裏切りの本質 承露 「ぼくも結婚しようかなぁ」 既に服を着込んでいる承太郎さんが、いかにも面倒くさそうにこちらに視線を寄越してきた。 ぼくの方はベッドから出る気もなければ服を着る気もない。このまま彼が勝手に寝室から出ていくのを見送る所存だ。 「そしたらダブル不倫ってやつになるでしょ。面白そうじゃないですか」 頭の中で、楽しく想像をめぐらせてみる。毎日女と暮らしながら承太郎さんと密会するだなんて、ストレス過多で死ぬかも。でも刺激は多そうだ。 男女間での不倫の方が漫画の材料にはし易そうだが、ぼく個人の興味を満たすなら、男でも承太郎さんみたいに飛び切り綺麗な奴の方が良い。 「本気で言ってやがるのか?」 もうホテルに帰るんだろうに、承太郎さんは律儀にぼくの戯言に乗ってくれた。だからってぼくに特別優しいわけでもないんだけれど。 お返しに彼の胸元からタバコの箱を探して出してやる。 ぼくの家では吸おうとしないところも律儀だ。 「奥さんを裏切る苦しみってやつはぼくには体験できないですからね。今のままじゃどうもリアリティが足りない」 ぼくも承太郎さんもびっくりするぐらいこの付き合いを割り切っている。始める前はもっとややこしいことになると想像していたから、拍子抜けも良いところだ。 抱かれる快楽を教えてもらったのには感謝しているけれど、どうにもトントン拍子で詰まらない。 不倫って、もっとドロドロしたものだと思っていた。 「なら、おれの他に男でも作ったらどうだ」 タバコに火を点けながら言う承太郎さんはなんの嫌味もない顔で、怒りも感じないほどあっさりした調子に聞こえた。思わず笑ってしまった。 「承太郎さんを裏切るのか、それも良いかもなぁ!」 また想像を巡らせる。承太郎さんが次にぼくの家を訪れた時、そこには別の男がいてぼくを抱いている。その時彼はどんな顔をするだろう。 ぼくの家に灰皿はない。出て行かざるを得なくなった承太郎さんがようやく立ち上がった。 「でもどっちにしたってどうせ駄目だな。適当に見つけた女相手でも他の男でも、勿論あんたでも」 想像の中の承太郎さんはいかにも面倒くさそうな顔で、ホントにやりやがったか、なんて台詞を吐いている。けれど止めたりはしない。 「裏切るっていうのは信頼関係がないとできない行為だからね」 怒り出す承太郎さんや悲しがる承太郎さんも想像できなければ、裏切りを苦しむ自分や弁解する自分の姿も一切想像できなかった。 やれやれだ、とだけ呟いて、承太郎さんは部屋を後にした。 ぼくの方はしばらくベッドの上でごろごろしてみたけれど、描きかけの原稿を思い出してようやく服を着る気が起きた。 今のところぼくが裏切ることができるのは読者の期待くらいだ。それも、良い意味でだけど。 2013/01/30 |