一通りの説明を終えてしまうと、立香はそこで羞恥に追い付かれたらしく、唇を引き結んで瞼を伏せた。眦の下、頬骨のあたりにじわりと紅が滲んでいる。
 何度も念を押された、断ってくれてもいい、という声が、脳に残って響き続ける。べつに一人でもできると思うんだけど、誰かと一緒のほうがやりやすいかもって言われて、誰かって言ってもこういうのオレはキミがいいし、断ってくれてもいいんだけど、助けてくれると助かるっていうだけで。
 オレはキミがいいし。誠実で真摯だが、口説き文句にしてはさらりとした調子で、彼はそう言った。特に何らかの意図を持たせたわけでもないのだろう、ただ流れの途中でこぼされたような言葉は、だからこそ心臓に引っかかる。
 沈黙の中、僅かに呼吸の音がきこえる。それから空調の稼働音、さらに耳を澄ませば、きっと目の前の心音も。
 己の口から、笑いに似た吐息が漏れるのを感じた。少年の成長途中の肩は強張っている。断られると、思っているのだろうか。
 脱いだ帽子を空へ溶かしながら、ベッドへ乗り上げる。ぎし、と体重を受け止めたスプリングが鳴いた。

「シャワーは、浴びてきているな」

 ぱっ、と顔を上げて、彼は瞳を揺らした。息を呑んだあと、ぎこちない首肯が返る。



 魔力の、欠乏癖がついてしまったらしい。
 元々魔術師として育ったわけでもない彼が、たいした準備期間もなく、カルデアとサーヴァントとのアダプタ役を前線でつとめ続けていた。供給する魔力の大半はカルデアの電力で賄っているとはいえ、彼自身の魔力も必然的に持っていかれる。そうでなくとも、変換されたエネルギーは彼の貧弱と言って差し支えない回路を経由して供給されるのだ。
 顕著だったのは第七特異点だろう。四肢の末端が壊死する手前までサーヴァントへ魔力を流し込み、彼の身体は『ここまですり減らしたことがある』という極限の下限を覚えてしまった。あれほどまでの事態は稀とはいえ、いまだにカルデアのマスターは彼ただ一人であるし、人理はまだ平穏を取り戻しきっていない。
 そこで、彼個人の魔力量の底を上げようという話になったらしい。
 魔術師として生まれたわけではない彼は、己の生命力を魔力に変換している。持って生まれた性質は動かせないにせよ、多少なりとも対応するための策が練られた。カルデアのために、そして藤丸立香当人のためにも。
 生命を生命たらしめている三大欲求。それに刺激と負荷を加える実験が考え出されたが、睡眠欲も食欲も、過度の操作は苦痛を伴い、肉体に影響も出やすい。
 残った一つ、性欲に火を灯してやるのが穏当だろうと、研究員の魔術師だか科学者だかはほざいたのだと言う。軽卒な発言であったか、万が一真剣だったとしたら疲労が著しく蓄積していたに違いない。
 比較的素直な性質の彼へハラスメントまがいの指令が下されたことに、思うところがないと言えば嘘になる。だが、確かにその案は理に適っていたし、彼の状態は早急に手を打つべきものでもあった。まかり間違っても穏当などとは呼べないが。

「……寄越せ」

「えっ、も、もう?」

 彼の手が握り締めていた、黒い縦長の小箱を奪う。開いた中には、部屋の明かりを反射する銀色の器具。
 ただの棒に見えるこれで通り道を塞ぎ、絶頂を迎えても放出を防ぐのだという。趣味の悪さに頭痛が起こるような錯覚を覚えた。こんなもの、誰の趣味でもないのだろうが。
 手の中のものを奪われた彼は、そのままの体勢でまだ固まっている。触れ合うことへの期待と、未知への抵抗感や恐怖とが、彼の動きを鈍くしているようだった。
 安心させてやりたかったが、生憎こんなものを使った経験も使われた経験もない。ろくな言葉も紡いでやれないままに小箱を置いて、彼の下肢へ手を伸ばした。服が邪魔だ、と気が付いて、外套とジャケットを魔力として己のうちに還す。

「ここがこうでは、入るものも入るまい」

 ボトムの上から、ほのかに熱を持つもののかたちを辿る。ウエストのゴムに指先をかけて、下着ごとぐっと引き下ろした。
 支えるように持ち上げて、少し考える。背を屈め、薄く開かれた唇にキスをした。一拍の後、従順に下ろされた瞼を見ながら、彼のものを刺激する。

