あの味   承露



 承太郎さんちょっと熱っぽいんじゃないですか、と露伴が軽く頬を抓った。熱を測るなら額で良いだろうにと思わないでもなかったが、言われてみると確かに頭がぼんやりしている気がしてきた。
「桃とパイン。どっちが好きですか?」
 キッチンに引っ込んだと思うと、すぐ缶詰二つを持って顔を出した。しばらく眺めてから指で示すと、また引っ込む。また顔を出したらそのまま近づいて来て、パイナップルの缶と、他に缶切りやフォークを持って隣りに腰を下ろす。ソファーをギシギシ鳴らしながらこちらに向き直って、おれの膝の上に足を投げ出した。

 膝の間に缶を固定させて缶切りを使う、その動作がいかにも危なっかしい。引っ手繰って自分が開けようかと逡巡したが、おそらく露伴なりの看病のつもりだろうから邪魔はしないでおこうと考えを改めた。
「パイン好きですっけ」
 言いながら、露伴は手元で水音と金属音を小さく立てる。何となく耳を澄ませていた自分には、その何の意図もない問いがやけに密やかに聞こえる。缶から見え隠れしている中身がやけに発色の良い黄色として目に映った。
「桃だとエロ過ぎた」
 これがつるりとした柔い薄ピンクの果物だったなら、という想像の末に、思わず妙な事を口走った。本当に熱でもあるんだろう、と、ぼんやりした頭のまま責任をどこかに擦り付ける。けれど露伴はほんの少し顔を上げる事もなく、どういう意味かなんて問いもなかった。
「エロ過ぎるって言い方、何か雑ですよね」
 むしろ淡々とそう言って、露伴は缶切りを最後のギリギリの所まで深めていく。
「どうせなら、官能的とか言えば良いのに」
 それから挑発する様に笑う。グイッと蓋を開けて、親指に付いたシロップを小さく食む様に舐めた。

 缶切りをフォークに持ち替えて、露伴は中身が零れない様に慎重に缶の中の黄色い円を突き刺した。ポタリポタリと缶詰の中に滴を落しながら少しフォークごと掲げて見せる。露伴はそのままその一切れを、露伴自身の口に運んだ。
「……おい、おれに食わせろ」
 膝の上に投げ出されていた爪先を掴んで見せると、露伴がくすぐったそうに首を竦めた。しばらく咀嚼してたが、飲み込むと同時に声を立てて笑った。
「味見ですよ、味見」
 露伴はからかう様にそう言って、指先でフォークを緩く回して見せる。いつも良く磨かれているのだろう、銀でできたそれは妙にギラギラと光を反射して見えた。
 缶詰に味見も何もあるか、と言おうとした矢先に、そのフォークがパインを下げて目の前に差し出される。タートルネックの上に数滴垂れて、ひと際強いシロップの匂いが鼻先に届いた。
「……甘いな」
 一口で食べるにはどうにも大きい。しばらく黙って噛んでいる間に、露伴は二切れ目を口に運んでいた。
「余計喉が渇く」
 先だって置かれていたアイスティーに手を伸ばす。紅茶を口に含んでも甘いシロップの風味がこびり付いていて、しばらく離れそうになかった。

 露伴はさも当然と言う風に残りのパイナップルを食べ尽くそうとしている。
「風邪引くとリンゴとか良く食べさせられたけど、承太郎さんちはどうでした?」
 自分ももう一切れ、と言う気は起きなかった。久しぶりに食べてみると、甘過ぎるという印象しか沸かない。
「確かに食わされたな」
 すりおろされた物の時もあれば、わざわざ兎の形にカットされた物の時もあった。リンゴの素朴な味を想像して、また一口紅茶を啜る。
「どこも一緒なんですね」
 面白そうに言って、露伴もようやく缶詰を机の上に投げ出した。もう一切れ二切れ残っている程度に見える。覗き込んだ時、シロップの甘さに混じって、缶詰の金属の香りが確かに匂った。
「あ、でも祖母んちで熱出した時は真桑瓜だったなぁ」
 まくわうり?と、言われて一瞬、漢字に変換する事すら熱っぽい脳みそが放棄していた。いよいよもって、本当に風邪だろうかと不安になる。
「……随分渋いな」
 口の中にシロップの甘さが残ったままで、あのリンゴ以上に素朴な味を思い出すのは困難だった。外見の黄色さはおそらくパイナップルのそれよりも鮮やかなはずだ。けれど随分昔食べたきりで、色褪せた記憶の様に、やはりおぼろげにしか思い出せない。
「最近あんまり見ませんよねぇ」
 メロン辺りに取って代わられたかなぁ、と呟いている、露伴が丁度こちらを向いた。だろうなと同意する代わりにその唇に噛みつくと、想像よりもはるかにシロップ漬けの味がした。
「……この甘ったるさよりは良い」
 顔を離すと、露伴は特に驚いた風もなく、むしろ楽しげに笑って目を細めた。
「ぼくも、丁度そう思ってた所ですよ」

 結局、あの素朴な味はまだ思い出せなかった。



 2013/08/22 


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