なくし物 仗露(承露前提) 一瞬、冷房が効きすぎて寒いくらいだったあのホテルの一室かと錯覚してしまった。 身体をむくりと起こして隣りを覗き込むと、仗助は枕に顔を押しつける様にして静かな寝息を立てていた。 ぼんやりと薄暗い寝室の片隅を見つめる。外は白み始めているらしいが、カーテンから洩れてくる光はほとんど頼りない。まだ夜明けには早いらしかった。 しばらくしている内にむき出しだった肩が冷え切って、ぶるりと身体が震えた。手のひらで二の腕を包むと、むしろ指先の方が冷たく余計な鳥肌が立った。 あの人は外でも汗をかくような人ではなかった。それでもホテルで身体を重ねる時だけは、冷房の温度を必要以上に下げていた。 それは多分ぼくが暑さで気分を悪くした、たった一度の出来事を忘れないでいてくれたからで。 それが彼の優しさだった。 もう一度仗助を覗き込む。夜目に慣れてきたおかげで、先ほどよりもその顔が鮮明に見えた。どこか微笑んだような唇が、時折寝息に合わせて動く。 その唇に指を這わす。起きるかも、と思った。案の定仗助は薄らと目を開いた。 「露伴?」 「起こしたか」 起きると予期していたくせにそう言ってしまう自分が恥ずかしかった。 「もう……朝?」 仗助が優しく返してくれると、それすらわかっていて言うのが余計恥ずかしい。 「まだだ。もう少し寝てろ」 何も言わずに、仗助は目を瞑った。 薄明りの中でも伸ばされた腕の白さがよくわかった。同じように白いシーツの上に、真っ暗な影が落ちている。まだ子供の体温なのか、それとも元来の体温の違いなのか。腰に絡みついてきた仗助の腕はじんわりと熱を伝えてきた。 あの人も同じように、酷く熱い手でぼくの肌に触れてきていた。そこまで考えて、どうしても彼のことに頭がいってしまう自分にいい加減嫌気がさしてきた。 今目の前に居て、こうして自分を抱く仗助は、彼と悲しいほど似た顔で全く異なる表情ばかり作っているというのに。 あの夏はとっくの昔に終わっていて。あの夏を引きずり続けているのはきっとぼくただ一人だ。 仗助は数か月の間にまた身長が伸びたのだろう。最初は気にも留めなかった布団が掛かりきらない爪先も、今はこうして身体を折り曲げて寒さをしのぐ様に寝ている。 仗助はどんどんあの人に近づいていく。できることならはやく追い越して欲しい。 もう、思い出すのはうんざりだ。 冷え切った身体の震えを誤魔化すように、ベッドの中に潜む。仗助がまた一度だけ薄目を開けて、目を合わせてきた。仗助の身体に手を添えると、その目を瞑って口元に緩やかな笑みを作った。 「あんたとずっと、こうしてたい」 仗助の小さい呟きに答えることができなかった。 『ずっと君と、こうしていたかった』 最後の最後にあの人が言った言葉が今も耳から離れない。 あの言葉さえなければぼくはきっともっと随分まともに暮らしていけたとさえ、思っていた。 「朝まで、このままが良い」 仗助が重ねた言葉に答える代わりに、触れていた手を身体に巻きつけてやる。また、嬉しそうな微笑を口元に見せた。 「おまえ、髪切ったりするなよ」 「ん?」 「……何でもない」 考えれば考える程、以前の自分に戻るのはもう無理だと気付いてしまう。 何もかも。もう二度と、戻らない物ばかりだ。 2013/03/02 |