マイルームの自動扉をくぐり、ベッドの上が視界に入って、後ろ歩きで部屋から出た。
 プシュ、と閉じた扉を見つめ、右を確認し、左を眺める。紛れもなく、ここは自分の部屋であるはずで、自分がここにいる限り今は無人のはずだった。だったけれど。
 強く目を擦りながら、もう一度自室へ足を踏み入れる。備え付けのベッドには、やはりサーヴァント復讐者・巌窟王その人が倒れていた。

「……ちょっと、なに、大丈夫!?」

 今度こそ駆け寄って、その顔を覗き込む。時に怒りを、時に敵意を帯びて爛々と光る黄金の瞳は、すっかり瞼に覆われていた。
 布団に潜り込んでくる英霊は一定数いるけれど、巌窟王はそういうタイプではなかった。彼が睡眠をとるところを見たこともない。おまけに今の彼は、上半身にはベストとシャツだけという常にない軽装だ。首元のスカーフすら見当たらない。
 肩を掴んで仰向けに転がし、頬へ手を当てる。思わず、息を呑んだ。熱い。指先が驚いてびくつくほどに。

「呪いのたぐいか? シュメル熱がまた来たなんて聞いてないし……巌窟王、意識ある? ちょっとだけ、ちょっとだけ待っててな」

 左手首に装着した端末を起動させ、手早く操作をする。万能の人の工房へアクセスしようと試みていると、阻むように端末を握り込まれた。
 絡められた指は革手袋を纏い、腕を上げたせいで袖との隙間から肌が覗いている。どきりとして、それからすぐ、あの目が開いていることに気が付いた。

「……! 巌窟王」

「なんだ、物々しい。漸く戻ってきたと思えば」

 寝起きの気怠さは色香と近しい。大儀そうに前髪を掻き上げて、巌窟王は長く息を吐き出した。低く掠れた声にも表情にも、苦悶のさまは見て取れない、が。

「だって、だ、キミ、……大丈夫なの?」

「ン?」

 返った声には、微笑むような甘ったるさがあった。ちょいちょい、と人差し指を曲げて招かれるまま、顔を寄せる。
 ぐっ、と後頭部を引き寄せられ、バランスを崩してベッドの空いた場所に手を突いたが早いか、唇を塞がれた。

「ん、わ、ちょっと……」

 離れた距離を埋めるように、またキスをされる。反射的に目を閉じると、ぬるりと舌が滑り込んできた。火傷しそうに、熱い。
 だんだんと気を奪われていると、フン、と鼻で笑うような音がした。嘲笑よりももっと棘のないそれ。擦り付けた舌はやや苦く、というより渋く、かすかな風味を追って彼の口を探ると、ふわりと香る、これは。
 ばっと目を見開き、身体を離す。合点がいった。

「お酒! 飲んだな!?」

「飲んだとも」

 頬の熱さも、ベッドにぐたりと横たわっていたことも、妙に機嫌よさそうにしていることも、ぜんぶ説明がついてしまった。あんぐりと開けた口を、また彼が食べようとしてくる。獰猛な獣が懐いてくるような倒錯に、脳がくらりとした。

「ウソだろ、巌窟王って酔うのか!?」

 がぶ、と顎の先に噛み付かれた感触が、衝撃の中でも尚鮮明に刻まれる。甘噛みと言うには強いが、決して血を流させない力加減。
 見上げてくる巌窟王の目は、ややにぶく据わっていた。責められているように感じて眉尻が下がる。体温が近くて、どきどきする。

「……この身は酩酊とは無縁なはずだが」

 ふ、と視線を外して、巌窟王はころりとシーツに転がった。どこか幼い、いつもなら絶対にしないような仕草が混乱を呼ぶ。頭がぽんこつになってしまって、今にも処理落ちしそうだ。

