無自覚の傾慕   仗露



「好きですッ!おれとお付き合いして下さいッ!!」

 言われたことを理解した瞬間、ぼくは仗助にヘブンズ・ドアーを仕掛けていた。ドサリと床に倒れ込むのを見届けて、少し気分を落ち着けようとソファーに座りなおした。
 東方仗助が僕の家を訪ねて来たのはほんの数分前だ。

 吉良の事件が片付いて数週間、ようやく本来のペースが戻ってきたように感じていた。静かに原稿をする生活、それだけに集中できる時間が、だ。時折親友の康一くんが漫画の感想を言いに来てくれることはあったが、仗助みたいな騒がしい連中が家を出入りすることもなくなった。
 だのに、久しぶりに顔を合わせてみたらいきなりのこれだ。最初は玄関先で追い返そうとしたのだが、用事を言わずモジモジするだけで仕方なく家に上げた。仗助は、座れと促そうとした片手を掴み、突然の告白をしてきたのだ。
 仗助の言葉を頭の中で反芻してみる。思わずスタンドを使ってしまったが、冷静になるとあんなドストレートな告白をよもやこいつがぼくにするはずもない。億泰辺りと賭けか、もしくは罰ゲームでも強制されたのだろう。

 チラリ、と床を見やる。倒れ込んで昏睡している仗助を眺めていても埒があかない。溜息をつきながら近づいて、仗助の顔に触れてページを捲った。
 今までも二度だけ仗助にヘブンズ・ドアーを発動させたことはあったが、一度目は不発で二度目も吹っ飛ぶように書き込みをしただけで、そういえば内容を読むのはこれが初めてだ。

 結論を先に言うと、仗助の告白は賭けでも罰ゲームでもなかった。あの言葉は、本気で彼の口から紡がれたものだった。
 好きになったのだと気付いたのはつい昨日のことのようだ。顔を見ない日が続いて、ふと露伴のことを思い出した。そして考え始めるとその感情が頭から離れない、と。長々と自覚する経緯は書かれていたが、読んでいるこっちが恥ずかしくなってくるので斜め読みで終わらせた。

 しばらく悩んだ末、今スタンドを使ったことだけを忘れるように書き込み、ソファーへと戻る。仗助は少し唸って身体を起こしたが、なぜ自分が床に寝ていたのかわからないようだ。
「まあ、掛けろよ……」
 今度は掴まれない距離なので、平手で手前のソファーを指す。しばらく何か言いたげにこちらを見つめていたが、ぼくが何も言わないでもう一度促すとしぶしぶソファーに座りこんだ。
「何だってそんな勘違いしちまったかな……」
 溜息が出そうなのを堪え、思わず呟いた風にこぼす。仗助は悲しそうに顔をゆがませて、身を乗り出してくる。
「勘違いってなんスか?おれ、マジっスよ?」
「ん、そうだな、マジって顔してるよ」
 だから座れ、と手をひらひらさせるが、仗助は悲しげな顔のまま身体を戻そうとはしない。

「なら……」
「仗助、人間は勘違いしやすい生き物なんだ。この意味がわかるか?」
 あまり仗助の話を聞いてもしょうがない。そう判断して言葉を遮る。
「……はい?」
「恋愛自体が幻覚とそうかわりないって話だ。思い込みっていうのが人間の認識に深く作用してるんだ」
 例えば、と、おもむろにティーポットを掴んで、それを身を乗り出した仗助の頭の上で傾けた。
「うわっ!何するんっス……あれ?」
「中身は空だよ。ぼくが布巾で取っ手を掴んで、さも熱くて重たいように持ったから、おまえは中身が入っているんだろうと勘違いしたわけだ」
 ようやく仗助が身体を引っ込めた。ぼくは軽いティーポットを、静かに机の上に戻す。
「熱した火箸を見せた後に冷えた火箸を肌に押し付けたら火傷したって話は有名だな……」
 ソファーの背もたれに身を委ねる。ぼくの方も前のめりで話していたから、それだけで随分二人の距離が開いたように感じられた。
「何が言いたいんスか……?」
 仗助はどこか泣きそうな顔をしている。まるでぼくがいじめているようで少し気分が悪い。

