電話越し   仗露



 原稿の仕上げも済んで、あとはインクが乾き切るのを待つだけだった。
 丁度、キリが良い。そんな時に机上の電話が鳴った。
 
 数回コール音を聞き流して受話器を取る。もしもし、と言うと、耳に馴染んだ声が名前を呼ぶ。仗助からだった。

「康一が借りてた本返したいって。だから明日、おれも一緒に寄るんで」
 電話越しでも、仗助の甘ったれた顔が思い浮かぶ。
 仗助の声は青少年のそれに似つかわしく、変声を経てもなお快活に聞こえた。柔らかい口調が仗助特有の唇の厚ぼったさを連想させる。
「わかった。それだけか?」
 片手で受話器を支えながら、椅子を少し回転させる。仕事部屋の広い空間で、小さくキィ、と音が響いた。
「ん、それだけ。……露伴、もしかして寝てた?」
 探る様な仗助の物言いが、耳をくすぐる様だった。機嫌の悪い時なら怒鳴ってただろうと思いながら、いいや、と静かに答える。
「仕事をしてたに決まってるだろう」
 言いながら、一枚だけ原稿を手に取った。しかしすぐに、机の上に戻す。
「邪魔したかな」
 ばつの悪そうな仗助の声。声音だけでこんなにも表情豊かに聞こえるのだから、もはや一種の才能なのだろう。
「いや。丁度キリの良い時だった」

 ふと身を乗り出してティーカップを覗くと冷め切った紅茶が一口分残っていた。原稿をはじめる前に飲み切ってしまえば良かったと、少し後悔した。
「寝てたなんて、どうしてそう思ったんだ」
 カップの持ち手を摘まんで揺らす。疲労感が少し出てきた、気がした。

「……なんか露伴の声、すげぇ柔らかかったから」

 でも、なら良かった、と付け加える仗助の声はやはり、耳をくすぐる様で、酷く優しい。
 思わずもう一度、原稿に手を添えた。
「なあ、おまえに言っても仕方ないかもしれないんだが」
「うん?」
 目を閉じると、電話越しでも仗助の気配を感じ取れる気がした。

「すごく……満足する原稿が描けたんだ。今、とても満ち足りている」
 きっとこの幸福感も、少しすれば誰も読まないんじゃないかという例の不安にすり替わる。
 その前に誰かに伝えたかった。
 それが漫画を一切読まない仗助であっても良い。むしろ、この男なら素直に賛嘆してくれる。そんな予感があった。

「仕方なくなんかねぇっスよ」
 期待していた通りの優しい労りの声が、脳髄を溶かす様に心地良かった。
「良かったな、露伴」
 反面、言わせた自分が少し照れくさくもあった。

 電話越しでも、仗助の柔らかい微笑みが容易に想像できる。
 ご褒美にキスしたげるっス、と、電話越しにそれらしい音が数度聞こえ、思わず破顔した。
「……それならぼくの気分が良い内に、直接しに来いよ」
 口を突いて出た言葉に自分でも少し驚く。
「良いんっスか?」
 仗助の驚いたような声がまた、予想通りで耳に心地良い。
「ぼくに二度も言わせるのか?」

 仗助がしたように、空気を震わせるだけのリップ音を一度鳴らす。
 電話越しで鮮明に聞こえたか、定かではなかった。

「……はやく来いよ」
 自分が今、どんな顔をしてるか考えないようにしながら、勝手に仗助の目を丸くした顔を想像した。
「了解っス」
 歯切れの良い返事の割に、その裏でバタバタと慌ただしい音が聞こえてくるのが可笑しかった。


 ゆっくり受話器を置いて、冷めた紅茶を喉に流し込む。机の上を一瞥したが、一階へ降りておこうと思い、すぐ立ち上がった。
 原稿の見直しは、また明日でいい。



 2013/03/14 


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