足跡   承露



 波の音に紛れて、自分が近づく足音はきっと聞こえないのだろう。すぐ傍まで来たところで、気配に気づいたらしく青年が顔を上げた。
「ああ……承太郎、さん?」
「岸辺露伴、先生だな」
 少し驚いた様な顔をして、彼はスケッチブック片手に立ち上がり、服に付いた砂を払った。

 ホテルのプライベートビーチに見飽きてしまった、と言うと人聞きが悪い気もするが、どうにも見慣れてしまっていた。まだ少し海水浴の時期には早く、そもそも自分以外滅多に早朝から好んであの浜辺を散策する人間は居なかった。海を見飽きて海を見に行くのは、恐らく海嫌いの人間なんかにしてみると不可思議なのかもしれない。それでも気分転換にならないかと、今朝は普段と違う別のビーチまで足を伸ばして来ていた。
「早起きだな」
 朝日がようやく昇ってきた、この時間帯に知人に会うとは思っていなかった。もっとも同じスタンド使いとして数度顔を合わせた程度で、知人どころか顔見知りと言った方が正しいかもしれない。自分はSPW財団が勝手に極秘で調べた上げたらしいスタンド使いの資料を通して、ある程度この青年の素性は知っていた。けれど彼は恐らくほとんど自分の事を知らないだろう。
「朝の海は気持ち良いですからね」
 そう答えた岸辺露伴は、決して愛想が良い方ではない。ただ自分が年上である事を考慮しているのか、その口調は丁寧に聞こえた。
「海が好きなのか?」
 閉じられたスケッチブックには何が描かれていたのか、わからない。海かもしれないし、関係ない漫画のアイディアかもしれない。
「ぼく、潮風が嫌いなんです。体が重くなる気がして」
 何となくべた付く気もするし、当たり過ぎると頭が痛くなってくるし。早口で青年が捲し立てたのに、今度はこちらが少し驚かされた。
「……でも、海自体は嫌いじゃないです」
 そして最後に付け足された様な質問への答えに、更に小さく虚を突かれた。

「そうか」
 思わず笑ってしまいそうになって、顔を隠す為に帽子のつばに手を掛ける。けれど彼は気付いたらしく、一瞬ムッとしたのがわかった。
「海が好きなのは貴方の方じゃないんですか?海洋学者って聞きましたけど」
 おそらく広瀬康一辺りから聞いたのだろう。本にして読んだ際に知った事だとすると少し気分が悪いが、SPW財団の資料と比べると悪趣味さは五分五分だ。
「そうだな。まあ、嫌いじゃないな」
 こっちはおまえの家族構成なんかも知ってる、なんて伝えるのは更に悪趣味だろうから、勿論言わずに置く。ただ一方的に知っているという事実自体が何となく相手に悪い気がしきて、それまで合わせていた視線を海の方へと泳がせた。

「こういう朝と、夕日の頃の海は良い」
 海の表情は時間帯にも、自分の心中にも左右される。少し気が重くなっている今でも、朝の海は明るく目に映った。
「夜も、好きだが少し怖い」
 シュノーケリングで沈む暗闇の海が酷く心地いい時もあれば、ただ眺めているだけの海の黒色が酷く恐ろしい時もある。どちらもただ、その時の気分に因ったのだろう。
「確かに、夜の海は怖いかなぁ」
 同意した露伴の方も、いつの間にか海の方を向いていた。
「こうして目の前に立たなくても、車から見てるだけで怖い時がありますよ」
 今日はバイクだけど、と、少し離れた場所にあるコンクリートが敷かれた駐車場の方を目も向けずに指差した。
「怖いのに、見に来るのか」
「怖いモノが見たくないモノ、とは限らないでしょ」
 自分も怖いと言ったのを棚に上げたが、彼はそれを気にするそぶりもなく、ただ平然と海を見ていた。