「つまり、おまえが本気のつもりでもそれが錯覚でないか、実際には判別つかないって話なんだよ」
「何スか、それ」
 一瞬仗助はうつむいた。しかしすぐに顔を上げて、どこか怒気を含んだ声を振り絞った。ぼくは気圧されそうになるのを我慢して、その視線から目を逸らさない。
「考えてみろよ、ぼくとおまえは男同士で歳の差ありで、加えて犬猿の仲だったんだぜ」
「それはそうっスけど……。でも、今は」
「皆まで言わなくて良い。今は好きになったってんだろう?わかったよ。おまえはぼくとの関係をトンネルの件以来、改善したがってる風だったしな」
「……なら、さあ」
 本当に悲しそうな顔をするな、と思う。けれど畳み掛けるのを途中でやめてしまうと、もっと仗助は不幸になるだろう。
「だがな仗助、吊橋効果くらいは知ってるだろ?危機を救い救われた仲だ。何か関係が変化すると期待するのは可笑しかないさ」
 下唇をゆるく噛んだ仗助は何も言わない。ぼくが仗助の恋心を否定しているのか肯定しているのか、そろそろよくわからなくなってきているようだ。

「それでな?歳の差だの犬猿だのっていうハードルは、恋を更に加熱させるのにうってつけなんだ。障害があればあるほど燃えるやつっていうのが、一定数居るんだよ」
 一度だけ読んだわかりやすいくらい恋愛体質の女を思い出す。もう顔も名前も覚えていないが、恋は盲目とはよく言ったものだと感心した覚えがあった。

「悪意から言うんじゃないとわかって欲しいんだが、おまえの母親なんて正にそういうタイプだと思うぜ。彼女は馬鹿じゃあないと思うし、ジョースターさんがそれだけ魅力的な人物だったっていうのはわかる」
 言いながら、そういえば山岸由花子なんかもそういうところがあるなと頭の片隅で思う。彼女の場合は、康一くんという最上級の相手を正式に射止めたわけだから、今回とはまたケースが違うが。

「でも、不倫だからこそ燃える部分があったってなんら可笑しくない。本気でおまえの母親を侮辱する気はないが、正常な状態なら、多分、おまえを産むなんていうのは有り得ないことだと思う。そしておまえは、そういう彼女の血を引いた息子なんだ。……わかるか?」
 言いながらも、侮辱してしまっている自覚はあるので一、二発殴られる覚悟はしていた。しかし仗助は辛そうな顔のまま、じっとぼくを見つめていた。 

「……つまり、今のおれは正気じゃねぇって言いたいんスか?」
 絞り出すような仗助の声に気が滅入る。
「必ずしもそうは言ってない。だがおまえは早急過ぎるんだよ。好きって思った次の日に告白って、何考えてるんだ」
 言ってからしまった、と思う。うっかりと本にして読んだことが露見してしまったか、と。しかし仗助はまた、下唇を噛んで何も言わない。

「とにかく!ぼくはおまえが勘違いしてるんじゃないかって心配なんだ……いや、可哀そうにすら感じてるぜ。おまえ、はじめて告白した相手が男って、仮に正気に戻ったとしたら最悪の黒歴史間違いなしだぞ!」
 誤魔化すように仗助を促して立たせて玄関に追いやる。仗助は何か言いたそうな、何も言えないような、とにかく悲しげな顔のまま案外すんなりと外に出た。

「しばらくゆっくり考えてみろよ。おまえが関係修復したいだけって言うなら、こうして招き入れて茶を出すくらいならやってやる」
 玄関のドア枠に寄りかかって、せめて見送りだけはしてやろうと腕を組む。仗助はようやく下唇を噛むのをやめたが、声も出さずにまだこちらを見ていた。
「勿論なるべく突っ掛からないようにも気を使う。だから……わかったな?」
 少しの間沈黙が流れる。しかし観念したように一礼すると、仗助は背を向けて歩き始めた。その背が可哀そうなくらい丸くなっていて、妙な罪悪感が抜けきらなかった。


