不審火   仗露



 嫉妬の炎、なんて自分には無縁だと勝手に思い込んでいた。

「……あんた、タバコとか吸わねぇよな」
「何だよ急に」
 椅子を回転させて露伴はこちらを向いた。原稿の邪魔をしてしまったが、予想よりもその声は苛立ったものには聞こえなかった。
「まあ、頼まれても吸いたくないけどね」
 言いながら露伴は机に頬杖をつく。その肘のすぐそばには筆やペンと同じ様に、ライターが無造作に転がっていた。

 タバコの煙が大嫌いだと、以前パチンコ店の帰りに偶然遭遇した際急に言われたのを自分も覚えている。何の事かと一瞬戸惑って、店の中に充満していた煙草の匂いが学生服に染みついているらしい、とすぐ気付いた。良く鼻が利くな、とその時はむしろそちらの方に気が行った。
「このライター、何?」
 近づいて、真っ直ぐ立ったまま露伴を見下ろすと、少し気圧される様に椅子の背に背中を押し付けた。机の上のライターをコツコツ指先で叩くと、ようやくその存在を思い出した様に目を向けた。
 勿論ライターにも、タバコに火を点ける以外沢山の使い方があるだろうとは思う。けれど自分には露伴がそれを何に使うのか、想像が出来なかった。
 何故仕事部屋にあるのか、というのもわからない。机の上には確かに燭台があるが、蝋燭自体は芯も真っ白で未使用なのが見てわかるし、普段は卓上ライトを使っているのしか見た事がない。実質ただのインテリアなのだろう。むしろ漫画の原稿含め、紙の類が多くあるこの場は火気厳禁でもおかしくないはずだ。自責の念に駆られるが、火事の一件以来その点には過敏になっているだろうとも思っている。
 何よりも、今まで露伴が使った姿や、机の上に置かれているのすら見た記憶はない。もし今までも置かれていたなら、入り浸っている以上気付かないはずがない。それなのに、どういうわけか自分はそれを見た事がある様な気がしてならないのだ。メキシコ産、と銘打たれたそれが大量生産の内の一つで、どこかで偶然目にした事があってもおかしくはない。問題はそれをどこで見たのか、そして誰の手にあったものだったのか、という事だった。
 身近でライターでも持ってそうな人間、と言うと、真っ先に年上の甥が思い浮かんだ。ただライターを使う、例えば煙草を吸う所を見た事があるかと言われるとどうもその記憶もあいまいだ。何となく禁煙していた気がする。けれどそう言えば、高校生の時分からタバコをふかしていた、という話は確かに聞いた覚えがあった。日常的過ぎて当たり前の会話の内容はすぐおぼろげになる反面、露伴の煙草嫌いの話題や、冒険譚の様な思い出話は印象が強く頭に残りやすい。だからライターは露伴には似合わないし、承太郎さんにはとても似合う、という認識に至ってしまっていた。

 例えばもし、その年上の甥と露伴が自分の知らない内に会っているとしたら。
 確証はない、どころか疑うのすらどう考えても考え過ぎだと、自分でも思う。けれどもしも浮気相手の忘れ物だったりしたら、なんて考え始めると、無性に不信感や焦燥感が煽られた。

「仗助……おまえ、何か変な勘ぐりしてるだろ?」
 露伴がしばらく考える様に目を細めた後、小さくため息を吐いて、改めてこちらを睨んだ。一瞬こちらも気圧されるが、ここで引いた所で納得出来るはずもない。
「質問に質問で返すのってどうよ」
 首を傾け、自分も睨む様な、挑発する様な視線をあえて作る。けれど言いながら、少し質問の仕方を間違えてしまったかな、と内心気弱になってしまう。
 そう、露伴のスタンド能力なら、例えば自分が浮気現場に遭遇しても記憶を消してしまえば簡単に、無かった事にさえできる。もし記憶を弄られているなら、ライターに微かに見覚えがある事も納得がいってしまう。
 ただ、露伴が自分に対してあえて能力を使おうとしていないのも知っていた。それが露伴なりの誠実さであって、その点は自分も彼を信用をしていた。信用している、と言いながら浮気を疑うのも自分でどうかとは思う。けれどこれがまさに嫉妬の炎、という奴なんだろうと、頭に血が上ってしまったまま実感してしまっていた。

