三時   承露



 細長い木箱を机の上に置くと、承太郎さんが一瞬戸惑う様に視線を動かしたのがわかった。

「これは?」
 少し勿体つけようと黙ったまま、隣に座ってその箱をゆっくりと開いて見せる。白い内側の紙も開いて、ようやく茶色い上の面が見える。それだけでもほんのり甘い香りが漂う、そこそこお高い上等なカステラだ。
「あなたがいかにも美味しそうに話すから、食べたくなったんですよ」
 つい数日前に、何の話題だったかはもうおぼろげだが、耳に残る懐かしいCMの歌を承太郎さんが口ずさんだ。三時のおやつは、と真顔で言いだした時も正直噴き出しかけたが、ソファーに座ったまま小さく足を前後に動かし、踊る仕草をしたせいでしばらく笑いが止まらなかった。
 ぼくが笑っているのを特に気にする素振りも見せず、また真顔で「あのカステラは美味いんだ」としみじみ呟くのがまた面白くて、その日彼が帰った後も自分はしばらく件のCMの歌が頭を離れなかった。
「最近は取り寄せるのが簡単で良いですよね」
 本店は長崎にあるんだろうと思いつつ、S市内のデパートに確認で電話をするとすぐ家まで届けてくれた。便利過ぎて世の中むしろ不便になってきた気もするが、少なくとも今回の場合自分には好都合だ。

「後で一緒に食べましょう」
 蓋を一度閉めると、承太郎さんがようやくぼくの手元から視線を上げた。
「後から?」
 その言い方がいかにも不満げで、けれどまた表情を変えずに言うものだから、つい可笑しくて笑ってしまう。
「まだちょっと、三時には早いですから」
 時計を指差すと、視線だけチラリと向けて、すぐにこちらに戻した。今度こそ不満を露わにした様に、少し眉間に皺が寄っていて笑いが止まらなくなった。

「わかりましたよ、切ってあげます」
 一度席を立って、皿やら包丁やらを取ってくる。その間に何とか呼吸を整えてからドアを開けたのだが、すぐ切れるようにと思ったのか、彼が箱から既にカステラを取り出していたので、結局無駄になった。
「はい、どうぞ」
 まるで子供みたいだと言いたかったが、流石に怒るかもしれない。笑いながら等分になるよう目分量で切れ目を入れたが、やはり大きさの違いは出てしまった。その中で一番大きい一切れを、つい承太郎さんの皿に乗せて渡してしまう。
「先に食べてて良いですよ?」
 自分の分も取り分けて、残りをもう一度箱の中に戻している間、彼は手を付けようとしなかった。きちんと座ったまま待っているのが彼の図体にあんまり似合わないので、思わず笑ったままそう促した。
「一緒に食べるって言ったろう」
 けれど、また真顔のまま返答が返ってきて、食べる前だと言うのに笑いっぱなしでいい加減こちらは腹が痛くなってくる。
「律儀だなぁ」
 そう言いつつ、急かす風もない彼の待ち方が嬉しくもあった。

「美味いか」
 あんなに姿勢を正して待っていたわりに、承太郎さんはぼくが一口食べるまで、フォークを取ろうとしなかった。
「美味しいです」
 素朴な味には違いないが、甘みが深いのに食べやすい。特に食感が想像よりしっとりしていて、今まで食べてきた物よりも重みを感じた。一口目を食べ終わってから素直に答えると、納得したんだか安心したんだかわからない顔でようやく彼もカステラを食べ始めた。一緒に食べる、と言うよりは先に食べさせたいと思っていたらしくて、またそれが特に深い意味はないだろうけれど、嬉しい。
 食べながら見ていると、自分に比べ彼の一口はやけにでかい。彼の凛々しい姿を見慣れていて実感が沸かないが、多分甘い物がそこそこ好きなんだろう。二人で丸々一本食べきれるか不安だったが、承太郎さんのこの調子ならむしろ足りないくらいなのかもしれない。
「老舗は他にも沢山あるんだ」
 あの店は底にザラメが無いとか、もうすぐ栗入りのが美味い時期になる、とかなんとか。承太郎さんは食べながら、真顔のまま、呟く。それを見て笑ってしまうのがもう条件反射の様になっていて、堪える気もほとんどなくなってきた。
「良いですね。また色々取り寄せてみます」
 あまり店の名前は聞いていなかったが、カステラの老舗ならデパートに電話で訊けば大方解るだろうと高を括っておく。
「その時は呼んでくれ」
 けれど急に、彼が杜王町に居る間でないと一緒に食べる事は出来ないんだと思い至ってしまった。それはまだ当分先の事だろうけれど、アメリカに帰ってから呼んだって、そもそも彼は来やしないだろう。
「当たり前じゃあないですか」
 なら、彼が帰国するまでにいくつ試せるだろうか。

「ぼくも、承太郎さんと一緒に食べたいです」
 帰る日に『明日新しいのが届くんです』とでも言えば、もしかすると一日くらいは引き留められるのかもしれない。けどそれはやっぱり、今想像するには先の事過ぎる。と、いう事にしておこう。

 丁度今三時になったと、時計が鳴って知らせてくれる。少なくとも今は、彼がいつおかわりを言い出すか、それだけ考えていたかった。



 2013/09/29 


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