聴き手 仗露 多分何か言いたい事があって家に来たんだろう。最初に訪ねて来た時、仗助はそういう顔をしていた。 てっきりまたイカサマを仕掛ける気かと思って追い返そうとしたが、用件を言わせようとしても言いづらそうに何故かはぐらかされた。焦れている内、リビングで流していたCDに気付いたらしく「何聴いてんの?」と訊ねられた。 きっとあの時素直に答えたせいで、自分はあの言葉を結局聞かず終いになったのだ。 来るのは大抵夕暮れ時で、学校の帰りなんだろう。週に一度くらいのペースで仗助はCDを返しに来て、それからまた借りていく。音楽好きと聞いた記憶はあったが、今までそんな話題をする機会には恵まれなかった。CDを貸す様になってからもほとんどしないが、あの曲が良かった、なんて返す時に仗助が言う内に何となく好みの傾向は把握できる様になった。仗助の方も、CDをぎっちり詰め込んだ棚を毎週物色している内にぼくの好きな傾向がわかってきているかもしれない。もっとも、本当にそうなのか訊ねた事がないので実際がどうなのかはわからなかった。 「露伴、これさぁ」 洋楽の好みは大方合っているらしいが、クラシックや少し古い邦楽は仗助にピンと来ないらしいと割合最初の方に気付いた。もうそろそろその洋楽のストックも尽きる頃で、そうなると仗助も訪ねて来る事はなくなるんだろうとぼんやり想像していた。けれどその日、仗助が棚から取り出してきたのはCDの小さなケースではなく、大きくて平べったいLP盤だった。 最近ではCDの音源でしか曲を聴いていなかったせいでレコードの類は棚の下の段の、埃も被らない様な引き出しに詰め込んだままになっていた。けれど祖父や父から譲り受けたおかげでそこそこの枚数がある。下手をするとCDよりも多いかもしれなかった。 「よくこんなの引っ張り出して来たな」 持ってきたのはやはり洋楽で、古い曲だが確かに仗助も好きそうだった。少し古びたジャケットで懐かしい気持ちをそそられる。しげしげと眺めていると仗助がまた、小さく言いづらそうに一瞬口ごもった。 「でもこれ、おれんちじゃ聴けないんスよね……」 けれどもごもご、言い訳の様に言いながら胸の辺りにそのLP盤を掲げて見せた。その様子が叱られた犬の様にこちらを目で窺っている様に見えて、むしろ本当に叱りつけてやりたい気がむずむずしてくる。けれど一方で、実に素直なガキなんじゃあないかと騙されてしまいたい気も起きた。 「……プレイヤーは二階だ」 仗助の手元から円盤を受け取って天井を指差す。仗助は驚き半分、喜び半分というのがぴったりくる様な顔で、目を丸くさせた。 「マジ良いの?」 嬉しそうな声で階段を登りながらついてくる、その調子も実に犬の様でこっちまで何故か愉快になってくる。勿論それを顔や態度に出す気は更々ないが。 「ぼくも久しぶりに聴きたくなっただけだ」 久しぶりで少し手間取ったが、曲が流れ始めると先ほど以上に懐かしい気分になってくる。じっくりと聴きたくなって仗助が座っている隣に陣取ると、ソファーのギシッという音に驚いたのか仗助がこちらを向いた。そのままじっと送られてくる視線で気が散って、曲に聴き入る事ができなかった。 「何だ?」 睨みつけると慌てた様に一度目を逸らしたが、すぐに気を取り直した様にこちらを向き直した。けれどまた、何か言いづらそうに口をもごもごさせた。 「いや、億泰も今度CD貸して欲しいって言ってたっスよ」 迷った末に出て来た言葉がそれで拍子抜けしてしまう。そんな程度の事を躊躇った素振りには見えなかったが、よくよく考えるとこちらが毎度のごとく仗助に文句や嫌味を言ってきた事も事実だと今更になって気付いた。 「億泰に?嫌だよ」 それなら確かに何か一言だけ言うのでも躊躇われるかもなと思いつつ、嫌なものは嫌なのでそうばっさりと切り捨てる。仗助がまた驚いた様な顔をした。 「……おれには良いのに?」 けれど仗助の物言いが、まるで決死の覚悟の末の言葉なんじゃないくらい切羽詰まった声に聞こえて。今度は、こちらが驚かされた。 「汚したり割ったりされたらムカつくだろ」 なるべく驚きを隠した声であっけらかんと言ってみせるが、仗助の真面目な表情が崩れなくて余計驚く。 「おまえならスタンドで直せるからな。得したじゃあないか」 だから茶化す様に笑いながらそう言って、人差し指でトン、と肩を突いて見せる。仗助も何に驚いたのか、一瞬ビクッと肩を撥ねさせた。 「……ッスね」 かと思うと、すぐに何故か気落ちした様な声音になった。その低いトーンよりレコードの音が大きくて、こんな曲だったなぁとまた頭の片隅で懐かしい気概が沸いた。 「何だい、その顔」 俯いた仗助があんまりに拗ねた様な顔になった理由が理解できずに、何となくこちらも声が険ある物になってしまった。仗助は一瞬チラリと視線を寄越したが、すぐにまた自身の膝に落した。 「何でもねぇよ」 やはりその様子が、叱られた後の犬の様に見えて仕方なかった。 「……言いたい事があるならさっさと言ったらどうだ?」 どうしても、仗助の曖昧な態度を見ていると胸がざわざわしてしょうがなかった。余計叱りつけるかむしろ優しくしてやるか、兎に角、どうにかしてやりたくなってくるのだ。 仗助はCDを借りていく代わりに、もしかするとこれからこうしてレコードを聴きに来る様になるのかもしれない。少し前ならどう思っていたかわからない。それこそ断って、捨て犬同然に干渉を避けていたかもしれない。けれど今はどういうわけか、懐いた犬を簡単に捨てるのは忍びないのではないのか、程度には、少なくとも情があった。 もっとも本当に情なのかはよくわからない。CDを貸し続けたのもレコードを聴かせたのも全部、仗助が何か言いづらそうにしていたあの言葉を言わせたかったからに過ぎない。最初の時点で聞けていたらきっとこんな事していなかったはずだ。 別に言う事が本当にないのなら良いのだ。それならあとはレコードをじっくり聴いて楽しむだけだ。今日こそ言わせてやろうと思ったが、聴き手として自分が不向きな性分なのは知っていた。けれど、明らかに何か言いたそうなのは本当に、仗助の方なのだ。 しばらく黙ったまま、仗助は曖昧な表情のままこちらを見つめていた。けれどやがて、困った様な目のまま、またその顔をスッと伏せてしまった。 「……言えるかっつーの」 ほら、やっぱり言いたい事があるんじゃあないか。 2013/11/19 |