濁り   承露



「先生、どっちか貰ってくれないか」
 そう言いながら、差し出されたのは右手に握られたお茶の缶だけだった。思わず空条承太郎の顔を見上げると、お茶の方を買った後でこっちが飲みたくなって、と説明しながらスープの缶を掲げて見せてきた。
「頂きます」
 どっちかと言っておきながら、と突っ込むのは気が引けたし、缶のスープを飲みたい気分じゃないので納得して受け取ると、目の前に立ったまま彼は缶を開けた。一口飲むのをぼんやり見届けると、白い湯気が一瞬彼の顔を覆って見えた。

「アンタの顔、どこかで見た事があるとずっと思ってたんだが」
 どこかで会った事があっただろうか、と。その湯気の向こうから見つめ返されて、目の前に立っているだけなのに気圧された。知らない内に緊張していたらしい。お茶の缶を握りしめていたのには手のひらが熱くなってきたところで、ようやく気付いた。
「ぼくですか?」
 それを悟られない様にとぼけながら返して、自分も缶の蓋を開けて湯気の壁を作った。口に含むと温もりが冷えた身体に染みるようだった。
「そりゃあ、去年から何度もお会いしてますから」
 それから周囲をぐるりと見渡す様に言うと、彼もそれにつられる様に首をめぐらせた。公園は寒い季節らしく普段よりも人が減っていて閑散とし、木々も葉を落しきっている。目の前の池なんかは夏に比べると暗い緑色に濁って見えた。きっとこのお茶もこんな風に濁っているんだと思うと、急に苦みが嫌な味に感じた。
「まあ、そうだな」
 こちらに顔を向け戻した彼は、言ってから呷る様にまた一口スープを飲んだ。その言い様がいかにも適当な相槌に思えて、少しだけ苛立った。

 空条承太郎が杜王町を頻繁に訪れているのは知っていた。夏に吉良の事件が収束して以降、アメリカとを行き来をしているらしい。時折町中で白いコートに身を包んだ彼の姿を見かける事があった。夏の間最後まで知り合う機会のなかった自分には理由がわからないが、大方こちらとは犬猿の彼の叔父が関係あるんだろうから、詮索するのは控えてきた。年が明けてから急に話しかけられるとは、まさか思ってもみなかったが。
「……漫画家として、顔出しもしてますよ。それで昔、見た事あるのかも」
 ふと思い出して、丁度持っていた鞄を叩く。中には受け取ったばかりの雑誌の新年号が入っている。ここ数年は無くなったが、本誌では例年作者の写真が表紙に使われていた。それで載った事もあったし、単行本にも載っている。そこらの一般人よりはおそらく、顔が知られていても自分の場合可笑しくないだろう。
「そうだな」
 ただ、フォローで言ったつもりだったが彼の返答は変わらず適当に思えた。何のために話しかけて来たのか不審に思っていたが、本気でお茶の缶を処分するためだったのかもしれないとすら思えた。

「缶のは缶で良いんだがな」
 黙ったまま自分も缶を傾けていると、彼の方はもう飲み終わったらしく呟いた。見上げると、缶を逆さまにしてまで最後まで飲もうとするのが意外な気がして、少しだけ許そうという気が湧いた。
「良ければ夕食でも一緒にどうだ?」
 けれど、少し気が抜けた所でまた彼がこちらに向き直って言ったのが、先ほどまでと同じ様に飄々とした態度だったせいか、虚を突かれて思わず目を見張った。
「はぁ?」
「ちゃんとしたスープが飲めるフルコース、どうだ」
 こちらの動揺に気付かないはずもないのに、彼の表情はそのままだった。それでようやく、最初からそのつもりで話しかけて来たんだろうと想像がついた。

 缶の残りを自分も呷ると、濁ったお茶の味がひと際苦く感じた。
「……もしかして、ナンパのつもりでした?」
 顔を向け直しながら訊ねても、やはり彼の表情は変わる気配がない。

「どうかな」
 濁す様な彼の言い草が、また少し腹立たしかった。



 2014/01/06 


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