い顔にほだされて、ハイハイと素直に言うことを聞いてしまうとろくなことがない。
 読みたいなら読めば良いじゃん、と言いかけて、そこら辺をほっつき歩いている住人達を手当たり次第本にし始めては敵わないと思い直した。
「動物とかなら良いけど、人間は止めといてくださいよォ」
 露伴が笑みを消してムッとした。その顔も可愛い。
 既に露伴は前科持ちだ。好奇心から承太郎に無断でスタンドを仕掛けようとして、返り討ちにされたことがあった。

「別に迷惑掛ける相手じゃない。読みたいのはぼく自身だ」
 指先でトントン、と露伴が指したのは己の胸元だった。下着しか身に着けていないので一瞬ドキッとしたが、冷静に考えると裸の男二人で向き合っているんだから、多分他人から見ると間抜けだ。
「手やら脚やら、目に映る範囲の情報は読めるんだが」
 露伴の指がするするとその肌の上をなぞる。胸から肩、肩から左腕。妙にいやらしい動作に見えるのは、やはり贔屓目なんだろうか。
「けど背中の方なんかは物理的に読めないんだ」
 腕を後ろに曲げて、おそらく肩甲骨の辺りを指先で叩いたのだろう。微かな音が骨ばった露伴の背中を想像させる。

 億泰くらいバラバラに本になれば読めるのかもしれないが、どうもヘブンズ・ドアーには掛かりの相性があるらしい。億泰のように一度で全身がページに捲れ崩れる者、康一のように身体の中央ほど本になり易い者、あるいはおれのように、一ページ小さく捲れるのがやっとの者と、様々だった。
 露伴はどうもおれと同じく掛かりにくいタイプで、それは自身が使い手であるのも影響しているだろう。自分を本にするのを無意識の内に躊躇し、手加減している可能性があると以前言っていた。
「あ、背中とか、鏡に映して読めば?」
 そんなこと露伴なら思いつかないはずもないが、一応言ってみる。
「もうやった。鏡越しだと妙に読みづらいんだ……合わせ鏡にしないと逆さ文字になるし」
 やっぱりやっていた。馬鹿にしたような顔が可愛くない。
「それに自分自身にスタンドを掛けるのは体力を使うからな」
 自分を本にしておくだけなら兎も角、その状況で読むのは酷く消耗するらしい。おれは元々自分自身にスタンドが効かないから理解できない感覚だが、確かに疲れそうだなと想像の中で同情する。

「でも、おれに言われてもしょうがねぇっスよ?」
 何となしに、自分のスタンドをスッと発動させる。口を一文字に結んで黙っている、クレイジー・ダイヤモンドとの意識は共通しているようなしていないような、不思議な感覚がある。
「おれがヘブンズ・ドアーを使えるわけじゃないんっスから」
 露伴の方も反応してスタンドを出した。指を指すと不思議そうな顔で、やはり黙っている。例えば意志を持って喋る康一のエコーズなんかとは違う。露伴と俺は同じようなタイプのスタンドなのかもしれない。
「そりゃ当たり前だろスカタン」
 また、露伴が馬鹿にしたような顔をする。可愛くない。可愛くないのが、可愛い。もうおれも大概だ。
「ぼくが自分を本にするから、その間におまえがぼくを読めよ」
 また指で胸元を叩く。いやらしいし可愛い。クレイジー・ダイヤモンドは精神の反映だから、もしその顔がにやけていたらどうしよう、とチラリと見たが、表情に変化は見られない。むっつりの権現か何かみたいだ。
「おれが読んで良いの?」
 指先を掴むと絡み返されるのが嬉しい。
「その後ぼくがおまえを読めば済む」
 ギュッと握られて思わずビビる。
「ついでにいらんことまで読んでいた場合は修正できる」
「ああやっぱそっスか」
 なるほど合理的だなぁ。
「関係ないところは弄らんでおいてやる。良いからさっさと読めよ」
 さっと背中を向けた露伴が指先でトントンと肩甲骨を叩いて見せる。ヘブンズ・ドアーがその背に触れて、薄くページが捲れ上がった。
「人使い荒いっスよねぇ、センセー」
 言いながらも、心の中を読んで構わないと言うところまで気を許してくれているのが嬉しかった。後からどうこうすることについては別として。

