抑止力   仗露



 川尻早人によると、自分は何度か死ぬ経験をしたらしい。
 本にして読ませて貰った以上それを疑う余地はない。ただ、その記憶をぼく自身が引き継いでいない事が、酷く悔やまれた。


「死に損なった割にピンピンしてるじゃあないか」
 わざわざ自分から出向いて来ておいて、仗助は今すぐ帰りたいとでも言いた気に顔を顰めて見せる。その頬にはまだ絆創膏が貼られていた。吉良の事件が収束してからしばらく見掛けていなかったのは入院していたからだと、つい数日前に康一くんに教えてもらったばかりだった。
「露伴センセーもお元気そうで何よりっスよ」
 棒読みの空世辞が耳障りだし愛想笑いも見ていて腹立たしい。もう少しくらい入院が長引いていればしばらく会わずに済んだだろうに、仗助の方から訪ねて来たのではどうしようもない。
「ぼくに何の用だ」
 腹を立てるのすら仗助には勿体ない気がしてきて、なるべく表情を変えないよう注意しながらソファーに頬杖をつく。最初に茶を出しただけでも自分にしては優しい対応をした方だ。
「あんたさぁ、ひょっとして妙な事考えてねーよな」
 けれど、仗助は茶に手を付ける気がないらしい。
「何の話だ」
 数秒前に努めようとしたはずなのに、答えながら結局顔を顰めてしまう。質問の意図が解り辛いのも、紅茶が冷めるのを放置されるのも気に食わなかった。

「……こないだ早人に話聞きに行ったらしいじゃねぇっスか」
 自分の紅茶は冷めない内にと思ってティーカップに手を伸ばした所に、やけに真剣な表情で言われて不意を突かれた。
「なんか様子が変だったって、早人が心配してたんだよ」
 ようやく何の話か合点がいって、相手が仗助である事に気を取られていた事を悔やんだ。

 川尻早人から自分が何度も死を繰り返したと聞き、わざわざ本にして貰わせて読んだのは真偽を確かめる意味もあった。だがそれ以上に、自らの死の経験というものを知りたいと強く思っていた。
 結果で言えばそれは叶わない事で、川尻早人には確かに自分が爆死していく様子の詳細な記憶が刻まれていた。けれどそれは川尻早人本人のリアリティに過ぎないもので、ぼく自身が体験したはずの死のリアリティとは全く異なっている。
 自分自身が死にながら何を感じ何を思ったのか。その記述は、川尻早人には勿論、自分自身の中にも残されてはいなかった。

 自分は失望した。得ていたはずのリアリティを取りこぼしている事にも、そして『ヘブンズ・ドアー』の限界に気付いてしまった事にも。
「小学生の話を鵜呑みにしたのか?」
 言いながら、そんなに態度に出ていただろうかとまた少し後悔する。あの妙に敏い少年ならあり得ると思いながら、やはり仗助に動揺したのを気付かれたくなくて、また平静を装った。
「康一のやつも心配してた」
 けれど仗助が真面目な顔のまま畳み掛けてきて、一瞬言葉を失う。
「……じゃあなんでおまえが来るんだ」
 つい睨みつけてしまったが、声はなるべく荒げないよう気持ちを抑えた。康一くんなら会う頻度から言っても、確かに気付かれていても仕方ない。仗助の方は少し迷った様に、表情を曇らせた。
「あいつらは思慮深いっつーか……こういうの本人に言うべきか悩んでるみたいだったんで」
 何かを誤魔化す様に、頬を掻きながらそうもごもごと呟く姿が、先ほどまでの無駄に生真面目な姿と全く逆に見えた。
「おれが訊きに行っても元から嫌われてっから平気だしって、引き受けただけっスよ」
 それで妙に気が和んでしまった。いつの間にか肩に力が入っていた事に気付いて、ソファーに背を押し付けながら、緩くその力を解いた。
「何だ。つまりおまえは、自分はデリカシーのない馬鹿ですって自己紹介しに来たのか?」
 和まされてしまったのも正直な所癪に障るが、茶化す余裕が出来た。
「その言い方はないんじゃねーの」
 仗助の方も真面目な顔をしたままなのは居心地が悪かったらしく、唇を尖らせながらも少し態度が和らいだ。引き受けたと言いつつ、仗助自身もぼくに直接問うのは心苦しかったのかもしれない。

「でもまあ、なんとも無いっつーのなら良いんっスよ」
 馬鹿言う元気はあるみてぇだし、と、仗助は立ち上がった。やはり紅茶に手は付けていない。次からは絶対に出してやるものかと思いながら、見送りくらいしてやろうと自分も立ち上がる。その時ふと、仗助がわずかにふら付いた。
 ばれたくないのか、仗助はグッと踏み込んで、それに堪えた。

「仗助。……おまえのスタンドは、どこまでなら治せるんだ」
 目の当たりにして、また、あの失望感がぶり返してきた。仗助の『クレイジー・ダイヤモンド』が仗助自身を治せないのは以前から知っていた。それでも訊ねてしまうだなんて、スタンドの限界を否定でもして欲しいのだろうか。それもよもや仗助に、恥ずかしくないのか。
 仗助は自分の問いに驚いた様に、一瞬目を見開いた。
「少なくとも、死んだ人間は生き返らせらんねェよ」
 けれどまたすぐに、あの真剣な表情になって目を細めた。

「……そうか」
 死ぬという事は、スタンドにとってだけでない、単純に純粋に、人間にとっての限界でもあるはずだ。
 その限界を何度も越えたはずなのに、自分にはそのリアリティが何一つ残っていない。死んでしまった者達にしてみれば失礼極まりないのだろうが、自分は確かにその死の体験を切望していた。死んでしまえばお終いだ、けれど自分が死ぬなんてまたとない経験だったはずなのに。
 勿論他人に話す話題ではないと、そう思っていた。けれど仗助達からは見透かされていたらしい。仗助の眼差しが咎める様に見えるのは、自分に僅かにある罪悪感のせいなのかもしれないが。
「限界は、きっと誰にでもあるんだな」
 言いながら、その視線に耐えるのが億劫で目を逸らす。自分の爪先さえ何か頼り無い気がした。

「露伴、さっきああ言ったけど」
 顔を上げる気になれない。けれど仗助の声が改まった調子なのはよく解った。
「……おれも一応、心配してるから」
 きっと、表情も例の真剣な表情だったんだろう。

「……心配なんていい迷惑だ」
 仗助なんかに心配されるだなんて、嗚呼、本当に。



 2013/09/12


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