寝起きのシェア   承露



「……この部屋」
 招き入れた途端に露伴が立ち止まったので、承太郎はドアを閉めることができずに固まる。

 あなたのホテルに行きたいと、電話口で先手を打って切り出したのは露伴だ。どういう意味なのか、承太郎もすぐに理解した。 露伴がこうして訪ねて来るまで、承太郎は彼らしくもなく、漫ろな気持ちでドアがノックされるのを待っていた。

 しかしいざ出迎えてみると、露伴の方はいつもの何食わぬ顔のままでどうも、と挨拶し、更に一歩踏み入った途端に目を見開いて立ち止まった。承太郎は困惑を隠せず、片手で帽子のつばを少し擡げた。

「ちょっと失礼しますよ」
 そう言って、露伴は急に動いた。そのままズカズカと部屋の奥まで侵入していく。やれやれだ、と呟くのを堪えながらも、承太郎はドアをようやく閉める。鍵が掛かったのをしっかりと確認して、露伴の後に続いた。

「ほら、ここ」
 露伴が立ち止まったのは、壁にかけられた一枚の絵の前だった。
 そこまで詳しくない承太郎でも名前を聞いたことがある有名な作家の絵で、このホテルには他に何枚も同じ作家の絵がかけてあった。
 複製絵画か、それとも版画なのかもしれないが、そこまでは承太郎も知らない。無駄に華美なこのホテルならば、本物でもおかしくない程度に考えていた。

 露伴はその絵をおもむろに手に取ると、特に丁寧に扱う風もなく壁から外してみせた。傍若無人というのはこういうことなんだろうと、部屋の借り手である承太郎は他人事のような印象を持った。
 しかし、露伴が言いながら指差したのは絵ではなく、その裏の壁だった。承太郎も近づいて、露伴の背後から注視する。絵の周りの壁紙が少し色褪せているのが分った。そして、指差した先にある小さな傷にも気づく。

「札でも貼ってあるのかと思った」
 顔を離しながら、本当に貼ってあっても困るんだが、と付け加える。
「ぼくも昔それを期待したんですけど」
 露伴は少し笑って、壁に絵をかけ直した。そのまま身体ごと振り返って、承太郎の顔を見上げた。
 
「今、入ってみて急に思い出しましたよ。ぼく、この部屋に泊まったことがあります」


 −−−


 紅茶でも、という問いかけに是非、と返されて、承太郎はやはり露伴がどういう気で来たのか見誤ったかと不安になる。
 しかし彼が椅子ではなく、自然にベッドに座ってネクタイを少し緩めたのを横目で確認してしまい、余計混乱した。

 ソーサーごと手渡すと、露伴は小さくありがとうございます、と呟いた。承太郎はその隣に腰掛けながら、露伴が見つめている絵にチラリと目を向けた。正確には、絵の裏にあるであろう小さな傷を思っているのだろうが。

「もう一年以上前かなぁ。家を杜王町で建てようと思い立って、すぐだったとは思うけど」

 どこか懐かしげな露伴の口調に、承太郎はこんな柔らかい声も出すのかと感心した。熱くて飲めない自分の分の紅茶は、早々にベッドサイドのテーブルに置いた。
「こっちに土地探しやら下見やらで、一時的に滞在してたんです。丁度今の承太郎さんみたいに、ここに泊まってさ」
 成る程、と承太郎が返すと、露伴は少し目を細めて手元のティーカップに視線を移した。
 特別キリが良いわけでもないホテルの部屋番号を、一々覚えているはずもない。露伴のように、取材で各地を泊まり歩くような人間なら尚更だ。

「ああ思い出した。あの時、現金や判子も用意してたってのに、不動産会社のやつ、土地を売ろうとしなかったんですよ」
 急にそう言って、露伴は組んでいた足を荒く解いた。
「まだ未成年だろ、とか言ってさ。おかげで両親にまで連絡する破目になって……ムカついたなぁ」
 忌々しげな口調に承太郎は驚いたが、露伴が恐ろしいほどマイペースなのがもはや面白くもなってきていた。
「……あんたが逆の立場なら、18か19の怪しいガキに売るのか?」
 承太郎の問いかけに、露伴はキョトンとしたような顔で顔を上げた。それから少し、首を傾げた。
「……売らなかったでしょうね」

 二人で少し笑った。笑いながら、露伴は身を乗り出してティーカップをサイドテーブルに置いた。

「あの傷はね、ぼく、他所に泊まる度にお札とか貼ってないか見るんですけど」
 もう一度、露伴は絵の方を指差した。一緒に身体も傾けたので、承太郎の肩に少し触れた。

「その時額縁を引っ掻けてできたんですよ。ホント、絵を見るまで思い出しもしなかったなぁ」
 言いながら、露伴は触れた部分を離そうとはしない。むしろ寄り添うように身体を寄せ、承太郎を間近で見上げた。

「ああでも、不思議な感じですね。少し前にぼくが寝起きしてた場所で、今はあなたが寝起きしてるんだ」
 絵を指していた手で、承太郎の帽子をゆるりと脱がせる。承太郎も、緩められた露伴のネクタイに指をかけた。

「あんたも今日は久しぶりに、ここで寝起きするわけだ」
 ベッドに倒れ込みながらの承太郎のセリフに、露伴は面食らった顔で一瞬静止し、またすぐ笑う。
「フフ、承太郎さんも……そういうこと言うんだ」

 嫌いじゃないですよ、と。そう言った露伴に、承太郎も笑って覆いかぶさった。


 二人分の紅茶は水面を震わせながら、直に冷めるだろう。



 2013/02/12 


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