隣の罠   承露



 ジョセフ・ジョースターから貰ったメモ書きには、確かに325号室、と書かれていた。

「先生か。どうした」
「……承、太郎さん?」
「……入るか?」
 顔を出したのが彼の孫で、一瞬戸惑ってしまった。しかし相手は下手すると介護が必要なレベルの老人だ。身内が部屋の中に居てもなんら可笑しくない、と、その招きに応じた。

「何の用だ?」
 慣れた手つきで紅茶を淹れる承太郎さんの他には、部屋に人影が見当たらなかった。ついベッドルームの方まで視線を向けて、すぐに失礼になるな、と居住まいを正した。
「その、ジョースターさんに、以前話した雑誌が手に入ったので……今週号、お渡ししようと思って」
「ああ、成る程」
 納得した、という風にゆるく頷いて、承太郎さんが対面のソファーに座った。その姿を見て、部屋の中でもコートと帽子とは、と、こちらは妙に感慨深い気持ちになってくる。
「あいにく、ジジイは仗助がさっき連れ出して行ったぜ」
 仗助の名前が出た途端、反射的に顔を顰めてしまった。それに少し驚いたように、彼の目が見開かれた気がした。恥ずかしくなって、一度コホンと咳ばらいをする。

「そうでしたか。なら、お預けしても良いですか」
 茶封筒に入れた雑誌を、鞄から取り出す。ああ、と短い返事と共に、彼はそれを受け取ってくれた。
「帰ってきたら電話を掛けさせる」
「良いですよ、それじゃあ……」
 立ち上がろう、とするのを片手で制された。座りなおすと、しばらく蒸されていたらしい紅茶一式を承太郎さんが指差した。

「紅茶一杯分くらい、世間話に付き合ってくれないか」
 ふっと、承太郎さんが笑った。それがなんだか意外に思えて。

「何の雑誌だ?」
 返事を待たず承太郎さんが、今度はぼくの渡した茶封筒を指差す。手で促すと一瞬躊躇したが、すぐ中身を取り出した。
「コミック誌です。承太郎さん、漫画とか読みますか?」
 その雑誌は英語で綴られているが、アメリカで暮らす彼なら難なく読めるだろう。
「学生の頃は良く読んだな」
 思った通り彼はパラパラとページを捲り、要所で少し噴き出す様に笑った。ぼくも思わず、少し笑う。
「ははっ、それだけで仗助よりは好印象だなぁ」
 漫画に理解のある人物、というだけで、本当にぼくにとっては良い印象しか生まなかった。


 それから雑誌を買うたび、何度か325号室を訪ねた。どういうわけか毎度出迎えてくれるのは承太郎さんで、ジョースターさんが居ないこともある。それでも彼とのほんの数十分の雑談が、やけに心地良かった。

 けれど。今日は仗助まで居るようだった。ドアが開いた瞬間、あの知っている声が聞こえてきたので、ジョースターさんが中に居ないのをチラリと確認して、雑誌だけを承太郎さんに預けて逃げ帰ることにした。

「なあ、露伴先生」
 だというのに、ぼくの気を知らないらしい仗助がぼくを追って来た。
「なんだ」
「いや、おれも丁度帰る所だったんで」
 なら急いで帰らなくても良かったな、と、思わず立ち止まる。急に止まったせいで、背中に仗助がぶつかりかけて、うおっと小さい悲鳴を漏らした。
「それを早く言えよ」
 睨むぼくを嫌そうに仗助が見返してくる。嫌ならまず話しかけなければ良いだろうに、本当に面倒なガキだ。
「あんた、いつの間に承太郎さんと仲良くなってんスか」
「別に仲良くない」
「はぁ?」
 仗助からすれば、確かに犬猿の人間が身内と親しげにしているのは気に食わないのだろう。だからってこうして牽制される理由もないのだが。
「ぼくはジョースターさんに会いに行ってるだけだ」
 言ってから、甥と実父に大して差もないか、と一瞬後悔した。けれど仗助はまだ憮然とした表情で、唇を尖らせた。
「……ならジジイの部屋に行けば良いじゃねぇっスか」
「は?」
 驚いたぼくの反応が予想外だったらしく、仗助も目を見開いた。 

 その顔が初めて、ジョースターさんと似ていると思った。



「どうして言ってくれなかったんですか」
「何をだ?」
 部屋を再度訪ねると、承太郎さんはぼくが渡した雑誌を捲っていた。
「部屋を間違ってるってことですよ!」
 後からちゃんとジョースターさんに渡してくれるつもりなのだろう。溜息をつきながら、彼は丁寧に雑誌を閉じた。
「……仗助だな?」

 座れ、と言いたげに彼が手でソファーを指した。それがいつもの向かい合わせのソファーではなく承太郎さんの隣で、少し戸惑った。
「元はこの325号室がジジイの部屋として取った部屋に間違いないんだ」
 もう一度彼が、自分の隣を指した。
「だが、少しでもエレベーターが近い方が良いとかでな。だから、おれが前から泊まっていた324号室と交換した」
 ジジイがあんたに伝え忘れていたのがそもそも悪い、と。諦めて隣に座ったぼくに、彼がさも当然のように言い切って見せた。おかげでつい、そのまま納得しかけた。

「……それでも、言ってくれれば良かったじゃあないですかっ」
 部屋間違えてるぜ、と言ってくれさえすれば、彼の手を煩わせることは一切なかったはずだ。おそらくジョースターさんは今も隣の324号室に居るのだろう。たった一部屋、隣に、だ。
「……おれはあんたと話すのが楽しかった」
「え?」
 視線を上げると、妙に彼の顔が近くて一瞬硬直してしまう。

「先生は、違ったか?」
 ずいっとまた顔が近くなる。これはもしかして、という推測が浮かんで、浮かんだ自分をすぐに恥じた。
「っ、誤魔化すに、したってさぁ……」
 そんな口説くみたいに言わなくったって、と、続けようとした。けれど逃げようとするぼくの肩を、彼がしっかりと掴んだ。
「おれは本気で言っているんだが」

 そう言ってはじめて彼が、帽子を取った。その風貌はなんだか意外性なんてなくって、むしろ想像通りで。

「何で今、帽子、外したんですか」
 彼が、また微笑んだ。この笑顔は、まずい。
「なんでだと思う?」
 実にまずい。どんどん彼の顔が近づくのを、拒否できない。
「……教えてくださいよ」

 ……どうも、まんまと罠に嵌められたようだ。



 2013/04/13 


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