「おまえのせいとも言えるぞ、立香」

 投げ出された言葉の意味を、とっさに飲み込むことができなかった。前後の脈絡を必死に辿るも、そこに自分が関わる余地はないはずだ。

「お、オレ?」

 人差し指が勝手に自分自身を指し示す。虎の目は、胡乱にこちらを睨み上げた。

「俺は……おまえのサーヴァント。只人の身で在りながらこの俺を召喚した、おまえの性質に影響を受け得るモノとなってしまったらしいじゃないか」

 思い出したのは今年の夏、南国の特異点。夜の海で、影の国の女王はなんと言っていただろうか。

「今更酒精に酔うはずもなければ昔とて下戸でもなかったが、気分というものもあるだろう。おまえが俺をまるでヒトのように気遣い、労ることさえするのだから」

 マスター、と、自分がそうであることを意識させようとするみたいに、彼は呼んだ。その声音はもう、不機嫌な響きをしていなかった。
 ベッドの端に膝をのせて、伸びてきた手を両手で迎える。手袋越しの指先へ、唇を押し付けた。

「……よくわかんないよ。オレは、オレの好きなようにキミに接してるだけだし」

 彼の手に頬ずりすると、目の下の、皮膚の薄い箇所をなぞるように撫でられた。触れられるのは気持ちいい。それが好きな人からならば尚更に。
 
「水とか、飲む? 暑かったら空調いじるけど」

 いかんせん自分が未成年だというのもあり、酔ったときにどうされたら楽なのかがよくわからない。うなじへ回った手のひらに促されるまま、頭を低くする。

「っ、ん」

 あぐ、と喉を噛まれ、一瞬呼吸を忘れた。確かめるようにそこを押さえると、薄くへこんだ感触がある。次いで聞こえたのは、ほんとうに愉快そうな笑い声。

「悪性である俺の前で、些か無防備に首を晒しすぎでは?」

 にんまりと、いっそ得意気に細められた三日月と目が合った。イタズラ好きの子供にも似ていて、どうも調子が乱される。

「……キミは、オレのこと傷つけたいの?」

「ハ! まったく薄情な奴だ、俺がおまえに危害を加えたいと望むものかよ」

「えぇー……今のオレが悪いのか?」

 頬骨のあたりがむずむずと熱を持つ。弱った、まさか、まさか巌窟王がこんな酔い方をするなんて。
 霊体化していることも多い上に、生者や他の英霊から一歩距離を置いたスタンスで在る彼は、カルデアの中に自室というものを持っていない。ここへ来てくれたのは消去法だったのだろうが、どうにも役得だと思ってしまう。棚からぼた餅のほうが近いだろうか。お酒を飲んで、酔ったような心持ちになって、きっとふわふわと気を抜きたくなって、自分のところを訪れてくれた。
 へへ、と嬉しさを堪えられずに、額へ額をこつりとぶつけた。睫毛が重なりそうな近さで、黄金がまたたく。
 添い寝くらいは許してもらえるだろうか、と考えていると、突然、視界がぐるりと回った。
 ぼふ、と背中にマットレスの衝撃。

「わわっ、わっ?」

 巌窟王の背後に天井があるのを見て、押し倒されたことを理解した。そういう流れだったっけ、と惑うと同時に焦燥がにじむ。逆光でやや影の落ちている、巌窟王の笑みはそれはそれは嫌な予感を呼ぶものだった。嫌な、というか。

「ちょっと待って、オレ酔ってる人を手籠めにする趣味はないんだけど!」

「手籠めに? フフ、さてそれはどちらを指す言葉だろうな?」

 いつも身につけているものが足りないせいで、彼の首元はただでさえ開けた感じがする。そこへ伸びた右手が、器用にシャツのボタンを外していった。上から順に、ひとつずつ。
 釘付けになりそうな目を、ぎゅうと瞑る。跨ぐようにして膝に挟まれた胴が心許ない。布越しに触れる体温に、煽られそうになる欲を努めて無視した。