「――っ」

 ふるり、口づけたまま背筋を震わせたあと、少しずつ、強張っていた身体の力が抜けていった。甘えるように滑り込んできた舌を、軽く食んで構ってやる。
 やがて、それが支えずとも上を向くようになったあたりで、手を止めた。
 潤滑剤のボトルの蓋を開け、左手に注ぐ。粘性の液体はひやりとして、己の手の熱さを知った。おそらく、彼から移された熱だ。
 小箱から銀色の棒を取り出し、潤滑剤を纏わせる。ごく、と唾液を嚥下する音がきこえた。

「……怖いか」

「ちょっとね」

 肯定しながらも、彼は微笑む。見栄を張らねば平静を保てないのか、それとも施す俺のためか。
 肩を掴め、と言えば、きょとりと目を丸くされた。

「シーツを握り込むより安定するだろう。痛むようなら爪を立てていい。この身はサーヴァント、おまえが多少力を込めたところで痕もつかん」

「……なんか、オレも言ってみたいな、そんなセリフ」

 口の端を軽く持ち上げた立香は、わざと的外れの言葉を発したのだろう。細く長く呼吸をして、訪れるであろう苦痛に備えている。
 両手が、肩を包むように乗せられた。委ねられているのを感じて、満足感に似たものが胸を喜ばせる。
 硬度をやや落とした熱いものを、宥めるように擦り上げる。潤滑剤は透明な体液と混ざって、くちゃりと音を立てた。
 小さな孔に、丸みのある端をあてがう。見ていられなくなったのか、立香は両の目を伏せた。

「……う」

 不自然な場所をひらくときの抵抗の感触があったのは、端の入り込む瞬間だけだった。表面のなめらかな細い器具は、自重もあってか思いの外するすると潜り込んでいく。指で掴み、可能なかぎりゆっくりとしたペースになるよう調節した。
 肩の上で、きゅっと拳が握られたのを感じて目を細めた。これでは爪など決して立つまい。
 浅くなる息を無理矢理鎮めようと、彼は殊勝に努めていた。いつも彼が俺をひらくときのことを頭で辿りながら、その表情を、呼吸を読む。
 目印であろう、ぐるりと一周入った薄い溝のあたりまで沈めて、ふ、と息をついた。そうして初めて、こちらも緊張していたのだと気が付く。
 マスター、と呼ぶと、おそるおそるといったふうにあの目が戻ってきた。

「入った。……痛むか」

「うー、痛……くはないけど、……う」

 眉を寄せて、時折目を閉じながら、異物感を受け流そうとするさまはいじらしかった。その身をさすってやりたい、と考えたあと、全身飽くまで毒である己を思い返して手を握り込む。こうまで触れていては、今更にも過ぎるのだが。
 ボトムの上から、その膝を布越しに指先で叩く。宥めることには成功したようで、僅かに表情の険が取れた。
 息を震わせながらも、立香はへらりと笑ってみせた。

「なんかこれ、あれ。……インフルエンザの検査みたいだ」

 耳慣れない言葉から、召喚時に与えられた現代の知識が引きずり出される。おぼろげに浮かぶイメージは、真白い部屋で涙を流す幼子の姿。
 フ、とどこか己の関知しないところから笑いがこぼれた。

「なんとも色気のない」

「あってたまるかよ、こんなので」

 やはり、こんなやり方には苦く思うものがあるのだろう。スタッフに不満を伝えたのかどうかは定かでないが、今ここで、俺を前にして愚痴でも言うように吐き捨ててみせる彼に口角が上がる。
 口づけをして、物理的に芯を通されたものを片手で刺激する。うまく負荷を与えてやらねば、徒に望まぬ所業へ及んだだけになってしまう。仔犬じみた顔立ちを欲で歪ませ、彼は僅かに腰を引いた。官能に溺れきれない初心な自我の、反射のような動きだった。

「ん、ちょっと、待って」

 吐息に熱を籠もらせながらも、彼は制止する。今更待てなどと、何を、と思いつつ、言われるままに手を止めた。
 そこにあるのは、少年のひたむきな眼差し。

「……オレも、触っていい?」

 咄嗟に言葉を返せず、黙り込んだ。
 施しやすいよう上着を脱いだだけで、その他は身に着けたままの己を思う。今回の趣旨は、あくまで彼のほうにある。彼からこちらに触れる必要性は一切ない。
 その前提を、きっと彼とて承知しているのだろう。わかってるけど、と彼は眉を下げた。

