生命の本懐   承露



「娘が誕生日でな」
 ぼくはそれを聞くだけで、彼がしばらく日本を離れるつもりだと簡単に推測がついた。
「それはそれは、おめでとうございます。いつ発つんです?」
「明後日の朝から……おそらく、一週間程度」
 帽子で視界を隠すのは承太郎さんの悪いクセだ。ぼくはそれを、わざと覗き込むように屈んで彼の瞳を追った。
「もっとゆっくりしてあげれば良いのに。娘さん寂しがりますよ」
 ぼくが寂しがることは置いておけばいい。不倫相手であるぼくが心配するのはお門違いかもしれないが、ぼくの方を優先しているのは多分父親として間違っている。
「そうかもな」
 短く答えた彼は、ぼくと視線を合わせようとはしなかった。

 生物の目的は子孫を残すことだから、自分の血を継ぐ娘がいる承太郎さんはその目的を果たしていることになる。だからあとの余生、ぼくみたいな若い男と遊んでみたって別に良いのかもしれない。
 けどぼくは子供なんていないし、知らない間に女が産んでる可能性も一切ない。なんたって承太郎さんとぐらいしか寝たことがないんだから当然だ。

 代わりにぼくは、後々日本史に残る様な漫画を描いている。

「娘さん、もう本や漫画は読んだりできます?」
 質問の意図が読めなかったようで、ようやく承太郎さんの目がこちらを見た。
「……読めるぜ。結構達者にな」
「ぼくの漫画、持っていきませんか。英語を横に書いてあげますよ」
 日本の友達が描いた漫画だって紹介してください。と、言いつつ笑ってみせると、彼は困ったように少し眉を寄せた。
「英語版が出てないの、最近ネックに感じてるんです。あっちの国の、子供の純粋な評価が聞きたいんですよ」

 彼の娘が、ぼくの漫画を好いてくれると良いな。ぼくの子供である漫画と、彼の子供である娘さんが、なるべく近しいものであると嬉しい。
 結婚した時には、おじいちゃんも好きだった漫画なのよって、生まれた子供に話して読ませてあげたりしてさ。
 まあ、父親の愛人が描いたって知ったら到底好きになってもらえないだろうから、せいぜいバレないように注意しなくちゃな。

「明日の夜までに全部訳しときますから、ぼくからのプレゼントって。良いでしょ?承太郎さん」
 まだ困った顔をする彼に寄りかかると、観念したのか肩を抱き寄せて了解と呟いてくれた。
「シャワー、もう浴びてますんで」
「ん」
 短い返事と共にソファーに二人で倒れ込む。翻訳するのは明日の昼間頑張って済ませて、夜は渡すついでに同じように縺れ込めるといいな。
 
 そういえば満たされない性欲なんかを、絵画やら芸術方面にぶつけることで発散される『昇華』なんて、人間の作用はなんとも面白いな。生きる目的を殺す、それがプラスに働くなんて。
 ぼくが血の繋がる子孫を残せそうにないのは別に昇華の作用なんかではなく、むしろ彼との肉欲には溺れっぱなしだ。

「露伴」
「ッ……はい?」
「愛してる」
 繋がりながら彼が囁く愛は、肉欲そのものなのかすらも危うくて、生殖の、生命の本懐とは限りなく乖離した場所で生まれた言葉だ。
 だからぼくは苦しいふりをして喘いで、それに答えない。背中に爪を立てることすらできない。彼の妻が、彼の娘が決して、ぼくという敵になりうる存在を悟らないように。

 彼の娘は、この先世界に何をもたらすだろう?彼の血を引くんだ、決してつまらない生き方など、ましてや死に方などするわけがない。

「承太郎さん……ッ」
 名前を呼ぶだけで涙が出そうでたまらなくなる。帰る場所がある彼にこうして縋る事ができるのは、こうして繋がる瞬間だけなのだ。何一つ彼に爪痕を残せないぼくは、ただ、名前を呼ぶだけしか。


「また明日寄る」
「はい。お待ちしてますね」
 泊まりもせず家を出て行く彼との関係に焦燥感を感じるのは、きっと生命レベルで間違っていると身体が警告しているに違いない。

 勘違いしてはならないんだ。遠ざかるあの背中を、本気で愛してしまった、なんて。



 2013/01/15 


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