「テンションでしちゃったら我に返ったときに落ち込むかもしんないだろ! 今まで、その、ゆっくりしかしたことないんだから!」

 比較対象があるわけではないが、自分と巌窟王のいわゆる情事は、これまでずっと、いたってノーマルな内容のものだったと思う。お互いに妙な性的趣味を持っているほうでもないし、少なくとも自分はべたべたにやさしくするのが好みだ。酒に酔った相手となし崩しに、というのは、いささか、まだ早いというか、醒めたときに後悔されたら傷つくというか。
 元より自分が彼を一方的に好きなだけで、彼はそれに対してやけにノってくれている、という部分が大きい。どうして乗り気なのかはよくわからないが、今は酔っているからなのだろうが、ノリノリの勢いでやっていいこととダメなことがある。既に未経験ではないのだから今更かもしれないけれど、するなら少なくとも素面のときに。
 自分がなにを気にしているのか、探り当てた気分になって黙り込んでいると、はらりとやわらかなものがシーツに落ちる音がした。
 投げ出していた手に、なにかつるりとしたものが触れて身構える。そのまま自分の手が力も入れていないのに持ち上がったことで、彼の手に導かれたのだと知った。
 なにかへ押し付けられた指先に、布地の感触。

「……欲しくないのか?」

 堪えきれずに瞼を上げると、巌窟王はまだシャツを纏っていた。先程脱いだらしいベストが、足元のほうにぽとりと落ちている。思わず、安堵に息を吐いて、そうして気が抜けたことで、己の歯止めになっていたものがゆるんでいくような感覚があった。
 開き直りにも近い諦念とともに、苦笑が浮かんでくる。触れているシャツの上から、かたちを辿るように胸を撫でた。きっと、この向こうには心臓がある。

「ずるいよ、その訊き方は」

「許せ、何分俺は善良なモノではない」

「……なんでもいいよ。キミなら」

 靴、脱がせて、と頼むと、ちらりと背後を見た彼は後ろ手にかかとを掴んだ。ぽて、ぽて、と床に落とされた音がする。そうじゃない、自分で脱ぐからちょっとだけ退いてほしいと言いたかったのに。



 シャツの隙間から、鎖骨に口づける。彼の身体が、後ずさるように震えた。
 向かい合わせに座るような体勢で、その背中に腕を回す。いつもは自分が覆い被さっていて彼が横たわっているから、あまり勝手が、どういうふうに触れたらいいのかがわからない。けれどこうして抱き締めやすいのはいいな、と思った。
 くしゃりと、後ろ髪が撫でられる。途中で感触が変わったから、手袋を脱いだのかもしれない。はだけた胸へ唇を滑らせて、そのずっと下の箇所を、ボトムの上から軽くさすった。熱いが、まだかたくなってはいない。
 ベルトと、ボタンと、ファスナーを、順番に解いて開いてくつろげていく。宥めるように腹の筋肉を撫ぜてから、下着の中へと指を潜らせた。

「……ふ」

 噛み殺せなかったような吐息が、髪をくすぐる。少し性急だったかもしれない、と反省しながら、それを手のひらでゆっくりと刺激する。好きだ、と声にするかわりに、心臓の上にキスをした。
 胸元の傷痕を唇でなぞる。彼の腰はひくりと反応して、けれど手の中のものは、いつまでも芯を持たないままだった。 

「……よくない?」

 見上げると、巌窟王は視線を拒むように目を伏せた。さみしく思って鼻の先にちゅ、と唇を寄せる。答えを急かされたと思ったのか、彼は緩慢に、かぶりを振った。

「些か、呑み過ぎたらしい。気にするな」

「具合、悪いなら、やめるよ」

「そうではない。ああ、おまえの気を削ぐまいと意固地になっているのでもないぞ」

 続けろ、と彼はこちらの袖を摘まんで引いた。仕草のせいで甘えられているような錯覚が起きて、どうにも嬉しくなってしまう。
 酔って、感覚が鈍くなっているということなのだろうか。具合が悪いわけではないと言う彼を信じ、肩口へ懐くように額を寄せる。