 露伴のページは辞書の紙みたいに薄くて脆く思えた。指で捲る度に、露伴の背中がビクリと反応するのが見ていて目に毒だ。
「昔の……過去のことは、もしかすると完全に記述がないかもしれない」
 不意に露伴が呟く。その声が妙に改まって聞こえて、また少しビビる。
「記憶も体験も、実際は曖昧なもんだ。だから……あいつのことを覚えていないのも、きっとしょうがないんだろうな」
 そうか、とようやく合点がいった。露伴は吉良との一連の戦いを経た今も、結局のところ杉本鈴美との過去を思い出してはいない。ただそういった事実があったことは受け入れているし、勿論鈴美を悼む気持ちも嘘ではない。それでも、大切な人物を喪った幼い日の記憶が無い自分を、未だ悔やんでいるのだ。

「……しみったれた顔してるんじゃあないよ、スカタン」
 露伴が少し首を引いて、こちらを睨んだ。
「読んで貰うのは追悼なんだよ。そういう儀式の代わりだ」
 何枚も捲ったページがチリチリと嫌な音を立てた。露伴の気が少し立っているのだろう、閉じないように、さっと抑え込む。
「記述が無いなら無いで、それで納得する。有るなら有るで、納得する。それだけだ」
 きっとこれは自分に言い聞かせるための言葉なんだろう。
「……先に進むための、そういう儀式だ」

 手が止まってるぞ、と露伴が声の調子を変えて言ってくれたので、ようやく読む作業に意識を戻す。
「露伴さぁ」
「ん?」
「時々すげぇかっこいいっスよね」
 馬鹿だな、という呆れた声がまた格好良く聞こえるんだから、惚れた贔屓目も本当に大概だ。

 随分ページが進んで、こんなに露伴のことを知って良いものか不安になってくる。どこまで読めば良いのか訊ねたかったが、露伴は自身を本の状態に保つのがやはり苦痛を伴うらしく、段々に口数が減っていた。
 また一ページ捲って見る。
 一瞬、左上の、一番上の文字がブレた気がした。見つめると、このページはどうにもかすれているし蛇行するような文字の並びで読みづらい。
『少し疲れた。』
 その一文が、露伴に訊ねてみようかと思った瞬間、霧散するように消えた。
 驚いて見つめていると新しく、ペンが滑る様に文字が刻まれた。
『仗助に読ませるのはやめた方が良かっただろうか。』
 恐る恐るその行を指でなぞる。それでは文字は消えない。けれどまた、自然にスッと消えた。
『何を知られるかわかったもんじゃない。』
 思わず露伴の顔を後ろから見つめる。考え事でもしているんだろうか、こちらに意識を向けている様には見えなかった。
『内容によっては幻滅されるかもな。』
 今現在の露伴の思考も、いずれは記憶の一旦となるはずだ。一方ですぐに忘れ去られる記憶も勿論ある。これはつまり、リアルタイムでの露伴の記憶のページなのだろう。
『ぼく自身が気付いてないことすら読まれちまうかも。』
 ふと気づく。背中から見てはいるが、ページは進んで身体の半分を捲る程まで来ている。きっとそろそろ、露伴の体内では心臓の位置だ。
『……それでも良い。』
 本心、という言葉が脳裏を過ぎった。
『仗助になら読まれても良い。』

「……露伴」
「何だ」
 一瞬で霧散する、リアルタイムの記述が勿体なかった。
「ホントにおれが読んだ記憶、後から消しちゃうの?」
 きっと恥ずかしがり屋な露伴は一切合財隠そうとするんだろうな。
「……一体何を読んだんだ、クソッタレ」
「読み上げたいくらいっスよ」

 訝しげな声と睨んでくる視線、慌て出す本の記述。
 全部が全部、本心から愛しかった。

 

 2013/04/25 


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