芝の庭 仗露 杜王町に移り住む事にした様々な理由の内の一つに、芝の庭がある。 東北の気候は、少なくとも東京よりは西洋芝が育ち易いらしい。外国風の建物が立ち並ぶ街並みは自分好みだし、合わせてそれぞれの家が景観に沿う庭造りをしているのも良かった。 庭に出て芝の上に座ると青い匂いが僅かに香る。申し訳程度に柵はあるが、道路からはこの姿も丸見えだろう。けれど近所の人間からすれば「また漫画家先生が何か可笑しな事をしている」程度の認識で済むようだ。この町の簡単に慣れ親しむ様な、それでいてお互いの生活に深く介入しない性格が、自分にはやはり合っていると思えた。 朝は通勤通学の人々がざわざわと通り過ぎ、昼を過ぎると主婦たちが買い物に出かけて行く。そして日が暮れるとめいめいの家に帰ってくる。そんな当たり前の住宅街の光景が、自分にはいつも何故だかたまらない。自身が真っ当なルートから外れた身だからそう感じてしまうのかもしれない。外れているからこそこんな正午前から芝の上に座って居られる訳でもあるが。 ゴロリ、と寝転がると芝の匂いがまた強くなる。時折吹く小さな風と日の温もりが丁度良い。煩わしさは何一つない。この町も芝の上も、自分には本当に心地が良過ぎた。 「先生なんで庭で寝てんの」 いつの間にか転寝をしていたらしく、急に見知った声が頭上から聞こえた。驚いて目を開けると、仗助がこちらの顔を逆さまに覗き込んでいた。 「……なんでこんな時間に居るんだ?」 上半身を起こすと、体重で押し潰れた芝の匂いがふわっと香る。まだ庭に出た時から太陽は殆ど動いていない。ほんの数十分寝ていただけだろうか、と肩に付いた芝の端を手で払いながら、ぼんやりとした頭を覚醒するよう努めた。 「え?それ訊いちゃう?」 仗助も、自分と同じ様に芝の上にドサッと腰を下ろした。制服に芝の匂いが付きそうだと思ったが、仗助の顔がよくぞ訊いてくれました、とばかりの笑顔になっていて妙に言う気が削がれた。先ほどまでの、町に溶け込む様に静かな一人の時間をよくもまああっけなく壊してくれるものだ、と呆れ半分に感心すらした。 「鬱陶しいからやめた」 髪に付いていないか掻き撫ぜながら言うと、えー!と仗助らしいオーバーなリアクションが返ってくる。本当に、一気に騒々しくなった。どこか近所の家の窓が開いた音がしたが、流石に今の声に驚いて外を確認した訳ではないと思いたい。 「聞いてよ。露伴の顔が急にものすげぇ見たくなって、つい来ちゃったんスよ」 それでも仗助はめげずに、自分と入れ替わる様に芝の上に寝転んだ。それから酷く甘ったれた笑い方をこっちに向ける。正直驚かされたが、恥ずかしげもなくよくそんな台詞が言えたものだとまた感心してしまった。 「これでどっか取材に行ってたら入れ違いになる所だったけど。そしたら家に居るどころか庭に出てきてくれてんだもんなぁ」 だから超嬉しい、と。 身体を伸ばして仰向けになりながらそう続ける、仗助特有の媚にすら思える笑顔が、自分にも嬉しい様な苛立つ様な、兎に角歯痒い感覚を引き起こす。一人で居るにはうってつけの庭に嵐の様に訪れて、そしてかき乱す。そのくせ何故だかそれが喜ばしい気がする。この町に来て自分の頭は少し可笑しくなったのかもしれないとすら思ってしまった。多分、町の人間からするとむしろまともになってきている部類なんだろうけれど。 「君、そんななりした上学校までさぼっちまって。どうするんだい」 見た目に反した真面目さがせめてもの救いだっていうのに、と。悔しい思いを悟らせるのも癪で、わざと話を半分スルーした。仰向けになった制服の胸元を指先で摘まんで引っ張りパッと離す。つけられたハートのマークも一緒に揺れた。寝転ぶなら学ランくらい脱げと言いかけて、それはそれで気に掛けてやるのが勿体ない気がしてきて止めた。 「心配してくれてんの?」 けれど仗助は、簡単に自分の都合の良いようこちらの言葉を解釈する。それがまた癪に障るが、仗助らしくてたまらない気もする。そう思ってしまうのがまた歯痒い。 「教師の息子のくせに……」 忌々しげに吐き捨てても、仗助は楽しげに笑ってそれを意に介さない。後から東方朋子に密告してやろうかと思った。けれどこういうのは恐らく、小中高越えて教師同士のネットワークの方が早いだろう。それをわかっていながら、仗助は自分の顔を見に来たのかもしれない。 「日光浴って気持ち良いっスよね」 目を瞑って、いかにも気持ち良さそうに仗助は笑ってみせる。そのまま眠りに落ちそうなくらいに、その笑顔は柔らかかった。 「……ちゃんと午後からは授業、出ろよ」 自分も再び寝転びながら、つい甘い事を口走ってしまう。驚いた風に目を見開いた仗助の顔を見れたので、その点には満足して自分も目を閉じる。 二人になった分、芝の匂いが一層濃くなった気がした。 2013/10/10 |