「オレの脚、座っていいよ。腰浮かせてるの疲れるだろ」

 シャツの裾から手を忍ばせ、背中を撫で上げる。ややあって、人一人分の体重が腿の上に落ちてきた。好きだな、と思いながら、やわいものを片手で揉み込むようにする。

「ア、ァ」

 むずがるような、泣き出す寸前のような声だった。いいのかな、と思って、くびれた部分へ指を這わせ、ぐるりと捻るように刺激する。びく、びく、と脚の上の身体が緊張と弛緩を繰り返した。

「……ッやめろ、それは」

「え」

 低く、押し殺されたような声音に、一瞬思考が止まる。
 礼装の袖の上から、腕にぎちりと爪が立てられた。本気を出せば自分の骨など容易く折れてしまうのだから加減はしてくれているのだろうが、それでも反応する痛覚に、彼の制止の強さを知る。罪悪感を覚えながら、そこから手を遠ざけた。

「ごめん。わかった」

「……感覚は十二分にある、一時的に機能が落ちているだけだ。あまり、そこに、触れてくれるな」

 苛められている気分になる、と巌窟王はこぼした。わけもわからないのに湧いた恐怖にすら似た興奮を、目を閉じてやり過ごす。

「うん、ひどいことはしない」

 半ば自分へ言い聞かせるように言葉にした。ひどいことはしない。嫌がることはしたくない。
 熱を抜くように息を吐き、マットレスとベッドのあいだから、避妊具の小袋を引っぱり出した。潤滑剤はロッカーの中だ。はじめに用意しておけばよかった、と、離れがたさを感じながら両腕で抱きつく。ずっとこうしてくっついていられたらいいのに。

「ごめん、ちょっとだけ」

 もっと近付くためには、一度手を離さなければならない。どいて、待ってて、と言わなければいけないのに、たったそれだけがこんなにも難しい。口さみしさに、目の前の首筋を甘噛みした。
 唇で食んで、ぺろりと舐める。我ながら、愛撫というより甘えた犬猫の毛繕いだ。性感を刺激するものではないそれに、腕の中の彼はふるりと身震いした。寒がらせてしまったのだろうか。

「……貸せ」

「うん?」

 ぐん、と寄り掛かられたかと思えば、出したまま後ろに置いていた避妊具へ手を伸ばしたらしい。彼の手の中に、そういう直接的に行為を思わせるものがあるのは目の毒だ。かといって視線を逸らすのも不誠実な気がして、もごもごと言葉も出ない唇を動かす。
 ぴり、と白い指はぎざぎざした袋の端を破った。製品に付着しているジェル状のものを指で掬い取り、本体をぽいっと、床に。

「えっ、なんで投げた!?」

「不要だ」

 腰を浮かせて自身の後ろへ手をやった彼に、あ、もしかしてあれを滑りとして使うのか、と気付いたが、それでも後々使うはずのそれをわざわざ放り投げる理由はない。ん、と寄せられた眉にその手がどうなっているのか気になったが、流されるわけにはいかなかった。

「身体に悪いって! いや知らないけど、オレ寸前で抜いたりできるか怪しいよ!」

「構わん、俺はサーヴァントだ。寄越せと言っている」

「だからって……」

 正直、興味がないわけでもないが、それを優先させてしまうのは彼の存在を蔑ろにしてしまうようで抵抗が強い。愛があるならつけましょう、だの、0.05ミリの思いやり、だの、日本で健全な男子高校生をしていたときにしばしば見かけたフレーズが意識に染み着いていた。確かに、以前検査をしたとき自分に病気はなかったし、人類史に刻まれた英霊である彼がなにかを孕むことなどあり得ないのだろう。男性なのだし。けれども。
 手を突いたマットレスの下には、まだいくつか同じものが隠されている。自分にとって、これは、大げさに言うのならば大事に思っているよというしるしだった。

「……直接、ほしいのか?」

 でも、自分のやりかたを一方的に押し付けてしまうのは、単なる自己満足にも思えてくる。
 間違えたくなくって、瞳を覗き込んだ。水分の膜が常より厚くなっている目は、それでも感情の揺らぎを簡単には見せてくれない。彼が厭わしく思うやりかたなら、いくら好きでも意味がないのに。

