小さな空洞   仗露



 耳たぶに空いた小さな小さな空洞に、仗助は驚く。

「あんた、それ」
 露伴は苛立たしげな視線を向ける。
「……何だ」
 そんな顔しなくても、と、仗助は思わず息を飲んだ。



 露伴が道端で立ち止まっているのを見つけ、仗助はなんとなしに近づいてしまった。
 いつものように何かを観察してスケッチをしている様子はなく、手を顔の横に寄せている。仗助が覗き込むと、露骨に嫌そうな顔をして見せた。

「何してるんスか?」
「おまえには関係ない」
 露伴は首に巻かれたマフラーを、何やらもぞもぞいじっている。見ると、彼が普段つけているイヤリングが毛糸に絡まっていた。
「絡まっちまったんっスか」
「……うるさい」
 マフラーの繊維を傷つけたくないのか、露伴は右肩の方に首を傾けたまま慎重に指先を動かしていた。集中しているらしく仗助の方に視線を向けようとはしなかった。
「先生なんでイヤリングなの?」
 自分のピアスを触りながら、仗助はその姿を眺めた。
「……前言っただろ」
 早くどっかに行ったらどうだ、と、露伴がいつも通りツンケンして見せる。仗助は随分前、混雑したカフェで友人と共に、彼と同席した時のことを思い出した。



「ピアスってちょっと憧れるけど、空けるのは怖いんですよねぇ」
 康一がそう言うと、露伴はフム、と腕組みをして見せた。仗助は視線をこちらに寄越そうともしない彼の態度に辟易して、ぼんやりその会話を聞いていた。
「君くらいの年ごろなら憧れるのは分かるが……折角ご両親から頂いた大切な身体だろう?」
 チラリ、と露伴が仗助の方を見たので、仗助は身体をピクリと反応させる。しかしすぐに逸らされた。
「どこぞの不良みたいに、高校生が安易に自分に傷をつけるのはどうかと思うぜ」
 本心から露伴がそう思っているのか、おそらく仗助に当て付けたかっただけだろう。康一は二人の間に挟まれていて胆を冷やした。
「ろっ、露伴先生はイヤリングですよね!ぼく、どんな仕組みなのか知らないんですよ!見せて頂けませんかッ!」
 一瞬困ったように露伴が固まったが、すぐに良いよ、と言って左耳に手を添えた。
 露伴が両手を顔の横に寄せるそのポーズは妙に女性的に見え、仗助は思わずそれに見入ってしまった。

「……ほら、こういう風に、ぼくのはネジ式だ」
 康一の手にチャラ、と小さな金属が落とされる。仗助は母親のものを見慣れていたが、康一はまじまじとそれを見つめていた。
「これ、回して耳を挟むんですか?それはそれで痛そうだなぁ〜」
「穴を空けるよりは痛くないさ」
 仗助からは康一の方に身体を向けた露伴の左耳が良く見える。肌と同じく白い耳たぶには、確かにイヤリングで締め付けられた赤い跡が残されていた。



「えーっと、おれみたいに安易に傷つけたくない、でしたっけ」
 まだマフラーからイヤリングを外せない露伴が、ようやく視線だけ仗助に向けた。
「案外ちゃんと覚えてたな。もっと記憶力はないかと思ってた」
 彼が常に喧嘩腰なのに、仗助はもうほとんど慣れきっていた。どんな意味合いであっても、目を合わせる一瞬が欲しかった。
 もたつく指先を眺めるこの時間も仗助には重要だったが、流石にこのままだと露伴の方が立ち去ってしまうかもしれないと判断する。
「……イヤリング、耳から外せば?」
 露伴もまさか考え付いていないはずはないだろうが、一応そう助言する。しかし露伴は仗助を睨むだけで、そうしようとする様子はなかった。
「何?外せないならおれが外してやるよ」
「あ、コラッ」
 役得とばかりに、仗助は露伴が身を引こうとするのを無視して彼の右耳に手を伸ばす。冬の冷えた指先にも、その金属のアクセサリーはひやりと感じられた。
「……クソッ」
 小さく悪態を吐く露伴に、何がそんなに嫌なのか、と仗助が心の中でため息を吐く。少しでも長く触れていられるよう、わざとゆっくりとネジを回しながら。

 チャリ、と小さな音がする。イヤリングが指先から滑ってマフラーにぶら下がった。あとはマフラーも外せば取りやすい。仗助はまだ彼が嫌そうな顔をしているかも、と、視線を少しずらす。

 露わになった彼の耳たぶに空いた小さな小さな空洞に、仗助は驚いた。

「あんた、それ」
 仗助の妙に焦ったような声を聞いて、露伴は悪態を吐くのを堪えて睨む。
「……何だ」
 仗助は息を飲み、少し身を反らした。しかし逸らされない視線から右耳を隠すように、露伴は首を背けた。

 仗助は頭の中でグルグル、ピアスを空ける時に友人から言われた言葉を思い出す。『右耳に一つ空けてるのはゲイの証し』あの時はそのふざけた口調に嫌な気分を覚えただけだった。
 あの時は自分が男を好きになるなんて思ってもいなかったのに。ゲイに偏見があるとか、そんなんじゃ元々なかったけれど、当事者になるだなんて、微塵も思っていなかったのに。

「……あんた、左耳にはホール、なかったよな」
 露伴はどこか気まずげな表情で顔を背けている。しかし仗助が一度反らした身体を先ほどより近づけたので、またその顔を睨みつけた。
「おれ、この恋は諦めなきゃいけないんだってずっと思ってた」
 仗助は再び、露伴の右耳に手を添える。ピクリ、と、露伴の肩が揺れた。
 どうして片耳だけなのか、わざわざ隠していたのは何故なのか、訊きたかった。けれどきっと、それは野暮ってやつなんだろう。
「あんたは男で、おれも男だから。……でも、これって、期待しちゃおかしいのかな」

 イヤリングの金具に押しつぶされたホールは少しいびつに見える。
 この秘匿を暴いたのは自分だ、と、仗助は自らの内に妙な昂りを感じた。

 しかし露伴は少し長い瞬きをして、また仗助を睨みつけた。

「……言っただろ」
「え?」
 手を払われ、仗助は驚く。しかしその行動以上に、辛そうな露伴の顔が目に焼き付いた。

「……高校生が、安易に自分に傷をつけるな、って」

 背を向け早足で遠ざかる露伴を、追って良いのか。
 まだ青い仗助には、その瞬時の判断がつかなかった。



 2013/01/28 


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