責任   承露



 万歳でもさせる様に、承太郎さんがぼくの片腕を持ち上げた。
「あんまり見ないでくださいよ」
「先生は……自分で処理してるのか」
 ぼくの言葉を無視して、彼は無遠慮に脇の辺りを眺めてくる。ノースリーブの服なんて着て来るんじゃなかったと、ほんの少し後悔した。

 承太郎さんの泊まっている部屋は値段相応に広い。それなのにほとんど密着してベッドに腰掛けているからか、余計だだっ広く感じる。ベッドが軋む様な、小さな音さえも反響して聞こえた。
「下は?」
 薄い方だよな、と。ふと彼が視線をぼくの顔に向けた。見られるがままに室内をぼんやりと眺めていたから、承太郎さんの問いの意味がすぐには解らなかった。
 言葉を迷っている内に彼の手のひらが緩く太ももを撫でてきて、アンダーヘアのことかと合点がいった。意味が解ったところで意図が解らなければどうしようもないのだけれど。
「剃らせてくれねぇか」
 きっとぼくの顔からは困惑の色がはっきり見て取れたのだろう。笑いもせず冗談という風も見せず、かといって真面目過ぎる堅い表情でもなく。まるで散歩にでも行かないか、という程度の気安い調子で彼はそう言った。


「承太郎さんは脱がないんですか」
 抵抗しない自分に呆れながら、脱げと言われるままに服を全て脱いだ。先にシャワールームに入っていた承太郎さんは、袖を捲り上げた程度でほとんど肌を露出していない。
「あんたは濡れたら他に着る服がないが、おれはある」
 それはそうですけどね、と頭の中でだけ返事をする。口に出すのすら今更に思えた。バスタブの縁を指差されたので、何も言わずに大人しく座る。膝をぐい、と掴まれて少し背筋が伸びた。

 シェービングクリームを塗る彼の手つきは決していやらしいものではなく、処理の為の淡々とした作業に感じた。だからこそ、普段最中に見せている時の感覚と違い新鮮だった。
「案外、変態ですよね……承太郎さん」
 しゃがみ込む彼のつむじが珍しく見えて、それもまた新鮮だった。黒髪を緩く撫でると、少し彼も口元に笑みを作った。
「そうかもな」

 新品の剃刀が触れた瞬間、ひやりとした感触に身体が小さく跳ねた。
 けれど承太郎さんが丁寧に、剃る度に洗面器に張ったぬるま湯で刃の泡を落としていく。すぐに剃刀の冷たさはなくなった。

「こういうのって……もっとやり様があるんじゃないんですかね」 
 彼は視線だけ上げたが、またすぐに処理に戻った。
「剃毛プレイっていうより、本当に剃ってるだけじゃないですか、これ」
 ショリ、ショリ、という音が狭いシャワールームの中で響くのが妙に遣る瀬無かった。何も言わないまま、承太郎さんはただ笑っていた。

「……ぼくも変態かもしれない」
 天井を仰ぐとオレンジのランプが、柔らかい色の癖に酷く眩しかった。
「さっきもだけど、あんたに見られてると恥ずかしくて……でも拒否できないっていうか」
 言いながら自分の思考が酷く散漫なことに気付く。承太郎さんは無言で、手際良く処理を続けていた。
 頭が上手く、働かなかった。 
 

「終わったぜ」
 急にそう言われて、一気に夢から覚めた様な感覚がした。彼はいつの間にか立ち上がってぼくを見下ろしていた。

「触ってみな」
 手を導かれて素直に触れてみると、最初は手に慣れたヘアの感触がないからか良く感触が分らなかった。遅れて、むき出しにされたばかりの肌を撫で上げてしまったがための、悪寒にも似た快感がゾワリと全身に走った。
 跳ねた肩に気付かないはずないのに、すました顔で承太郎さんがどうだ、と訊いてくるのが憎らしかった。
「……変な感じ」
 彼は満足そうにただ、笑っていた。





 シャワーを浴びてふと鏡に映る自分の姿を見詰めた。腹の下に手を添えると不格好にも数ミリの毛が生えはじめていた。
 数日前に剃られたことを思い返そうとすると、その時は平気だったはずなのに、強い羞恥を覚えた。
 ああ、すごく恥ずかしい。

 誤魔化す様に乱暴な足取りで風呂場から出ながら、外出の準備をしようと決心する。

 文句を言おう、と。
 そう一瞬考えて、あのゾクリとした刺激を思い出してしまった。

 そうだ。また剃ってくださいって、一度ねだってみよう。

 しばらく服を着る手を止めていたが、考え直したところでまたいそいそと準備を進めた。
 もしかするとクセになってしまったかもしれない。だからって責任取る気はきっとないんだろうな、あの男。



 2013/03/30 


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