霧の朝   仗露



 ただ遠くまで、真っ白だった。

 徹夜で原稿を仕上げて、最初は空が白んできたのかと何気なく窓の外を見て、驚いた。思わず着替えて散歩の準備をした。
 玄関から一歩出るのを戸惑うほど、見渡す限り町中に霧が立ち込めていた。街灯はまだ灯が燈っている。近所の家の輪郭もおぼろげで、一キロ先はもう何もわからない。出すのは早かったかも、と思っていたマフラーを首にかけ改めて外に出る。日が明けきらない早朝の杜王町は酷く静かだった。

 高い樹木の一番先も白い靄に包まれている。イチョウの並木であるのが足元の石畳に落ちている、まだ緑色の葉でわかる。湿り気を伴っている落ち葉はどこか重たく見えた。きっとあと数時間もせず、朝日が差してこの水滴をキラキラ照らすんだろう。今はまだ湿った空気と薄暗さが周囲を包んでいる。それに、昨日まで以上に寒さが増していた。

「……露伴?」
 滑らない様に足元に気を付けながら歩いていて、どこから声が聞こえたのか最初わからなかった。ぐるりと見渡して、丁度背後に人影があるのにようやく気付いた。
「誰だ?」
 立ち止まると、自分のブーツが石畳を蹴る音が消えてやけに静かになる。近づいてきたのは仗助だった。いつもの学生服ではなく、ラフなジャージを着込んでいる。スニーカーの足音はイチョウの葉がほとんど吸収してしまうらしかった。

「朝から会うとかはじめてっスね。早起きして得した」
 いかにも嬉しそうに笑ってみせる、その仗助の顔にも薄らと白い霧がかかってはっきりとしない。それが勿体ない気もするが、面食らっている自分の顔も少しはおぼろげだろうと思うとその方が良い気もした。
「こんなに霧が立つんだな、この町は」
 もう一度、周囲の霧をぐるりと見渡す。ひんやりとした空気がゆっくりと頬を撫でた。もしかすると、朝や夜は良く霧がかかっているのかもしれない。自分は外に出る用事は日中済ませる事にしているので、こんな時間から出歩く事は今までなかった。
「この季節には珍しいっスね。夏の方が海霧で良くこうなるんスよ」
 海の上で出来た霧が、風に乗って町を包むんだ、と。言いながら、仗助も空を見上げる様に見渡した。それから海のあるらしい方向を指差す。町に来てまだ一年も経たない自分には、本当にそれが海のある方向かは判別できなかった。
「……良く知ってるな」
「じいちゃんが言ってただけっス」
 素直に驚かされたのが馬鹿みたいで、呆れた顔をして見せると仗助の方もバツが悪そうに眉を下げて笑った。やはり霧の白さで、こんなに近づいていても輪郭がはっきりと見て取れない。それでも、仗助の鼻の頭が寒さからかほのかに赤くなっているのがわかった。

「雨は秋の方が多いっスよ」
 見えもしない海の方を見つめていると、仗助がまた天を仰いだ。頭上も同じ様に霧が立ち込めて何も見えない。夜が明けきる前の薄暗さの中、街灯だけしか照らすものがないのが、急に頼りなく思えた。
「梅雨より?」
「梅雨より」
 仗助が真面目な顔でオウム返しするのが愉快で、思わず笑ってしまう。けれどすぐにまた静寂に戻った。
 梅雨の時期にどれだけ雨が降ったか、夏の頃どんな風に霧が立っていたのか。越してきて様々な事件と遭遇する内、自分にはそれを気にする余裕がきっとなかったんだろう。それがようやく、こうして寒い季節を実感できるくらいまでになった。それが良い事なのか悪い事なのか、今はまだわからない。
「……今から億劫だ」
 俯くと、またイチョウの葉の青さが目に写る。霧の中でもその色だけはやけに鮮やかに見えた。その鮮明さがむしろ、輪郭の危うさを強調させている。やはり何もかもが頼りない。
「でも、あんたが想像するより寒くはねェっスよ、きっと」
 いつもの明るい仗助の声が、今は嬉しかった。

 

 2013/11/02


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