理解者たち 編集部+露 「貝森くぅん〜、杜王銘菓『ごま蜜団子』食べません〜?」 間延びした特有の声に、呼ばれた貝森は仕事の手を止め椅子を回転させた。 「はぁ。一個頂きます」 声をかけたのは貝森の先輩にあたる泉京香だった。歳は二歳ほど貝森よりも上で、今年結婚を控えている。 「ちゃんと奥歯で噛んでよねぇ」 差し出されたごま蜜団子は四個ずつに区切られたパックが一つだけ開けられていて、団子はすでに三つがなくなっている。そのパックごと受け取りながら、貝森はチラリと泉に視線を向けた。 「泉さん、杜王町に行ってたんですか?打ち合わせとかで」 杜王町といえば、一人の漫画家の顔が自然に浮かぶ。泉は貝森のすぐあとに、彼の担当編集者になったはずだ。 「違うのよぉ。今日は露伴先生が来てるから、手土産にって持ってきてくれたの」 泉が指差した先には、曇りガラスで仕切られた打ち合わせのスペースがある。確かにその向こうには人影が見えた。 「えっ集英社にいらしてるんですか」 あの先からこちらが見えるはずもないのに、思わず貝森は背筋を伸ばした。 「そうよ、ファッション誌とのコラボの話が出てるんですってェ」 泉は暢気な口調で、箱からもう一つのパックを取り出しシートを剥がしている。奥歯で、と呟いてから、美味しそうに団子を頬張った。 「すごいですねぇ露伴先生……少年誌の漫画家なのに」 岸辺露伴はその人柄同様、絵柄に関しても個性が異様に強い。気持ちが悪いと一部の読者に嫌われる一方で、そのリアリティを極めた作風に心酔する読者は多かった。 「ウフフ、貝森くんは露伴先生苦手よねェ〜」 すごい、と言いながらもどこか苦い顔の貝森を、泉はにこにこと笑って茶化した。数か月前、新人として露伴の担当についていた貝森は先輩にあたる泉たちにどうにか泣きついて、その担当を外してもらった経歴があった。 「だって怖いじゃないですかぁ、あの人!」 新人の教育にしたって、あの人はどう考えてもハードルが高すぎる。貝森は未だにあの仕打ちを不服だと感じていた。 「え〜?そう?確かにすごくオレ様なところはあるけどぉ……優しいとこもあるわよぉ」 対して泉は、その独特のマイペースな性格が露伴からすると暖簾に腕押しらしく、今のところ順調に担当編集をこなしていた。 「そりゃあ泉さん女性ですから」 あの人ああ見えて女性には弱いですし、と、まだ不服そうに眉根を寄せながら、貝森もごま蜜団子を頬張った。 「あいつは若い頃の方がもっと怖かったぞ」 泉の手元から一つ団子をつまみ上げ、ボソリと呟いたのは、二人にとって大先輩にあたるベテランの編集者だった。 「えーっ……でも、まあ、でしょうねぇ」 貝森はごま蜜が垂れないように少し口元を覆いながら、岸辺露伴の新人時代を想像しようと試みて失敗した。 「まだ中学卒業くらいの頃とかに持ち込みに来てたからなぁ」 大先輩はそう言って、一口持っていたマグからコーヒーを啜った。ごま蜜団子はまだ、指でつまんだままだ。 「わっかぁ〜い!その頃からあんな感じですかぁ?」 泉は興味津々、という風に手を叩いた。 「いや、もうちょっと謙虚さがあったかもな」 えっ、と、泉は肩透かしを食らった。また大先輩の方はマグからコーヒーを啜り、一人座りっぱなしの貝森はなんだか居心地が悪くなった。 「けどな……賞に出す話の打ち合わせついでに飯食いに行くかって外に出たら、ちょうど近場の交差点で事故があってな」 そこで話を一度切って、ようやくごま蜜団子を口に運んだ。泉と貝森は、せかすこともできないのでそれをぼんやり見つめている。 「野次馬掻き分けて行くから『岸辺くん、どうしたの』って聞いたら、無視してスケッチしだして。大破してる車とかだけじゃなく、その、な」 口をもぐもぐさせる大先輩を一瞬ポカンと見つめて、貝森は鳥肌、とでも言いたげに自分の両腕をこすった。 「うわー……そんなの見たらおれ、すげぇ引きますよ……」 貝森は改めて、担当を外してもらって正解だったと胸を撫でおろした。 「おれだって引いたよ。でもその次の週持ってきた原稿、それを生かしてて……あれで賞も取ったからなぁ」 けれど泉の方は、うーん、と少し首を捻ってから、また少し笑顔を作った。 「今の子は通報もせずに写メ撮るって感じですよぉ、多分。そっちのが怖くないですかぁ?」 携帯を構えるような仕草をして見せる泉に、思わず、と言う風に大先輩の方が噴き出した。 「泉ちゃんの方がそういうことしそうだよ。若い子代表っていう」 それを聞いて泉は一気にしかめっ面をして見せる。 「え〜?それなら露伴先生の方が怖くて良いですゥ!」 貝森も一緒になって笑ったその時、後ろから帽子をぽん、と叩かれた。 「君たちねェ〜……随分好き勝手言うじゃあないか」 「あっ露伴先生」 貝森が振り返ると、確かにそこには奇抜な恰好をした天才漫画家、岸辺露伴が憮然とした表情で立っていた。全く気付いていなかった貝森は、思わず椅子から立ち上がった。 「おっ、お疲れ様です先生〜……」 「貝森くん、君、久しぶりだって言うのに何だいその顔は?また目ェ逸らしやがって」 今誰の担当なわけ?と、露伴が貝森の首にがっちりと腕を回した。貝森は見事に顔面蒼白になっていく。 「露伴先生、打ち合わせ終わったんですかぁ?」 そこに、またにこにことした笑顔に戻った泉が助け舟を出す。露伴はようやく貝森に近づけていた顔を上げた。 「終わってなきゃこっちに来ないよ。……泉くん、ついでに再来週分も打ち合わせ済ませようか」 「あ、はぁ〜い!」 パッと貝森を腕から放して、なんともない風に露伴は踵を返した。気が抜けた貝森の目じりには、少しだけ涙がにじんでいる。 「ついでに飯も行こうよ、もう昼過ぎてるし」 指先をくるりと回した露伴について行きながら、泉はまた楽しそうに手を叩いた。 「良いですねェ〜!先生おごってくださいよぉ」 「おいおい、そんなの編集部持ちに決まってるだろッ!ぼくが破産したの知ってるよねェ?」 突っかかるような物言いの露伴だが、泉はそれをきゃっきゃと笑いながら受け流す。 「冗談ですよォ〜!すぐそこに美味しいイタリアンができたんですよ〜先生」 遠ざかっていく二人の背中を見送りながら、貝森は小さくため息を吐いた。 「泉さん、ホントすごいですね……」 「あれくらい物怖じしなけりゃ、良い編集者になれるね」 貝森くんも見習って、と肩をポンと叩かれる。 「あんな風に露伴先生に言えるの、泉さんくらいでしょ……」 あまりのハードルの高さに、貝森は思わず二度目のため息を吐いた。 そんな貝森の気苦労も知らず、外は冷えるなぁなんて言いながら、噂の当人たちは揃ってくしゃみをしている。 2013/02/08 |