五感をもって   仗露



「くさいな」
 玄関を開けるなり言い放つ露伴の、その眉間には深い皺が刻まれている。
「そんな顔しなくても良いじゃねぇっスか」
「ぼくはその臭いが嫌いなんだ」
 泥や土の臭いに混じって、確かに自分からは血の臭いがする気が、した。

 それでも入って来るな、なんて言わないんだから、随分この男も丸くなってきたのだろう。
 お邪魔しますよ、と露伴の背に続きながら、口の端を自分で舐める。鉄の味にも勿論思えるけれど、それは酷く生臭い。

「洗面所、借りるっスね」
 露伴の無言は肯定の返事、だと勝手な解釈をいつもしておく。イエスの一声が欲しいと言うと、大抵ノーと返してくるから一々面倒臭い。


 鏡に映る顔の痣や泥のついた制服よりも、乱れきった髪型が一番に無残に見えた。
 いっそシャワーでも浴びて整え直したい、けれどそうするとお湯が怪我に当たって痛かろうな。

「仗助」
 露伴が廊下から覗き込んできた。鏡越しに視線が合って、何かを咎めるような目つきに一瞬ドキリとした。
「何?」
 振り向くとビリッと首に痛みが走った。思わず指先でなぞると、そこにも小さい傷が出来ているのに気付く。
「タオル」
 手元にまっさらなタオルが投げ込まれる。返事をする間もなく、露伴はスタスタとリビングに向かってしまった。
「……汚れちまうけど?」
 聞こえるはずのない弁解を、ひとりごちた。
 しばらく眺めて、やがて蛇口をひねってタオルを半分だけ水に浸す。顔を拭いながら、母親に対する汚れた制服の言い訳を考えなければ、と少し憂鬱になった。
  

 リビングにはお茶の用意なんてものがない代わりに、家主が冷たい視線を浴びせてくる。
「不良だな」
「はぁ?」
 片肘を付きながらこちらを睨む露伴は、最初の通りの眉間の皺を崩さない。
「そういう恰好で気が短くて、喧嘩してくるような馬鹿を不良って言うんだ。まさか知らないのか?」
 不良は頭が悪いらしいから知らないのかもな、と付け加えてくる露伴は明らかにこちらを挑発しているのだろう。
「すみませんねェ」
 そうなのだろうが、こうして世話になっている手前、滅多なことで怒る気にもなれなかった。

 挑発を躱されたのが不服なのか、露伴の眉間の皺が増えた。怒らせたいわけではないのに、どうも上手くいかない。
 目の前に立つと、その非難するような視線がより鋭く突き刺さる気がした。
「お前の能力は不便過ぎるんだ」
 いかにも苛立たしい、という口調が、酷く怖ろしかった。
「……そうっスね」

 何に怒っているのかは、解っているつもりだった。労りや心配ではなく、怒りを露わにすること。それがこの男の、数少ない優しさだった。

「……いつもの甘ったるい香水の方が、いくらかマシだな」
 不意に手を取られ、少し背を曲げる体勢を余儀なくされる。露伴の視線が少し和らいだことにホッとした自分には、その言葉の意味がすぐには測り兼ねた。
「え?」
「血の臭いだ」
 ザリッと、手の甲の小さな傷を舐めあげられた。嗚呼怖い顔、と。肉食獣のような露伴の目を見て、まるで他人事のように頭の片隅で感想が浮かんだ。

「怒られてそんな顔するなら、喧嘩なんかしなけりゃ良いんだ」
 パッと手を放した露伴の顔は、もう数秒前の怒った顔ではなく呆れた様な普段の表情に戻っている。
「……すんません」
 謝る顔は犬みたいだと、ようやく露伴は笑った。

 臭いに敏感な方がよっぽど犬みたいだ、とは、今は言わずに置いた。



 2013/04/11 


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