「でもやっぱり、こういうのって、ふたりできもちよくなりたいから」

 応えられずにいると、彼の瞳は勢いをなくした。だめかな、と殊勝に退こうとするさまに、胸の疼きを覚えた。

「いい。おまえの好きにしろ。この俺が、その手を拒むことはない」

 一息で告げて、頬と唇の境にキスをする。くるりと見張られた透き通る目が、はにかむように細まった。すべて、叶えてやりたいと思ってしまう。他ならぬ彼が望むのならば。



 剥き出しの肌に、唇が押し当てられる。甘やかでやわらかなだけの感触は、皮膚と骨を通り越し、心臓にまで届いた。
 好きだ、と。声にされなくとも、口づけのひとつひとつが思い知らせてくる。その指も、唇も、まだ性感帯をかすりもしていないのに、じわじわと追い詰められ、静かな呼吸を保てなくなる。
 立香のこれは、文字通りの愛撫だ。

「……巌窟王」

 見上げてくる瞳と、視線がかち合った。ふ、と声帯を震わせないまま呼気を吐き出し、こちらを見つめる彼の瞼を撫でる。情欲で揺らめく青い目が、心地よさそうに伏せられた。
 愛されることに、抵抗がないわけではない。けれどこれは、もう少しで殺されてしまうところだった愛である。
 好きになっちゃった、ごめん。そう懺悔して、痛みを呑み込むようにして笑った顔を、覚えている。こちらの負担になるまいと、復讐鬼の在り様を否定すまいと、彼は必死に己の心を封じ込めていた。

「……好きだ」

 その声は、あのときのように苦しげではない。
 この愛は、俺を救わんとする愛ではない。
 彼はきっと、正しくわかっている。たった今とて身のうちに燃える炎、英霊である俺の存在そのものに等しい怨嗟、我等の敵に慈悲なき鉄槌を下せと叫び続ける声。ああ、赦すものか。エドモン・ダンテスがいつか赦しても、たとえ神が赦そうとも、この巌窟王(オレ)はあの地獄を忘れてなどやらない。愛も情も既に捨て、今度こそ誰の涙でも歩みを止めぬ。
 そして、だからこそ、俺は彼の共犯者たり得ているのだ。
 復讐鬼として現界し、怨念を武器とするこの俺をこの俺として認めた上で、なお彼は俺に触れる。偶像であるこの俺を、一つの存在として扱う。
 強欲な人間だ。子供から男にならんとする最中の、無謀で愚かで眩しい魂。諦めることを確かに知りながらも拒む者。
 彼が俺をその愛で殺してしまうまいとしたように、俺とて彼の心を殺してやりたくなかった。同じもので応えてやることは不可能だというのに。
 腹の筋肉をなぞられ、腰が震える。

「難しいこと、考えてる?」

 声をかけられ、視線が交わっていることに気が付き、息を呑んだ。
 鮮烈さを取り戻した視界で、彼が拗ねた子供のような顔をしている。彼以外の、余所事にとらわれていたわけではないが、うわの空に見えてしまったのだろう。
 彼の首に右手を回し、項の髪をくしゃりと撫でる。

「……おまえを軽んじたのではない。許せ」

「うん、いいけど、たぶんオレのせいなんだろうし」

 甘えるようにこちらの手に擦り寄り、懐いてみせる彼の姿に、もう先程の不満の気配はない。

「ちょっと、寂しかっただけだから」

 骨盤の凹凸をなぞった指は、さらに下へと伸びていく。ヒトのかたちをした身を持つ以上、どうしても湧いてしまう反射のような期待に、強く目を閉じた。
 呼吸の速度を保とうと努める。駆け引きも何もない、ただ快感を与えるための穏やかな手の動きは、理性のあるまま受け入れるにはあまりに甘すぎた。唇の端にやわらかな感触が降る。まだ成長しきっていない、しかし確かに男特有の節を持った指が、弱い場所を躊躇なく刺激する。どろりと、体液が漏れるとともに思考がとろけていく。

「きもちいい?」

「ッ……答えさせるな」

「うん」

 熱を持った吐息がふたつぶん、混ざり合って空間の温度を上げていく。臍のあたりをついばまれ、不意打ちの感覚に筋肉が引き攣った。ゆるやかに高められている身体が、決壊まで押し上げられそうになる。

