夕餉のスープ   承露


 
 作り始める前にはさほど空腹を感じていなかったのに、良い匂いがしてくると今にも腹が鳴りそうな気がしてくる。もう夕食時だから当たり前だけれど、全身が気怠くてそっちに気が行っていなかったらしい。
「美味そうだな」
 肩を抱く様に、背後から承太郎さんが鍋の中を覗き込んだ。湯気が視界を覆って一瞬目を細めたのを横目で見てから、自分も鍋の中身を覗いてぐるり、と優しく底からかき混ぜる。ビーツがたっぷり入った冬にはうってつけのスープがもうすぐ出来上がる。

「承太郎さん、夕食は食べずに帰るって言いましたよね」
 少し背を反らせて押し返しながら言うと、またそれを押し返す様に覆いかぶさってくる。確かに意地悪い調子で言ったけれど、数時間前に彼が言った事なのは本当だ。
「引き留めてくれないのか?」
 食べて行って欲しいのはこちらも山々だ、と口に出すのは癪だった。実際そう思っているから余計。彼が帰る前に作り始めたのも正直当て付けしたい気持ちが多々あったせいだ。
 半年ぶりだというのに、たった数時間の滞在でろくに食事を共にする事も出来ない。わかっていて彼と関係したはずなのに、いかにも自分は二号さん、という気がして惨めだった。忙しい合間を縫って会いに来てくれている、と思えば中々良い気がしてくるが、今のところ自分にはそんな風に思う事が出来そうになかった。

 こちらが不満げなのに気付いたらしい承太郎さんが、機嫌を直せと言いたげに鼻先を摺り寄せてくる。それで誤魔化されてしまう自分が一番、情けなくて嫌だと思う。けれどふと、いつもなら感じる金属の冷たさを感じないのに気付いた。自分の耳に触れるとやはりイヤリングを付けていなかった。
「鍋、見といてください」
 見ておく必要はほとんどないけれど一応そう言っておいた。寝室に行くと、イヤリングは記憶通りベッドのサイドテーブルの上にしっかり二つとも置いてあった。置いたのは自分で、それもほんの数時間前の事なんだから当たり前ではあるんだけれど。
 そのままライトを付けずに薄暗い中でイヤリングを付けようとすると案外難しかった。結局明かりを点しながら、また何故だか惨めな気がした。

 キッチンに戻ると、承太郎さんはちゃんと鍋を見ていてくれたらしい。まだ家に残っていてくれてホッとしたけれど、良く見ると彼が流しに小皿とスプーンを丁度置いた所だと気付いて呆れてしまった。
「承太郎さん、食べたでしょ」
 覗き込むと、やはり皿には薄ら赤いスープのあとが残っている。まだ煮込んでいる途中だったのに、とか、そのスプーンだって顔が映るくらいよく磨いたばっかりだったのに、とか、色々言いたくなってくる。
「つまみ食いだなんて悪い事、おれには出来ない」
 けれどこの男に真顔で冗談を言われると、怒る気が萎えてしまう。悪びれもせずに笑って覗き込まれるとまた別に腹立たしい気がしてくるけれど、そのままキスされてそれもうやむやになってしまう。誤魔化されたんじゃなくて、キスで誤魔化そうとするその態度に徹底的に呆れただけだ。
「やっぱり食べたね」
 それもキスするとスープの味がしっかりするのがわかってしまったんだから、どうしようもない。唇が離れてすぐにそう言うと、今度は弁解もせずに承太郎さんは笑った。
「美味かったぜ」
 それから御馳走様、と付け加えた。もう怒ってはいないが、彼がどこまでもわかっててやってるんだと思うと、余計性質が悪いとしか言いようがない。

「あれ、サワークリーム入れた方がもっと美味しいんですけどね」
 帰ろうとする彼の背中にせめて一矢報いたい気持ちでそう嘆いて見せても、彼は実際引き留められてくれるつもりが一切ないらしい。
「なら、次に来る時はまた作ってくれ」
 その次があるのかすらこちらに希望を持たせてくれないくせに、そう言って承太郎さんは笑って見せた。
「……嫌ですよ」
 一瞬押し黙ってしまったのにも気づいているだろうに、彼は何も言ってくれないのだ。

 冷めるだけなのがわかってるスープなんて、ぼくに作らせないでくれ。



 2013/12/24 


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