いきたい 承&露 *死ネタ それは吉良が死んだ直後のことで、てっきり彼はもうアメリカに帰るものだと思っていた。 真夜中にいつも通りのコートで来訪した空条承太郎は、どこか目の焦点が合っていないように見えた。彼は随分と長く黙り込み、出した紅茶に手も付けないでいた。その沈黙に痺れを切らしたのはぼくの方だ。 「ヘブンズ・ドアー!」 本にした彼の身体がゆるりとソファーに沈み込む。わざわざ来ておいて何も喋らないのは彼の方なんだから、ぼくは決して悪くない。そういえば接点なんてほとんどなかったから、彼を本にしたのも能力を見せたのも、これが初めてだ。来た理由のついでに、他の面白そうな部分も存分に読んでやろう。ニヤリと笑いながら近づいてページを捲ってみて、すぐその笑いは消え失せた。 内容は読める。文章から彼の理知的な考え方が読み取れるし、口にしないだけで様々な感情が渦巻いているのもわかった。 けれど。 その文章の合間を埋めるように、『死』の文字が何千と刻まれているのだ。 どういうことだ、とページを捲ってみる。見れば、ある日を境に『死』の文字が書かれ始めているのがわかった。随分と前の出来事だ。ぼくはその場に居合わせなかったが、承太郎たちは吉良を一度追い詰めたことがある。しかし寸前のところで逃げられ、靴屋の主人など三人が殺されてしまった。 その際吉良の爆弾で傷付いた承太郎は、仗助のスタンドで助けられた。 けれどそれは身体の再生にのみ作用した。本来、彼はその時に死んだはずだったのだ。 その日から承太郎は、それこそ生きる屍のごとく、半分死んで、半分生きたまま生活を続けていたようだ。吉良との決着がつくまでは持ったようで良かった、と他人事のように書かれた次のページに、もうそろそろだろうか、と。ページが新しくなる毎に、彼の地の文は減り、代わりに『死』の字は増えていく。 『仗助達には死ぬまで気付かれたくない。ジジイにも。財団の連中に話せば大騒ぎになるだろう。アメリカの家族になんて、もっての外だ。』 承太郎は死に瀕してみて、どうすれば周囲に気遣われることなく逝くことができるかを追求したようだった。そこで白羽の矢が立ったのが、他人でしかも死を悼みそうにない『岸辺露伴』、このぼくだったのだろう。 『杉本鈴美を見送った後ですまないことだと思う。だが岸辺露伴ならもう良い歳だし、接点も無いから悲しむこともないだろう。人の死に際を自由に見れる、という取材なら、好奇心旺盛な彼への礼にもなる。』 すまないと思うなら一人でさっさと死んでくれ、と読みながら思ってしまう程度に、確かにぼくは冷たい奴だ。人を見る目があるのだろうと少し感心した。 『やり残したことはない。身内に宛てた遺書は弁護士に発送した。岸辺露伴のスタンド能力なら、この部分も本にして読まれているのだろう。あんたがおれの死に際を看取った場合、こちらから頼んだことだという旨は遺書に書いているから安心して欲しい。』 用意周到じゃあないか、と思うが、ぼくが引き受ける前提なのは少し癪に障った。家を訪れたのは既成事実の為だろうか。確かに居座られたまま家で死なれたら困るもんな。 『ホテルで一人死ぬのも考えたが、ここに来て怖気づいた。誰かに、どんな形でもいいから看取られたい。けれどやはり近しい人間には申し訳が立たない。岸辺露伴には、すまないことをする。』 だから、すまないと思うならやらなきゃいいだろうに。死ぬ時は一人で死にたいと思っていたぼくとは正反対だ。 『あと数日も経てばおれは死ぬだろう。死に際は岸辺露伴が看取りたいように誘導してくれると有難い。死に際の理想なんてないし、彼の参考にできるだけなれば良い。』 内臓を取り出しながら死ね、と言えばその通りにやってくれるんだろうか。流石にぼくもそこまで非道じゃあないけれど。 しばらく考えて、『死』の文字のない辺りのページを何枚も千切り取った。それから、新しい方のページに書き込みも。 『今夜が峠だと思ったら再び岸辺露伴宅を訪れる。』 これだけでとりあえず良いだろう。 −−− 「で、どうしましょうかね?あんたなら海とかで死にたいのかなぁ。