 −−−


「……昨日の今日だぞ」
 チャイムの連打に根負けして出た玄関先には、昨日も見たはずの仗助の姿があった。最後に見たように背中は曲がっていないし、表情も晴れやかだったが。
「今日は入れてくれねぇんスか?」
 拒否するのも馬鹿らしくなって、おとなしく招き入れる。昨日と違って迷わずソファーに座ったので、なんとなく安心してぼくも定位置に着いた。

「昨日言われたこと、帰ってからずっと考えてたんっスよ。でもおれ、自分の気持ちを勘違いだなんて、やっぱ思えなかったんっス」
 だからどうしてそう性急なのか、と。しばらくゆっくり考えろと言ったのがわからなかったのだろうか。そこまでこの男は馬鹿だっただろうかと、マジマジと顔を見つめる。何かを勘違いしたらしい仗助は少し口元に笑みを作った。
「おまえ、ぼくがあれだけ言ったのにわかってないのか」
「何がっスか?」
「……おまえと付き合う気はないってことだよ」
 一瞬で仗助の顔が悲しそうにゆがむ。ああそんな顔するなよ、別に泣かせたくて言ってるわけじゃないんだから。
「これはおまえの為でもあるんだぜ、仗助」
 どうにも慰めるような声になってしまった。名前を呼んだ時、ピクリと仗助は身動ぎした。
「別にぼくだって同性愛を真っ向から否定するわけじゃないが、おまえは女が駄目ってわけじゃないんだろう?それなら自分の将来を大事にしろ。普通に結婚して、そして孫の顔を母親に見せてやれよ」
 ぼく自身もぼくの両親も、結婚や血を繋ぐことはほとんど期待していない。けれどそれは家が特殊なだけで、むしろ仗助のような、二人きりで暮らす親子にとっては重要なことのはずだ。

「……それっスよ」
 黙って聞いていた仗助がポツリと呟いた。ん?と聞き返すと、仗助は妙に改まった目つきでこちらを見据えてきた。
「あんた、昨日からずっとおれのこと心配してくれてるっスよね。それからお袋のことも」
 仗助が立ち上がる。少し気圧されるが、ソファーの背に体が触れ、逃げるに逃げられない。
「……何を」
「昨日は露伴ばっか話してたから、今日はおれの話を聞いてくださいよ……」
 テーブルを回り込んで目の前に立つ仗助は真剣な視線をぼくから離さない。見上げながら、思わず息をのんだ。
「どうしておれのこと、そんなに心配してくれるんスか。なんでおれの家のこと、そんなに考えてくれてるんっスか」
「……別に、そんなつもりじゃ……」
「付き合いたくないだけなら、はっきりキライだって、嫌だって言ってくれりゃあ良かったじゃねぇか」
 うっ、と、何も言えなくなる。確かに言われてみればそうだ、仗助の気持ちがどうであれ、ぼくが拒否さえすれば良かっただけの話だ。
「なのに、なんでおれのこと説得しようとしてくれたんスか。突っぱねて終わるところを、なんで、ゆっくり考えろなんて言ってくれたんスか」

「……それは、……」
「なんスか」
 ズイ、と顔を寄せられ言葉に詰まる。目を合わせない方が良い、ようやくそう感じた。
「……おまえが、泣きそうな顔するから……!」
 両手で仗助の胸を押し返そうとするが、ほとんど力が入らなかった。むしろその手を掴まれ、顔を隠すことすら阻まれた。
「泣かせりゃ良かったじゃねぇっスか。別に好きでもなんでもない相手ならさ」
 何の言葉も返せず、ただ戸惑いのままに仗助を見やる。嫌いだ、と言おうとして、言えない自分が信じられなかった。


「……おれも、露伴のこと泣かせたいわけじゃないっス」
 手を離して仗助はまっすぐに立つ。急に離れた距離が、先ほどまでの近さをより鮮明に自覚させる。

「おれの勘違いじゃなかったら……次は露伴が、しばらくゆっくり考えてくださいよ」
「……っ、何をだ……」
 玄関に向かう仗助がまた振り返って、射抜くような視線をこちらによこした。
「……露伴がおれのこと、好きかどうか」

 あの近さを拒み切れなかった時点で、もはや答えは出ているのかもしれない。
 また明日来ますと言って立ち去る背中を、今度は最後まで見送ることがぼくにはできなかった。



 2013/01/17 


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