臆病風   仗露



 脇腹には貫通した跡。
「そこ、まだちょっと痛い」
 言われて、露伴は触れていた手をすぐに離した。けれど少しの間を置いてまた、仗助の全身に散りばめられた傷をなぞっていく。
 仗助はクッションを抱えたままくすぐったそうに身をよじって、うつ伏せだった身体を仰向けにした。今度は腹の傷に触れて、露伴も見上げてきたその顔を逆さまに覗き込んだ。
「露伴はさぁ」
 覗き込まれて嬉しそうに微笑む仗助の声は、寝起きに見合うまどろみに満ちていた。
「死ぬまでにやりたい事って、何かある?」
 また、露伴は愛撫する手を止めた。少し目を見張ったのが仗助にも見て取れた。しばらく黙った後、今度は腹の方から貫通した傷跡に優しく触れた。 
「……何だ?怪我してビビっちまったのか?」
 ただでさえ傷跡だらけだった仗助の身体に、吉良との死闘で更に多くの傷が刻まれた。
 仗助本人はまるでどうという事のない傷の様に話す。しかし、露伴から見てもその傷跡は凄まじかった。百戦錬磨の兵士とはわけが違う。ただ一介の、日本の高校生の身体が、やもすると死んでいた様な傷で埋め尽くされているのだ。
「違げぇよ」
 馬鹿にする様な口調で言われて、一瞬仗助はムッとした。
「……でも、死ぬ時って選べるもんじゃねぇよなーとは思った」
 けれどすぐ、露伴の表情が曇った事に気付いて、そう付け加えた。
「絶対やっときたい事、露伴はねーの?」
 撫でられるがままに、仗助はまた覗き込んでくる露伴の顔を見上げた。仗助は、露伴が傷跡を撫でる時の手つきが好きだった。触れられる感触もそうだが、何かを思い詰める様に、辛そうに、けれど慈しむ様に触れる露伴の表情が愛しかったし、露伴の手の流れる様な動きも綺麗だった。だからこうして撫でられる度、どれに意識を向けるべきかいつも迷った。
「そうだな」
 露伴が思案して頭上を向くと、愛撫する手も同時に止まった。口をわずかに顰めて次の言葉を考える、その顔も仗助にとっては好ましく思えた。

「……漫画を描く事」
 やがて露伴が真面目な顔で呟いた。
「もう今やってんじゃん」
 思わず噴き出した仗助を見て、露伴は一瞬怒った様な顔で口を開いたが、すぐに自身も困った様に笑って見せた。
「やりたい事はその時にやってきたんだよ、ぼくは」
 言いながら、それでも少し気には触ったらしく、仗助の脇腹を指先で抓った。また身をよじって仗助が逃げる。嬉しそうな笑顔のまま、露伴の胡坐の上に頭を乗せた。

「そうだな。じゃあおまえの髪型、一回くらいはぐちゃぐちゃにしてやりたいかな」
 乗せられた頭の、髪の部分には触れずに、露伴は顎の先からまた撫で上げていく。頬を緩く抓られて、今度は首を逸らして逃げた。
「結構されてる気もすっけど」
 乱れきっている仗助の今のリーゼントは、半分は寝ている内にそうなった。けれど、露伴が縋る内に乱れた部分も多かった。
「五月蠅いな。……お前が本気でキレるくらい、だよ」
 露伴自身は無意識だったらしい。言われて思い出したらしく、一瞬だけ悔しそうに眉を顰めた。

「それが死因になるくらい滅茶苦茶にしてみたいよ」
 仗助の頭を抱える様に、露伴は両手で頬を挟んでその顔を覗き込んだ。まるで悪戯を思いついた子供の様に目を輝かす、その表情を見て仗助は言葉に詰まった。
「……それって喜んで良いの?おれ」
 殺してくれ、と言われている様な物だった。挑発する様な瞳のせいで余計仗助にはそう思えたらしく、困惑した声音で躊躇いがちに訊ねた。
「良いんじゃないか?」
 とぼけた返答をして、露伴はまた笑って見せた。

「……じゃあおれも」
 少しの間黙っていた仗助も、やがて呆れた様に掠れた声で笑って、小さく呟いた。
「死ぬまでには一回くらい、あんたに滅茶苦茶にされてみてぇって事にしとくよ」

 口元を緩く指差すと、それに答えて露伴が前屈みになり、触れるだけのキスを落とす。その距離のまま示し合わせた様に微笑み合った。
「お互い、それまで死ねないな」
 何故だか泣きたい気持ちを堪えながら。露伴はもう一度、仗助の傷を優しくなぞった。



 2013/11/07 


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