水葬ってやつ」 わざと軽い調子で言ってみたが、彼は先日訪れた時と同じく押し黙っていた。 「海、行きたくないですか」 今度はしっかり目を見据えて問う。 本にして返事を読もうかと思った矢先、彼はポツリと、いきたい、とこぼした。 「じゃあ行きましょう」 外出の準備をするから少し待ってて下さいね、と言うと、承太郎は苦々しそうにすまないと呟いた。 夜道を歩いていると、丁度最終のバスが来た。中に客の姿はないので、気兼ねなく二人用の席に並んで座れるだろう。承太郎は視力も既にほとんど無く、家を出てから何度も躓いた。そんなんでよく家までたどり着けたものだとまた感心した。 バスのステップでまでコケられると恥ずかしいから何の気なしに彼の手を引いた。しかし彼の手は冷たく、死人の手と言っても変わりない気がして背筋がうすら寒くなる。 今になって急に後悔していた。人の死を手伝うだなんて、やっちゃいけないことだったのだ。最初に家に来た時点で仗助でもジョースターさんでも、誰でもいいから呼んで身内に任せてしまえば良かったのに。 様々な悪態が頭の中を駆け巡ったが、もう後には引けない状況だという諦めも同時に浮かんだ。せめて穏やかに逝かせてやろう。どうせ乗りかかった船だ。 真夜中の海はどこまでも黒く、空恐ろしい。バスから降りたまましばらく二人で眺めている内に、なんとはなしに自分も死んでみたいと思った。勿論思っただけで、実際に死のうとするのと死にたいと夢想するのでは雲泥の差がある。想像するだけでとてつもなく隣に立つ男に失礼な気がした。 「……行きましょうか」 もう一度手を握る。ヒヤリとした大理石みたいな感触を、ぼくはきっと二度と忘れられない。そのまま一緒に波打ち際に足を踏み入れると、不思議そうに承太郎がこちらを覗き込んできた。 「こうなったら最後までお見送りしますよ。ぼくが下手して溺れるよりはあんたが死ぬ方が、早いだろうし。それに心中を描く時に使えそうだ」 承太郎はまだ不思議そうにしていたが、もう呟く気力もないらしい。 「破らせてもらったページのね、あんたの記憶を色々読ませてもらいましたよ」 もっとも面白そうなところだけですけど、と、ザブザブと波をかき分けて歩きながら話しかける。耳は聞こえているんだろうか。ほとんど反応もないのでぼくにはわからない。 「あんたは凄い人だった。みんなのヒーローで、強く頭が良くて……こんなことで死んでいくなんて、この世界から一つ宝が失われることなんだろうなって思いました」 死者を弔う言葉をぼくは知らない。いや、これから死んでいく者を悼む言葉を知らない。 「ぼく、もっと自分に自信がありました。誰よりも出来が良いって。でも、あんたには勝てなかっただろうな。というか、勝ち逃げだし」 そろそろ足がつかない。けれどもっと承太郎に言いたいことがあった気がした。 「……」 「承太郎さん?」 立ち止まった承太郎は、空いている方の手を上げて波打ち際の方を指差した。ぼくに、もう陸に戻れと言いたいんだろう。 「ここでいいんですか」 承太郎は言葉を発しない。代わりに緩く上を向いて、海に身を預けた。 「……ぼく、最後まで見送るってさっき言いましたよ」 だから、握った手を離さない。承太郎が視線だけで、それを非難しているように見えた。 その時思いがけない大きな波が起こった。 飲み込まれながら、彼の手を離せなかった。波が視界を覆う寸前、承太郎が口を開いたように見えたからだ。 ふと彼の声がフラッシュバックした。街中で会った時の声なんてほとんど覚えていない。覚えているのは、すまない、と呟く声と、それから、海に行くか訊いた時の、 あんたあの時何て言ったんだ。 なあ、おい。 いきたいって、生きたいって言ったんじゃなかったのか。 問いかけようとしても海はぼくらを咥えて離さない。服や靴が邪魔で、どうにも上手くもがけなかった。彼の命ももう既にここにはないのかもしれない。 明日の新聞に男二人の心中が面白可笑しく書かれるのだろうか。 ぼくはくだらない想像を最後に、意識を手放した。 2013/01/10 |