人生は未練   仗露 *仗助成人済



 薄汚い店構えではあるが、味は確かなこの中華料理店を二人は気に入っていた。

「家、買い戻す気はねぇんスか」
 熱いラーメンを啜るに啜れず、仗助は炒飯を崩しにかかっている露伴へ問いかける。
「売れる前に金が貯まったらな。別に新しい家を買ってもいいが」
 レンゲを口に運びながらなんともない風に言う恋人を、仗助はもはや感心する目で眺めた。
「あの家スゲー良い家なのになぁ」
「当たり前だろう、ぼくがこだわって建てたんだ」

 岸辺露伴は数か月前に破産した。借金こそないが自宅も抵当に取られ、今は親友の家に居候をしている。
「ならもっと執着しましょうよォ〜」
 仗助にとってもあの家は特別だった。学生の頃も就職してからも、二人で一番長く過ごしたのはあの場所だった。
「未練がないわけじゃない、けど仕方ないことだろ」
 それに一つの場所に居ないとできない仕事でもないしな、と。本当になんでもない風に露伴は言う。
「……だよな、東京でもどこでも、漫画は描けるしな」
 一方の仗助はこの町の小さい駐在所勤務だ。気が向けば外国でもどこにでも行ってしまえる露伴とは、正反対の立場。
「心配しなくても杜王を出ていく気はないぞ。康一くんのご家族も随分良くしてくれてるしな」
「なっ、」
「犬みたいな顔しやがって。わかりやすいんだよ、おまえ」
 露伴は楽しそうにニヤニヤと笑う。完全に心を読まれていて、仗助は何も言えずにラーメンに手を付けた。まだ熱くて、やはりすぐに箸を置く。

「ま、あの家はぼくの好みだけで建てた家だからな。狭いのは嫌だが、今思うと一人用にしては広すぎたし」
 口をもぐもぐさせながら言う露伴はまだ少しニヤニヤしている。
「そーっスか?天井高いしソファーとかもでけーし、丁度いい広さだったっスよ」
「それはおまえがでかいせいだろッ」
 口調は非難めいていたが、楽しそうに笑っているのを見る限りそれほどストレスは溜め込んでいないようだと、仗助は安心した。破産した直後は、流石に露伴も疲れ切った態度を隠せずにいたのを思い出す。
「それに、おまえが来てる時は二人だったんだからな」
「あ……そうっスよね〜」
「一気に顔が緩んだな。本当におまえ、わかりやす過ぎるぞ」
 露伴に指摘されなくても、仗助は自分が今最上級の笑顔になっているのがわかった。
 確かに二人で過ごすには丁度いい家だったのだ。だからこそ、仗助は惜しくもあるのだが。

「次はおまえに占領されないように洗面台は二つ作る。これだけはもう決定だ」
 レンゲをくるりとひと回転させて露伴が演説する。その言葉だけで仗助は嬉しくなった。
「えっ、おれ専用の洗面台、作ってくれるんっスか?」
 また何か馬鹿にされるかな、と仗助は思ったが、露伴の方は案外神妙な顔もちでもう一度レンゲを回した。
「そうだ。ついでにトイレも二つ作るか?風呂は……バスタブをデカくするだけで良いだろうな」
「えっ、え、何、マジで新居建てるの、検討してるんスか?」
「割と本気だぜ。また金を貯めるところからやり直しだけどな」
 よくやくラーメンを口に運びながら、仗助は困惑する。露伴がどこに住むかは勿論露伴の自由だが、あの場所と違う所に露伴の家があるというのは違和感を感じそうだ。

「……おれ、やっぱ前の家のままがいいなァ」
「……そうか?」
 露伴が手を止めて、探るように仗助を見据える。
「うん。やっぱあの家が露伴っぽい。おれも出せるだけ出すからさ、買い戻そうぜ」
「……それも良いかもな」
 露伴が急に気落ちしたように見えて、また仗助は困惑した。自分の口出しすることではなかったのかもしれない。
「それにほら、おれ用の場所作っちまったら、二人の新居、みたいじゃん!」
 おどけた調子で言うのを、露伴はますます暗い顔で見つめた。仗助はなにが彼の機嫌を損ねたのかわからず、ラーメンを食べる手を止めた。
「……ぼくは、そのつもりだった」
「えっ」
 仗助が驚いて見つめ返すと、露伴は気まずそうに目をそらした。
「別に一緒に暮らすってつもりだったんじゃないぞ……おまえには母親もいるし」
 露伴はどうも朋子に気後れするらしく、康一の家よりもこっちに住めばいいと仗助が説得したのを頑なに拒否した。だからと言って嫌っているわけではなく、むしろ一人息子を男の自分が奪ったという罪悪感から、遭遇するたびにいつもすまなさそうに対応をしていた。 
 今回も、露伴は息子と二人で暮らすという幸いを彼女から奪いたくないと思った。一緒に住もうという仗助の提案をいつも躱していたのも、同じ理由からだ。

「……露伴」
 チラリと仗助の方に視線を戻すと、仗助は両手で顔を覆って俯いていた。
「……どうした」
「おれ……嬉しすぎて、もー顔あっつい」
 モゴモゴしながら仗助が言うので、露伴は好奇心を刺激されその手をどかせようと掴み引っ張る。
「ちょ、ホント見ないで、マジ赤くなってるってこれ」
「何を真っ赤になる必要があるんだよ」
「だって!嬉しいに決まってるじゃん!露伴と二人で住む家とかさあ!」
 仗助のほとんど叫ぶような声で、厨房から店員がこちらを訝しげにのぞいてくる。慌てて露伴が黙れと殴るが、仗助はそれをものともしない。
「……露伴、やっぱあの家買い戻そう」
 露伴の腕を逆に仗助が掴み、机の上で握りしめる。露伴は店員の視線が怖かったが、身を乗り出す仗助の真剣な顔の方がやはり優先された。
「そんで、洗面台だけ改装しよう。……心配かけねえ程度にちゃんとお袋と暮らすけど、おれ、出来るだけ長く露伴と一緒にあの家で過ごしたい」

 仗助がまっすぐに見つめてくるのを、露伴も視線をそらさずに受け止めた。少し間をおいて、ゆっくり目を伏せた。
「……ぼくも、一応あの家に未練はあるからな」
 露伴はわかったよ、と言って仗助の手を振りほどく。呆れたような口ぶりだが、口元に嬉しそうな笑みが隠せていないのを仗助は見逃さなかった。
「マジ、おれも出しますからね。早くあの家に帰りてぇっスもん」
「おまえの雀の涙程度の給料でも、確かにないよりはマシだな」
 露伴がレンゲを持ち、少し冷えた炒飯を口に運ぶ。仗助も、のびてしまったラーメンを口いっぱいに啜り始めた。
「あまり期待しないが、改装代くらいは絶対出せよ」
 露伴の嫌味も、今の仗助にはほとんど意味をなさない。
「二馬力って、マジ夫婦みたいっスね。働く意欲湧きまくりっス!」
「フン……おまえ、もうちょっとゆっくり食えよ」
 露伴が食うの遅いんっスよ、とは返さず、仗助は少しだけ食べるペースを落とした。

 これからもこうして食事を共にするように、二人だけの時間をいつまでも大切にしていこう。



 2013/01/12 


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