「……もういい、俺は、あとはおまえの」

「うん、でももうちょっと、くっつかせて」

 首筋へ吸い付かれる音と感触。痕を残さない程度の控えめな唇に、心臓の疼きはむしろひどくなる。これではただの情事だ、と胸のうちで異を唱えながらも、少年の気質からするとそれで当然であるのだとも思えてしまう。たとえ魔術的措置であろうとも、彼にとって、肌と肌の触れ合いとはこういうものなのだ。
 波のように身体を呑み込もうとするものをやり過ごしながら、薄く目を開く。すぐそこにあった旋毛に、鼻先を埋めるようにしてキスをした。ぐる、と喉元でなにかを堪えたような音。

「あー……」

 いれたい、と、肩に額が擦り寄せられる。うわ言のような声音で欲を口にする彼に、ぞくりと、首の後ろを興奮に似たものが走った。

「何を堪える。咎め立てする者などどこにもいまい」

「え? いや、今日は……」

 ちらりと、丸い目が覗き、それからすぐに逸らされた。照れたように血色を上げる様子は、年相応にいじらしい。

「が、我慢絶対できないから。セルフ寸止めとか、絶対ムリ、やったことないけど」

 直截な話題に抵抗があるのか、その口調はぼそぼそと聞き取りづらい。一秒考えて、彼と己の間に認識の差があるのだと判断した。
 片膝を軽く曲げ、彼のものに触れさせる。ん、と微かに歪む表情に、煽られた。

「そのまま、及べばいいだろう?」

「……え?」

 何を言われているのかわからない、という顔をして、彼はこちらの目を見つめる。そのまま、と、意味を手繰ろうとするように唇が小さく繰り返した。視線がふわりと宙をさまよい、そして。

「そ、――んなこと、えっ、で、できるのか?」

「逆に問うが、なぜ不可能だと?」

「いやだって、……えっと」

 異物を呑み込んだそれを見下ろして、彼は困りきったような目をした。かと思うと、こちらの視線を遮るように脚を閉じる。施したのは俺だというのに。

「あっ、そうだ、ちょっと先から飛び出てるし、傷付けちゃうかも」

「その程度なら問題ない。……おまえが」

 呑み込んだときの感覚を思い出しながら、下腹部へ手をやる。臍から下につう、と指先を滑らせ、およそ、常はこの辺り。

「奥深くまできつく穿たんとするのならば、多少痛むことになるかもしれんが。そもそも」

「わー! わあー! ご禁制、ご禁制ですよ!」

 そもそもこの身体はサーヴァントであるし、痛みにも強い、と続けようとした言葉を、耳まで赤くした彼が遮った。ベッドの上にいながら、何を今更。
 ややあって、シーツの上に投げ出した指へ、おずおずとした指が絡められた。

「いつも通り、いや、いつもよりゆっくりするから、……あの」

 水分を纏った瞳は、それでもまっすぐに請うてくる。絡んだ指が、きゅうと甘えるように握られた。

「……しても、いい?」



 欲のこもった目つきと裏腹、思いやりばかりの手つきがこちらの身体をひらいていく。
 内臓に直接触れられる感覚にはいまだ慣れないが、慣れぬということ自体に慣れてきた。細く息を吐きながら、全身の力をゆるめるように努める。

「ふ、ッ……」

 指が抜かれていくときに、気力や魔力まで持っていかれたのではないかと錯覚するほど、弛緩と震えが襲ってくる。虚脱感に背を丸めると、気遣わしげなキスが口元に降りた。
 いい傾向だ、と思いながら、こちらからもやわらかな箇所をついばむ。以前より、唇へのキスに躊躇いがなくなってきた。したいことをすればいい、触れたいように触れればいい。彼の恐れるものが毒炎ではなく、俺の存在を蔑ろにすることであるならば。
 彼が彼自身を、その欲を否定することなど、あってはならない。

「……は」

 ぐるりと、柔さを確かめるように掻き回され、吐き気にも似た感覚を覚えた。不快、ではない。それを感じる段階は既に通り過ぎ、今はただ、他者の指に内側を探られる単純な違和感だけがある。僅かに寄ってしまった眉をどう思ったのか、ゆるく熱を持つものも同時に撫でられ、喉の奥で声を殺した。
 丁寧に蕩かされたそこへ、充てがわれる気配。視線を上げると、こちらを見つめる一対の目があった。

「……いい?」

「ああ」

 短く問われ、応える。瞼を下ろすと、こめかみを唇がかすめていった。
 少し速い鼓動の音がする。小動物のそれにも似たペースは、耳に心地よい。震える呼吸は誰のものか。シーツはとうに、常より高い体温に染まっている。
 十二分に解されたそこに、ゴム越しではない、直接触れる、感触。

