蕎麦屋の二階   承露



「上がるぜ」
 店の奥に承太郎が声をかけると、店員らしい男が顔を出して返事をする。
「良く来るんですか?」
 少し狭い階段を慎重に上りながら、露伴は眼前にある承太郎の背中に訊ねた。ぎしり、ぎしりと木の板が大きく鳴るので、声が掻き消えそうになる。
「時々な」
 承太郎がそれに答え、踊り場で襖を開くと暗い階段に日が差し込んだ。二階の窓は外観から見てそれほど大きかっただろうか、と、露伴は上る足を少しだけ速めた。

 先ほど、二人連れ立って杉本鈴美の居る小道を訪ねた。たまたまそこで出会ってな、と適当にでっちあげる承太郎を睨みながら、露伴も相槌を打ってそれに合わせた。
 彼女が自分たちの関係に気付くわけもない、と思いつつ、露伴は承太郎と鈴美が喋っている間、気が落ち着かなかった。ちょうど十二時のサイレンが鳴って、蕎麦でも食うか、と承太郎が露伴の方をようやく向いた時はやけにホッとした。
 振り向けない小道を抜け鈴美に小さく手を振った後、早く遠ざかってしまいたい露伴に気付かないフリをして、承太郎は小道の目と鼻の先にある、そば屋「有す川」に足を向けた。

「彼女は……良い女だな」
 メニューの板を返しながら承太郎が呟く。露伴は眉根を寄せて机に頬杖をついた。
「承太郎さんが良い女、とか言うと、すごく生々しくて嫌ですね」
「焼くな」
「焼いてないですよ。呆れてるだけで」
 ふて腐れたような露伴の顔を見もせず、承太郎は店員を呼びつける。
「先生は気にし過ぎなんだ」
「あんたが無頓着過ぎるんですって」
 店員がお待たせしました、と声をかけ襖を開けた。昼間から酒を注文する承太郎に一切合わせず、露伴もメニューを一瞥して、すぐ注文する。

「二枚くらい食えねぇのか」
 若いくせに、と承太郎が笑うのに、また露伴は顔をしかめた。
「学生どもと一緒にしないでくださいよ。もう育つ盛りは過ぎました」
 ただでさえ夏バテ気味で食欲はないんだ、と呟いて、露伴はヘアバンドを一度首まで下げた。外でかいた汗を少し拭って、再びまた額に戻す。

「女みたいだって言われねぇか」
「言ってくる人は相当失礼ですよね」

 やがて店員が蕎麦を運んで来た。ごゆっくり、の一言と共に襖が閉まる。階段を降りる足音を聞きながら、承太郎はようやく帽子を脱いだ。

「蕎麦屋の二階だってのに。つれないな」
 箸を割る、気持ちのいい音が鳴った。承太郎は酒に手をつけながら露伴に視線を据える。
「男二人でですか?それこそ気にし過ぎって感じですよ」
 露伴も薬味の蓋を開けながら、承太郎に目を向けた。その背後にある窓からは、他の建物の向こうに突き抜けるような青空が見えていて、酷く眩しかった。

「でも気にし過ぎないと、やっぱり駄目だったんだと思いますよ」
 二階には他の客は居ないらしく、妙に静かだった。すぐ外では蝉がつんざく様な鳴き声を交わしているのに、それが遠い場所の音に聞こえる。
「あいつに訊かれましたよ。承太郎さんとどういう関係なのかって」
 一瞬承太郎は動きを止めたが、すぐにまた一口、酒を呷った。店の前の道路を、子供たちがはしゃいで走り抜ける声が聞こえ、遠ざかった。

「……良い甥っ子で居たいなら、多分、」
 露伴の言葉を遮るように、承太郎は身をよじって背後にあった窓をピシャリ、と閉じた。
 余計、部屋の中が静まり返る。露伴は承太郎から視線を外せなかったが、承太郎は瞳を伏せ気味にして、自らの手元を眺めた。

「おれがやましい関係じゃねぇと言えば、あいつも黙る」

 承太郎は蕎麦を食べる作業に戻った。それをしばらく眺めて、諦めたように露伴も箸を割る。しかし氷の殆ど溶けた水を口に運んだだけで、すぐに、器の上に箸を置いた。

「こんなこと自分が言うなんて思ってもみなかったけど」
 承太郎は黙って露伴の声を聞いていた。
「ぼく、不安なんです」
 承太郎は黙って、露伴の声を聞いていた。

 密やかな露伴の声は、部屋の中に大きく響いた。
 外は真夏の日が続いているというのに、この二階の一室だけは酷く暗く、寂しかった。



 2013/02/20 


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