「もしそうなら、ほしいって言って」

 巌窟王は、無茶苦茶を命じられたときのように真顔になって閉口した。表情に焦りながらも、黙って待つ。
 やがて、彼は長く、長くため息を吐いた。半秒経つごとに不安になってきて、今自分はとても情けない顔をしているような気がする。

「……おまえのそれは、たちが悪いな。俺を辱めんとしているのではないのだから、殊更に」

「なんかわかんないけど、ごめん」

 確かに、愛も情も知らぬ偶像を自認する巌窟王に向かって“ほしい”と言えなどと、ちゃんと考えれば外道の科白だったかもしれない。失言だったな、と悔やんでいると、彼の手が愛玩するように髪をくしゃくしゃと混ぜた。

「咎めたわけではない、そも、俺の言葉の意味を理解できていないだろう。もう忘れろ、おまえが望まないのであれば、それでいい」

「望まないわけじゃないんだよ」

 頬にまで下りてきた手を、両手で包んだ。求めていないと言えるほど、自分は純粋無垢ではない。改めて自分の裡を覗いてみれば、浅ましくも欲まみれだ。

「好きな人とするって、オレにとってはそういうものだったからしてたんだけど。もしキミが、直接がいいなら、……」

「いや。あれがおまえの単なる自制であるならば、取り払ってしまおうと思ったが。そうでないなら、いい」

 なにを言ってもほんとうのことには届かないように思えてもどかしい口を、彼は宥めるように唇で塞いだ。気遣わせてしまった申し訳なさを、触れている喜びが波のようにさらって、遠い沖まで連れていく。
 離れた唇を、自分からもう一度、ゆっくりと合わせた。

「ただ、好きなんだよ、ばかみたいに」

「……知っているとも」

 クク、と喉の奥で笑うその音は、息ができなくなるほどにやさしかった。



 中をひろげて、宥めて、馴染ませる。途中、彼はひどく苦しげに身体を捩った。彼曰くの呑み過ぎのせいか、今日は一度も出すことができていない。
 このまましたら追い詰めていくだけなんじゃ、とも思ったが、やはり彼は先を促した。せめてうんと気持ちよくなってほしい。
 気持ちよくするやりかたなんて、それほどわかるわけじゃないのだけど。
 がくがくと震える膝をさすって、へそのあたりにキスを贈る。

「もう、ちょっと、こっち来れる?」

 はあ、とこちらの肩へ手を掛けて、彼はじりじりと近付いた。鼓動が指先まで震わせそうになるのを、どうにか堪える。

「そこ、腰、おろして」

「……ン」

 片手で自分のものを支えて、彼が下りてくるのを待つ。ふ、ふ、と二回呼吸をしたあと、彼は慎重に腰を下ろした。
 ひたりと、先の粘膜が薄いゴム越しに肌に触れた。奥歯を噛んで、気持ちいいのを我慢する。強張った背中を、急かさないよう気を付けながら撫でた。

「……っは」

 すこしずつ、呑み込まれていく感覚に脳が焼かれそうだった。皺になってしまうかもと思うのに、シャツを強く握ることをやめられない。
 やがて完全に座り込んだ彼は、引き攣るように不規則に息をしていた。声を掛けたいのに、自分も動くことができない。腹の中を暴れ回る衝動に乗っ取られてしまいそうで。
 ごくん、と唾液を飲み下した音が、頭の中に響いた。こめかみが沸騰したように脈を打っている。

「…………だい、じょうぶ?」

 いまだ息が荒い彼の、呼吸を妨げないように、唇の端へキスをする。入り込んだ中は熱くて、搾り取ろうとするように蠢いていた。
 ああ、と返った声は、吐息のようにか細かった。

「……動いても」

「問題、ない」

 深くうずめたまま、前後にゆらゆらと揺さぶる。いつもの体勢と違って、彼の全身の体重を感じるのが心地よかった。穏やかな動きに、ひく、ひく、と手を当てたままの背が反っていく。

