夏の予感   承露



 露伴が海沿いの道を走らせていると、白いコートの人物を追い越した。思わず車を止めてミラーで確認すると、相手もこちらに気付いたようで小さく手を掲げた。

「承太郎さん、お散歩ですか」
 ゆっくりと近づいてくる承太郎に窓を開けて声をかける。潮の香りが吹き込んできて、夏の予感を一層感じさせられた。
「ああ、まだ行ってない辺りまで行こうかと思ってな……君はドライブか」
「奇遇ですね、ぼくも普段行かないところにスケッチでもと思いまして。……よければ途中までご一緒しませんか?」
「良いのか?」
 普段ならさっさと捨て置いて走り去るところだが、原稿がスムーズに済んで今日の露伴は機嫌が良かった。
「杜王より外に出るなら、徒歩だと相当時間掛かりますよ」
 承太郎が乗り込むと少しだけ車体がそちらに傾いたが、露伴は気にせずにエンジンを震わせる。

「何か音楽をかけたりしないのか」
 承太郎がカーステレオを指先でコツコツ叩く。見たところテープは入っていなかった。
「普段は買い物くらいにしか使わないんですよ、車。音楽は家でゆっくり聴く方ですし」
「なるほど」
「本当にぼく、行くあてはないんですけど。承太郎さん、海を見に行くんですか?」
「ああ……どこか道路から見えるビーチがあったら、そこで降ろしてくれればいい」
 海辺を歩く承太郎を想像して、露伴は一発で今日描くものを決めた。
「ぼくもご一緒していいですか。良ければ承太郎さんを描かせてくださいよ」
「それは、杜王町でできることじゃあねぇのか?」
 驚いた風に承太郎が露伴を見やる。露伴は道路の先を見つめてよそ見しない。
「海を散策する承太郎さんを描いてみたいんですよ。何時間もポーズしてくれるって言うんなら、杜王でも頼みますけど」
「……そっちはまた、その内な」
 承太郎が嫌そうな顔をする、何時間も体勢を崩さないでいるのを想像したらしい。身動きを長く止めた経験がない者はモデルを楽そうな仕事だと思うらしいが、実際には数分でも辛い。

 露伴の方は会話が途切れてもあまり気にせず運転に集中していたが、承太郎は乗せてもらった手前黙り込むわけにもいかず、少し落ち着かなかった。
「手袋しているのに、こっちは露出が多すぎやしないか」
「ひあっ」
 承太郎の指が脇腹をくすぐったので、露伴は思わず身をよじらせる。少しハンドルが取られ、慌てて体勢を立て直して承太郎を睨んだ。
「くそっ、事故ったらどうするんだッ!ちょっかい出すなよ!」
 思わず、という風に口調を荒げた露伴に、承太郎は涼しげな顔のまま答えた。
「すまない、触るつもりはなかったんだが」
「さっきも言いましたけど、あんまり車は使わないんですよ!慣れてないんです!」
「……それは偉そうに言うことなのか?」
 またじっと承太郎を睨むので、よそ見するなよと声をかける。露伴は不服そうに前を向いた。
「帰りはおれが運転しよう。……帰りも乗せてもらえるならな」
「置いて帰っても良いんですけど。そこまで非情じゃあないので最後までお付き合いしますよ」
 これ以上機嫌を損ねると本当に置いて行かれかねないな、と。承太郎は心の中で口癖を呟いた。


 珍しい貝や何かの骨を拾う度に近寄って見せてくる承太郎がまるで子供のようで可笑しくて、露伴は先ほどまで怒っていたこともすぐ忘れてしまった。
「これ、名前なんて言うんですか?」
「おれも知らねぇな……帰って図鑑で調べる」
「わかったら教えてくださいね」
「ああ」
 承太郎が再び波打ち際に歩いて行く。真夏は海水浴客で賑わうだろうビーチだが、今はただ二人だけだった。
「濡れますよ」
 露伴が声をかけると、承太郎がちょんとコートの裾を持った。しかし何かを発見して、すぐにその裾を離してしまう。また露伴は可笑しくて、笑う。
 スケッチはあまりできなかった。


 道路沿いのレストランで食事を済ませたあと、承太郎がハンドルを握った。露伴より随分手慣れた運転で、すっかり暮れた道を走る。
「悪いな、今日は」
「はい?」
「おれに付き合わせただけになっちまったようだ」
「良いですよ別に。……ああ、なら今描かせてもらえますか」
 露伴が後部座席からスケッチブックを引っ張り、狭い車の中で身体を無理に傾けた。
「ちょっと揺れるけど、承太郎さん運転上手だから……描けそう」
「酔うぞ。それに海を散策してるとこを描くっつってただろ」
「まあそう言わず」
 先ほどの海辺に比べると随分間近から観察されて、承太郎はまた気がそぞろになる。
「……あんまり見るな」
「見なきゃ描けませんよ。……ほら、よそ見しないで」
 鉛筆を走らせながら露伴は、行きのお返しとばかりにちょっかいをかける。承太郎は妙に居心地が悪くなり、思わず手を伸ばした。
「わっ、ちょっ」
「くすぐられたくなかったら先生も前向いて座ってな」
 承太郎は脇腹辺りを重点的に触ったつもりだが、直に見てはいないので確かかわからない。もっときわどいところを掠ったのかもしれない。
「……ずるいですよ、ちょっと」
 一頻り息を整えて露伴が睨む。しかしくすぐられるのは嫌だったらしく、姿勢は戻した。
「今度ちゃんとモデルしてやる。今日は……勘弁しろ」
「ちゃんと、ですね。忘れたら承知しませんよ」

 杜王に帰り着き、グランドホテルの前で車を止めた。承太郎が降りると、露伴も運転席に移るために助手席を降りた。
「今日は本当にすまなかったな」
「だから良いですって。それよりモデルの件、約束ですよ」
「ああ……わかった」

 別に友人と言うほど親しいわけでもない、しかしどこかぎこちないままの空気がもどかしかった。
「……それじゃ、また」
「ああ」

 露伴が車に乗り込む間も、承太郎はそれを見守っていた。何か一言言えないか、それぞれが探っていた。
 けれど結局何も思いつかず、露伴は車を走らせる。承太郎も少し見送ってから、ロビーへと向かう。

 次に会う口実は、いくらでもそれぞれの手の内にある。
 お互いこのもどかしい予感が何なのか、その時の二人にはまだわからなかった。



 2013/03/05 


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