 それからしばらく、早朝はホテルのビーチの代わりにその浜辺に足を運んだ。岸辺露伴は居ない事の方が多い。けれど、自分よりも先に訪れた痕跡は毎日の様に見つける。浜辺にはいくつかの足跡が大抵残っていた。
 その中から彼の靴底の溝の形を覚えてから、その足跡がどんな軌跡を辿っているのか追って行くのが少し面白くなってきていた。草の生えた辺りに座った形跡、波打ち際で立ち止まり、何度か立ち位置を変えた跡。追う内にまだ浜辺に居た彼自身に行きあたる事もあった。本人に言うつもりは勿論ないが、勝手に彼への親近感を覚えるまでになった。
 足跡を辿る以外にも一つ、彼が何をスケッチブックに描いているのかも気になった。大抵青年は自分よりも早く浜辺に居て、自分が近づくとスケッチブックを閉じてしまう。見せてくれと頼めば案外素直に見せてくれそうだが、一度そう頼む夢まで見てしまった。夢では了承してもらったがその代わりに貴方も読ませろ、とスタンドで迫られ飛び起きてしまった。何となくそれが正夢になりそうで、彼より早く海辺に居れば隣で何を描くのか見れるんではないかと、早起きする策の方を取った。けれど彼はどうも太陽が昇る時刻に合わせているらしく、どんどん早く海辺を訪れる様になっていた。これだと早起きどころか徹夜した方が早いかもしれない、と思い至って結局諦めた。

 やがて、時々会った時でも初めの日と比べて、お互いの口数は少なくなっていた。ただ挨拶程度の言葉を交わして、海を眺めはじめた自分と入れ違う様に彼は駐車場に戻って行く。たまに彼がぼんやり海を眺めたままで居る事もあるが、大抵は無言のまま過ごす。ただある日、こういうのは友人と言うんだろうか、と思ったままに口に出すと、「喋らなきゃって気を使う仲よりは、随分良い関係に思えますけど」と答えが返って来た。きっと、彼も思ったままの事を口に出したんだろう。
 
 知人以上に昇格してからもまだ、彼の足跡を辿る遊びは打ち明けずに続けていた。自分なら言われたら引くと単純にそう思ったからでもあるし、もし彼の足跡を辿る自分の足跡、を辿られたら少し恥ずかしいと思ったからだ。
 その足跡が急に見つからなくなった。
 もしかすると海を眺めるのにとうとう飽きたのかもしれない。自分も確かにホテルのビーチには見飽きたんだから彼もそうなって当然だろう。もうすぐ海水浴の時期が来れば人も増えるだろうし、それを避けるのも彼の普段の調子を考えれば自然だ。勿論日課をさぼる事もあって可笑しくない。もし、ただ会いたいだけなら電話番号も住所も知っている。けれど自分はあの足跡を追いたいだけなのかもしれない。頭の中で整理のつかない事を考えている内、彼の靴とは違う足跡を見つけた。
 いつもの特殊な溝のある靴底の跡ではない。けれどそれが彼の物だと、何故だかピンときた。

「承太郎さん。おはようございます」
 その足跡を辿った先には、やはり岸辺露伴の姿があった。いつもの様に短い挨拶をして、スケッチブックを閉じて立ち上がる。ポンポン、と、服についている砂を手で叩いて払った。
「サンダル」
「え?」
「今日はいつもの靴じゃないんだな」
 言われて気付いたらしく、彼の方も足元に目をやる。彼の普段の服のセンスとは少し違う、新品らしいビビットカラーのビーチサンダルを履いていた。
「ああ、少し波打ち際に入るくらいならもう大丈夫な時期だと思って。車に積んどいたんです」
 承太郎さんみたいに革靴を浸すのはちょっと、と言って。そこでほとんど初めて、彼は自分に笑って見せた。

「先生。……泳ぐのは、好きか?」
 自分の急な質問に、岸辺露伴は驚いた顔をした。
「嫌いじゃないなら、あんたを海水浴に誘いたい」

 例えば濡れた、裸足の足跡。自分はそれを、彼の物だと判別できるだろうか。



 2013/09/14


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