「ぐ、う」

 使い魔であるかりそめの肉体が、浅ましくも期待をはじめるのがわかる。いつものように奥歯を噛んで、いつもより強い衝動をやり過ごした。これは、マスターとサーヴァントとしての行為ではない。魔力ならば足りている、と己の身体に言い聞かせる。
 人工的な滑りも手伝って、それは案外容易く潜り込んできた。息が浅くなる。腹が広がり、質量のあるものを呑み込んでいく。こちらの腰を支える手は、強張って小刻みに震えていた。
 脳が、思考が掻き混ぜられていく錯覚にシーツを握る。薄い膜が一枚除かれただけで、これほど余裕が奪われるとは。

「ん、だ、大丈夫……?」

 彼の声は、快感が滲んで甘く掠れていた。脊椎がぞくぞくと反応する。答えられないままでいると、手のひらが頬を包むように覆い、撫でた。

「いい、……いいから、好きに、動け」

「……ごめん今、オレ動けない」

 シーツを掴む指に、指を絡められる。途端、手の感覚が鋭敏さを増した。つるりとした爪、指紋の皺が生む、微かな微かなざらつき。
 以前も酒の勢いで避妊具なしの行為を進めようとしたことがあるが、要らないだろうという言葉を、今度こそ彼は受け入れた。こちらとて彼の意思に反することを二度も強いる気はなかったが、今回は状況が状況だ。単純に用途が意味を為さないために、抵抗感も薄かったのだろう。
 やはり、好いんじゃないか、と常より荒い彼の呼吸を聞きながら思う。好くなることよりも優先したいものが、彼にはあると理解しているのだが。
 眺めていた瞳が、それを気取ったかのようにこちらを向いた。どくり、脈拍が強く響く。

「……ふ、っん」

 ぐっ、と膝を折り曲げられた圧迫感が、直後キスをされたことで和らいだ。舌を差し出すと丁重に迎え入れられ、軽く吸われる。
 波を受け流すことのできたらしい彼は、宣言通りにゆるゆると動き始めた。浅く絡んだままの指が、甘ったるくてこそばゆい。
 押し込まれると身体の跳ねる箇所がある。単なる反射でしかない動きに、遅れてじわりと広がる熱。
 意識に留めるにはあまりに些細な感覚を、覚え込ませるように、彼は繰り返す。

「ふ、う、……ッ」

 噛み殺そうとして、それでも鼻にかかった声が抜けそうになる。反った背を気遣うように撫でさすられ、口の端をついばまれる。かと思うと、唇が耳のすぐ側で吸い付くような音を立て、瞬間なにかが沸騰する感覚を覚えた。こんなこと、教えていない。
 緩慢に引き抜き、慎重にうずまり、そのまま揺さぶられる。意識が、それらの甘い刺激のひとつひとつを追えなくなっていく。こちらがこうまで乱される必要はないのに。

「ん、巌窟王」 

「……ああ」

「好き、だよ」

 どうにでもなれ、と思ってしまった。他ならぬ彼が触れてこうなるのなら。他ならぬ彼が、触れたいと望むのなら。

「あ、っぐう」

 体液をこぼすものを捏ねるように刺激されると、決壊はあっけなかった。絡んだ指を引き寄せる。そう心許なくなどなかったはずの胸の中に、彼の体躯が収まる。欠けていたピースが嵌まるような、あり得ない錯覚。

「ん、あ」

 余韻もまだ抜けぬうち、腹の中で、彼が絶頂に至ったのがわかってしまった。視界が回る。ちかちかと明滅する。魔力にて活かされているサーヴァントの本能が、勘違いをしてひとりでに歓喜する。

「ぐ、うあ、――!」

 内側が、狂ったように収縮する。放出を許されないままに達した彼の、ひくつくものを強く食んでしまい、止めなければ、と思うも制御がきかない。
 獣の唸りのような低い響きが耳に届いた。肩口に鼻先が押し付けられ、縋るように抱き締められる。彼が、苦しんでいる。
 得られないのだ、とようやく聞き分けた身体から、少しずつ力が抜けていった。

「あぁ、……あ、ん、っう」

 痺れのような余韻が、全身に広がっている。熱に浮かされたような声は自分のものだ。声帯を震わせるたび、意識の輪郭が明確になるような感覚があった。唾液を飲み込むと、まだ中にある彼のものをまざまざと感じてしまう。
 指先を動かすことから始めて、身体の支配権を己の意思に取り戻していく。何度か瞬きを繰り返し、現に焦点を合わせる。
 目の前の身体の奥底に意識を向けると、確かにそこに、炎が灯されたことを感じ取れた。

