君の家が良く見える   承露



「たまには海以外にも行ってみませんか」
 承太郎さんがピクリ、と肩を反応させてこちらを見据えてくる。
「あ、別に海が嫌いになったわけじゃないですよ」

 何も言わないで、承太郎さんは手に持っていた帽子をしっかりと被った。
 ぼくたちにとってのデートは、家かホテルか、もしくは海まで散歩に行く。その程度しか最後まで選択肢がなかった。
「でも海だと、承太郎さん仕事しだすからさ。たまには、海の見えない方にでも散歩に行きませんか」

 駅の方には顔見知りが大抵うろついていて、口実を作っておくにしても、二人で居るところを目撃されるのは少し怖かった。特に学生どもは、あいさつ程度ならともかく、お茶しているところに堂々と相席してきてちゃっかり承太郎さんに奢らせる。デート中なんだから邪魔するな、なんて言えないが、とんでもなくぼくには不快だった。
「良いぜ」
 立ち上がった彼が、机の上に投げ出していたスケッチブックを指差した。
「ただし、あんたもそれは置いていけ」
 指を向けるだけで様になるんだから、この先も彼は色んな人をこうして夢中にさせるんだろうと、漠然と感じた。


 玄関の鍵をかけている間に、承太郎さんは歩きはじめていた。小走りでその横に並ぶ。チラリ、と彼が視線を寄越して、すぐにまた元の方を向いた。

 置いて行かないでも良いでしょう、と、何の気なしに言いかける。言う前にその危うさに気付いた。
「……こっちはほとんど丘みたいになってますよね」
 代わりに、承太郎が足を向ける先を見る。生活圏ではないが、引っ越してきた頃に何度か散策した記憶があった。
 行ったことありますか、と問うと、何度か、と返ってくる。
 静かな住宅街を抜けると、木々が立ち並ぶ緩やかな上り坂が見える。赤土が露わになった整備の行き届いていない道が、妙にこの町には不釣り合いだった。

 その緩い坂を上りながら、取り留めのない話をした。
 ぼくが何か言うと、承太郎さんが短い返事をする。それが妙に途切れ途切れに感じる。いつもと違う道を歩いていると、普段どんな会話をしていたのか急にわからなくなった。
「なんだか、いつもの荷物がないと手持無沙汰な気になりますね」
 肩に馴染んだスケッチブックの紐の感触がないだけで、歩き方さえ忘れたような錯覚に陥る。気分は全く高揚していないのに、浮足立った感覚によく似ている気がした。
「そうか」
 そっけない返事に思わず苦笑いしそうになる。しかし承太郎さんが、不意に肩に手を置いた。
 彼の手は重く熱い。まるで地面に引き摺り下ろされた様な、奇妙な感動があった。
「暑い、ですね」
 ぼくは肩まで露出した夏らしい服装で、それでも日差しの照りつける坂道を上っていると酷く汗がにじんだ。ロングコートの彼は、ほとんど表情も変えず隣りを歩いている。
「そうだな」
 彫刻か、もしくはロボットでもおかしくないと失礼な考えが脳裏を掠めていたが、肩に置かれた彼の手は確かに血の通った人間の手だった。
「だが、一雨来るかもな」
 承太郎さんが空を仰ぐ。見ると、確かに入道雲に混じって、黒く重たそうな雨雲が近づいていた。
「雨が降る時って、土の匂いが濃い気がしませんか。大気の匂いなのかな」
 何か言おうとして、承太郎さんが足を止め口を開いた。しかし逡巡して、緩く口を閉じてしまう。

 また承太郎さんは坂道を歩きはじめる。それが、行く場所が定まった足取りに見えた。

 問い質したい気がした。今の行動も今までの行動も、全部。
 けれど彼がしたように、ぼくも口を閉じる。何も言えないまま、その背中を追った。


 やがて開けた場所に出る。
 記憶の通り小高い丘となった地形で、町の一部が展望のように見えた。

「ここからは、君の家が良く見える」

 隣で町を見下ろしながら、承太郎さんがそう言った。
 一瞬聞き間違いかと思って、思わずその横顔を凝視した。彼の視線をたどってもう一度、町を見る。どの屋根が自分の家なのか、ぼくには判別がつかなかった。


 やはり、問い質したい気がした。その気でいた。

 仗助から聞いたんですよ、と。
 もうすぐあなたはぼくを捨ててアメリカに帰ってしまうんでしょう、と。

 海で訊くにはあんまりにも悲しい問いに思えた。
 けれど結局、この場所からは町と一緒に、遥か遠くに海岸線が見えた。

 どんな気持ちでこの場所から、この町を見つめていたんですか。
 どんなつもりで、ぼくの家を見ていたんですか。
 何もかもを口から滑り落としたくなる。けれど何一つ、口に出せる気がしなかった。

「やっぱり、降ったな」
 沈黙を破って、承太郎さんが手の甲で雨粒を受け止めた。
 ぼくの頬や肩にも小さな滴がパタパタと降り始める。
「走るか」
 彼は坂の方を振り返って、もう町の方を見ない。
「どっちにしたって、家に着く頃には濡れますよ」
 靴の中までぐっしょりになった様を想像する。
 ぼくの言葉を無視して、承太郎さんは小走りになった。

 ぼくの帰る場所はこの町のぼくの家で、彼が帰る場所はあの海の向こう。
 それを解りきってしまっているぼくはやはり、置いて行くなの一言が、言えない。  



 2013/02/24 


SStop








人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -