バベルの塔   仗露



 もう夏は終わったものだと思っていた。
 それなのにテラス席に照りつける日差しはやけに強くて、学生服の上からでもじわじわと肌に熱を伝えてくる。
「なあ東方仗助。ぼくと君はいっそ、会話の成立すらしなければここまでいがみ合わずに済んだと思わないかい」
 そう、穏やかな口調で言った露伴の全身は、照らされている自分の手元とは対照的に、不鮮明と思えるほどパラソルの影にすっぽり収まっていた。

「……はぁ?」
 思わず素っ頓狂な声が出た。動揺が隠せず、ティーカップを置く時にガチャッ、と大きな音を立ててしまった。もっとも周囲には他の客が大勢居て、それぞれの小さい会話でできたざわめきの中ではほとんど誰にも届かない様な音だったに違いない。
「おまえのやる事なす事全てが気に食わないんだよ」
 それでもこちらの手元を見て、露伴はいかにも苛立たしげに眉根を顰めた。

 バベルの塔ってあるだろ、と言いながら、露伴が人差し指を一度、クルリと回して見せた。何気ない動作だったが、丁度その指先が影から日向に一瞬出て、コントラストと相まって酷く真っ白に、そして鮮明なものとして目に映った。
「あれは同じ言葉を使っていた人々が違う言語にされ混乱するって話だが……同じ言葉だからこそ、反発が生まれる場合もあるに決まってる」
 ぼくたちの場合はきっとそれだろう。そう淡々と語る、露伴の表情はまた努めて作られた、冷静を装ったものに変わっている。口調自体もおそらくこちらへの、どうしようもない苛立ちを抑えたからこその穏やかさなのだろう。
「きっと言葉が通じなければ、君が何を言おうとこんなに苛つきはしなかっただろうさ」
 けれどその声の端々には隠しようのない敵意が含まれている。まるで肌がピリッと痛む様に、その敵意は自分にいつもダイレクトで伝わってきていた。

「……あんたなら、どうせ何言ってるか気になって、読むだろ」
 その敵意を受け流し切れずに、自分の声もどこか険のあるものになってしまう。話しかけるのも今日の様に相席を申し入れるのも、仲を余計拗らせる為では勿論ない。けれど大抵、いつもこんな調子で刺々しい会話にしかならない。最近ではとんでもない悪循環としか思えなくなってきていた。
「……まあ、そうかもしれないな」
 ただ時々、露伴の作っただけのはずの口調が、今の一言の様に本当に落ち着いたやさしいものに聞こえる事がある。それはめげずに何度も話しかける内にようやく気付ける様になった一つの進展だ。

「おれたち、案外物の考え方は似てると思うんスけどねぇ」
 それにすぐ気を取られて自分が余計な事を口走ってしまうから、一歩進んで三歩下がる様な状況に陥ってる、という事も、頭の中では理解しているつもりだった。言った後でまずいなと思って、その予想通り露伴はこちらをギラリと睨んできた。
「おまえのそういう所が嫌いなんだよ」
 本当はおまえに苛立つのだって癪に障るよ、と。また努めて露伴は静かな表情を作って、それでもこちらに敵意を向けるのを止めない。その後に紅茶を一口すするのも、喉の渇きを潤したり味を楽んだりする以上に、きっと自身の気を落ち着かせる為の休符替わりなんだろう。
「あー、そう……」
 真っ直ぐな敵意に当てられて、もう抵抗する言葉を選ぶ気も起きなくなってくる。自分も間を埋めるつもりで紅茶を口に含んだが、茶葉の苦みが舌に残って憂鬱な気持ちに拍車をかけた。
「仲良くしよーぜっつってる相手にそういうこと言えるのはまぁ、逆にスゲェよな、あんた」
 半ば自棄になって、またティーカップを置く時に嫌な音を立ててしまう。怒らせる様な事ばかり口をついて出てしまって、言い切った後で後悔する。それでも今度は顔を顰めず、露伴はまたこちらに目を向けた。
「ぼくにも拒絶する自由があるからな」
 何ともない風に言いながら、僅かな音でも立てたくないとばかりに、露伴はゆっくりとティーカップを置く。
「じゃあ、仲良くしようとするおれの自由も認めて欲しいんスけど」
 その穏やかな様子が、やさしいものにも思えるし、純然とした悪意を向けられている様にも取れた。
「認めてるだろう。じゃなきゃ、話なんてしないで無視してるさ」
 けれど、露伴の視線が真っ直ぐに射抜いてくる事に変わりはない。

 その焼け付くみたいに真っ直ぐな視線が怖くて、つらくて、嫌で、好きだった。

「そういう律儀な所、結構好きっスよ」
 自分がそれを言葉にしてみると、酷く言葉足らずで何も伝わらない気がする。それでも露伴は虚を突かれた様に、その目を丸くさせた。
「……やっぱり、そういう所がぼくは大嫌いだ」
 けれど言いながら、真っ直ぐだった視線を逸らされる。その顔にはついに煩悶する様な、あるいは苦々しげな表情が浮かんでいた。その意図が自分には理解できる様で、どうもはっきり読み取れない。例え言葉が同じであろうとなかろうと、きっとおれの頭が足りていない時点で食い違う事は避けられないんだろう。

 日差しは相変わらず手元を焼いて、パラソルの影は露伴の全身を包んでいる。明暗の境ははっきりとしていて、けれど影の中の露伴の輪郭はやはり不鮮明に見えた。
「自分で何言ってるか、わかってんのか」
 もしわかっていたら、自分も彼もこんな苦労はしなかったんだろうか。



 2013/10/01


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