「正真正銘、ぼくの普通のライターだよ」
 一瞬むっとした様に見えたが、露伴は平然とした口調を作ってライターを手に取った。無意識か、あるいは深い意味はないんだろうが、フリントをジッ、ジッと親指で擦って、断続的に火を点す。またその動作が、何となしに誤魔化す為じゃないかと妙な勘ぐりをしてしまう。
「使う機会ねぇだろ」
 食い下がりつつ、浮気していて欲しくないクセに浮気を認めさせようとするなんて、と少しだけ頭が冷えてくる。嫉妬、というのは随分業が深いらしい。本当に何故だか自分には無縁だと思っていただけに、こんな小さな事で加熱してしまうとは思いもしなかった。

「あるよ」
 けれど、自分のぐるぐる渦巻いている頭の中の不審火を一蹴するみたいに平然と言って、露伴は机の引き出しを開けた。

「新品のペン先を炙るんだ」
 露伴が小さな袋から、銀色で小さくG、と書かれたペン先を取り出して見せた。そのままライターの火を点けないまま下で動かして、炙るマネをしてみせる。
「おまえも見た事あると思ってたが……そうか、あの時は目、瞑ってたな」
 言葉を紡ぐ途中で気づいたらしく、声音が納得した、という風に変化したのがわかった。
「あの時?」
「最初の時だよ。億泰に『焼身自殺する』って書き込んだ時、このライターを使わせたのさ」
 言われて、ようやく自分も納得できた。確かに見た事がある気はしたが、部屋に入った時は目を瞑っていたし、髪型を貶されプッツンしてからの記憶は曖昧だ。殴り終えた後、滅茶苦茶になった部屋の床に落されている所くらいは確かに目に入っているかもしれない。

「炙るって、何でそんな事すんの」
 納得が行ったと同時に、嫉妬の炎が見事に鎮火されてむしろ罪悪感が生まれてくる。バツが悪い気がして、別に掘り下げなくても良いだろう事まで訝しげな声を作って訊ねてしまう。
「クセというか、験担ぎというか……新しいペン先に交換する時はいつもやってる」
 インクをはじく油を飛ばす為、と言いつつ熱で金属が変形する事があるから本当は拭う方が良かったりする。けれどどうしても、最初にお手本にした漫画家のやり方で慣れている、と。露伴はまだライターを手に持ったまま丁寧に説明してくれて、やはり自分の罪悪感が突かれる。
「露伴でもそういうジンクスみたいなの、あるんスね」
 ようやく和らいだ声で茶化すと、一瞬それに文句を言おうとしたのか露伴が眉を顰めた。けれど口を小さく開けたまま止まって、今度は露伴の方が不審そうな目でこちらを見つめてきた。

「……仗助。話逸らそうったってそうはいかないぞ」
 ライターを机の上に投げ出して、露伴は改めて頬杖をついた。
「一体何を勘違いしたのか、じっくり説明してもらおうか」
 その顔はすぐに、いたぶってやろう、とでも言う風に楽しそうで意地の悪い笑顔に変わっている。思わずうっ、と、小さく声に出してしまう。
「それについては謝るっスよぉ……つーかわかってて言ってるっしょ、それ」
 一歩引いて、また誤魔化す様に笑ってみせる。けれど露伴は追及止める気がないらしいのが表情から見て取れて、冷や汗が出る。自分が疑ったのはただの勘違いだが、その疑いを持った事自体は事実そのものだ。
「おまえの思考が単純なのが悪いんだよ」
 露伴はニヤッと笑ったまま、目線だけで話せと促してくる。誤魔化されるつもりはやはりないのだろう。

 ……素直に話す以外、自分にはこの火種を鎮火させる道がないらしい。



 2013/10/06 


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