「……立香」

 名を呼べど、応えはない。その呼吸はこちらと同等、否、それより浅く、引き攣っている。
 ああ、そうだ。放たせてやらねば。

「ぅう、っぐ……」

 上体を起こすと中が擦れ、振動が身体じゅうに響いてくらりとした。整わない呼吸を無理矢理一定に繰り返し、彼と向かい合わせになる。青い目は、俯いて垂れた前髪に隠れて見ることが叶わなかった。

「待て、今……」

 己の手を拳に握り、無意味にこくりと喉を鳴らす。深く息を吸って、止め、少しずつ腰を持ち上げた。
 ずるりと、中でそれが動いて膝が震える。神経が邪魔だ、と思った。かちかちと鳴る歯を噛み合わせ、覚悟を決める。

「っぐあ、あぁ、っ……!」

 性感を無視して繋がりをすべて離すと、眼下の彼がびくりと肩を震わせた。ベッドに崩れ落ちそうになるのを堪え、下肢の喪失感を抑え込む。

「は、……っは、ぁ……」

 いつの間にかかたく閉じていた目を、開くのに随分時間を要した。
 ぼやけた視界を瞬くことで明瞭にし、彼の苦しげなそれへ手を伸ばす。

「……きこえているか。抜くぞ」

 相変わらずその眼は見えない。けれど呼吸のあいまに、彼は小さく、確かに頷いた。
 焦らしたくなどないが、痛みを与えてしまいたくもない。彼のようにうまくやさしく触れられないことにもどかしさを覚えながら、金属の先端をしかとつまむ。
 数センチほど引き抜くと、少し前に何度もこちらに触れた唇が、強く噛み締められた。

「……許せ、マスター」

 なるべくまっすぐに、余計な摩擦を生まぬよう器具を取り去る。彼を襲っているのだろう、想像したくもない未知の感覚が憎らしい。
 少年じみたかたちをした喉仏の奥から、殺し切れなかったような音が聞こえた。

「……よく耐えた。これで終わりだ」

 銀色の棒から、僅かな粘液が滴って落ちる。栓を抜かれたそれを扱くと、びく、びく、と彼の身体が断続的に痙攣する。
 直後、どろりと、封じられていたものが溢れてシーツを汚した。
 放出に勢いはなく、その分か常よりも長く続いた。熱の飽和した部屋に、呼吸の音ばかりが聞こえる。
 やがて、彼が顔を上げたかと思うと、その腕はぐるりとこちらの胴に回った。

「っ、……大丈夫か、などと、愚問だろうな」

 耐え難い感覚の余韻を散らそうとするように、彼はこちらの肩口へぐいぐい額を押し付けてくる。いじらしく思えて、その髪を犬猫へするように掻き回した。

「…………しぬかとおもった」
 
 掠れた声が鼓膜に届き、長らく聞くことができなかったように思う彼の声に、安堵する。
 抱擁が、縋り付くような余裕のないものから、甘えたそれへと性質を変えていく。うまくいったかな、とこぼされた問いに、一瞬考えてから口を開いた。

「……俺の口からでは保証ができん。だが、少なくとも無為にはならなかったろうよ」

「そっか。ならよかった。……ありがとう」

 素直に感謝され、苦々しいような心地になる。押し付けられた策に乗ってやることしかできなかった後ろめたさからか、あるいは先の行為を、丸ごとただの実験への協力へと押し込められた気分にでも。

「……離れろとは言わんが、そろそろ顔を見せろ」

「ん、……ああ」

 名残惜しげに一度腕の力を強めると、彼は抱擁を緩め、こちらを見上げた。久方ぶりに目が合い、その瞳は、雑踏の中で恋しい者を見つけたように喜色を浮かべる。

「好きだよ」

「……」

「うん、好きだ。困らせるかもしれないけど――好きになったのがキミで、よかった」

 痛みにも似た、胸の疼きを覚える。鼓膜にこびりついた彼の懺悔が、ゆるりとほどけて融けていく錯覚がした。
 こみ上げた笑いを堪えず漏らし、目の前の額に額を当てる。わ、と小さく息を呑んでみせる彼に、また笑った。

「ほとほと。……酔狂だな、おまえは」

2019/02/01


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