狡さ   仗露



「露伴」
 仗助が、ここぞとばかりにぼくの名前を呼ぶ。
「おれ、露伴が好きだよ」
 目を逸らしたいのに、切羽詰まったままの声で呼ばれると、何故だかそれが難しかった。

「……今日も、えらく畏まってるな」
 無理に身体ごと逸らしながら、出来る限り落ち着いた声音を作る。どうにか語尾が震えずに済んだ。
「茶化すなよ」
 けれど肩を掴まれて、すぐに仗助の方を向かされた。いつもの軽薄な笑みも浮かべずにぼくを真正面から捉える、仗助の瞳がぼくにはどうしても強烈過ぎた。
 もう少しこの掴んでくる手の力が強かったなら、すぐにでも振り払っていたのに。

「おまえって、狡いよな」
 康一くん達が居る前ではこんな態度を一切出さないクセにこうして一人で訪ねて来たりして、二人っきりの場面をわざわざ作っては迫ってくる。最初は性質の悪い冗談だと思った。
「何が?」
 本気だと理解したのは一度笑い飛ばしてしまった後で、二手程遅れを取った自分は拒み切る事が出来なくなってしまった。

「……あんたの方が狡いっしょ、いつも」
 あんた、と言う最初の言葉が弱々しく震えていた。今度は仗助の方が目を逸らした。ほんの少しだけ、ぼくの肩を掴む手に力が込められる。けれどそれは、逃げようと思えば逃げられる程度の優しい拘束だった。
 いっそ痛いほど掴んでくれればぼくもそれを拒絶できるのに、仗助はそうしてくれない。ただ自らの意思を受け取って欲しいと言いた気に、ぼくを真正面に据えるだけだ。口説き文句すらも、激しい強要を伴いはしなかった。
 
「そうだな。ぼくもおまえも、狡いんだろうな」
 まるで平等に狡い様な言い方をしてしまったけれど、それこそぼくの方が狡い証拠に違いないのかもしれない。拒否するなら拒否すれば良いだけの話だ。仗助がこれ以上踏み込んで来ないのを言い訳に使って、現状維持しているだけのぼくが、きっと一番狡い。

 自分の家のはずなのに、仗助が訪れると何故かいつも息が詰まった。 
「……何で、ぼくなんだ」
 そうやってわざわざぼくを訪ねて来るのに、一歩踏み込んだきりでいつもぼくをじっと見つめてくる。手を引かれればいくらでもその懐に飛び込む、愛らしくて従順な女がきっと周りには沢山居るんだろうに。

「あんたこそ」
 また声が震えた。けれど自分が一歩引けばこの手は簡単にぼくの肩から離れるのを、ぼくも知っている。
「何でおれじゃ駄目なの」
 なのに引く事も進む事も、どうしても選べない。
 どうして立ちすくんだまま動けないでいるのか、自分でもわけがわからなかった。

「……ごめん」
 言いながら、また仗助の方がその目を逸らした。見つめてきたのはそっちなのに狡いと思う。

「でも、露伴」
 ここぞとばかりに、仗助ははっきりとした声でぼくの名前で呼ぶ。
「……好きなんだ」

「やっぱり、おまえ……狡いよ」
 気付くといつの間にか、ぼくは仗助の名前を呼べなくなっていた。



 2013/08/20 


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