「ッう、く、ンン」

 堪えきれない、というように漏れる声が、だんだんと理性の輪郭を失っていく。胸の先を甘えるように舐めると、くう、と首を晒して彼は鳴いた。

「……ああ、好きだな」

 鎖骨の継ぎ目に唇を寄せる。中が締まった感じがして、ぐ、と喉を鳴らした。縋るように強く抱き寄せられ、肩に銀灰の頭が乗る。もし気持ちいいのなら、嬉しい。
 僅かに突き上げるようにすると、上擦った、泣くような声が耳を刺した。好きで、愛しくて、心臓が痛くて、自分も泣き出しそうになる。
 好きなんだ、ばかみたいに。

「あ、ごめん、オレ、だめだ」

 頭の中がふわふわとして、思考がまとまらない。霧のように白くて、もやが掛かっていて、でも、繋がっている彼だけは確かで。
 微かな動きで彼が頷いたのがわかって、堪えきれず、ぜんぶを真っ白に埋め尽くされた。

「ッアァ、あ、あう、っふ、ア……」

 ひくん、ひくん、と腕の中の存在が跳ねる。どこにも行ってほしくなくて、抱き締めた。
 ふたりで一つの心臓になったように、どくどくという音が重なる。遠のいていった感覚が、指先のほうからじわじわと戻ってきていた。

「は、……は、…………ふ」

 汗の滑り落ちた瞼を開くと、ぽたりと、雫がシーツへ吸い込まれていくのが見えた。ぼんやりと見送って、それから濡れた感触がしないことで、彼が出せなかったのにようやく気付く。
 身体のかたちに添わせるように手のひらを背中から動かして、腰骨にたどり着き、そこで一度指を止めた。この先に触れたとき、つらそうだったのを思い出せたからだ。

「ここ、さわってもへいき?」

 ゆるゆると、力なく首が振られた。二度で終わらず、何度も何度も。行動が意味から離れて、なにに対しての否定かを忘れそうになるほど、ずっと。
 伸ばしかけていた指を、彼の背へと回す。宥めるように撫で下ろすと、応えるように腕がぎゅうと力を込めてくれた。
 目を閉じて、預けられた身体の厚みを、胸に刻む。
 しばらくそのまま、ふたりで呼吸だけをしていた。



「難儀なものだな」

 とろとろと、眠ってしまいそうな声だった。
 自分もひっつきそうになる瞼を堪えながら、つとめて耳を傾ける。お互い、汗を掻いていて、けれどまだ、これをさっぱり流してしまいたくはなかった。酔いが醒めるのも、余韻を洗い流すのも、明日になってからでいい。
 ふわ、と欠伸が出てきて、目尻が冷たくなる。釣られたのか、世にも珍しい巌窟王の欠伸が聞こえた気がした。とても眠いので、もしかしたら幻聴かもしれない。

「俺は、決して、おまえに愛されたいわけではない」

「……うん。わかってる、つもりだよ」

「だが、ああ……」

 こつんと、額に額がくっつけられる。二回目の欠伸は、直接脳に響くような感覚がした。

「おまえが俺に抱くそれを、どうか奪ってくれるな」

 涙でぼやける目を開けて、彼の伏せられた瞼を、その境から伸びる睫毛を見つめる。
 奪うな、とは。
 彼から奪うな、と言ってくれているのだろうか。それとも、もしかして、自分自身から。訊ねるには、あまりにも意識がおぼつかなかった。

「……俺のこの身で、俺こそが叶えてやれることがあるのなら、すべてすべて、僥倖だとも思っている」

 少し考えて、寝転がったままに腰と肩を動かし、ぺたりと寄り添う。ぬるい体温が、心地いい。

「触りたいし、したいけど、身体が欲しいわけじゃないんだからね。説得力、ないと思うけど」

「……おまえの人柄は、承知しているさ」

 うん、ともらった言葉を咀嚼しないままに頷いてしまう。今日はこのまま、ここで眠ってくれるのだろうか。寝顔を見ることができないのは残念だけれど、一緒に寝てくれるというだけで、嬉しい。
 やっぱり、好きだよ、と。声にして言えたのかどうか、わからないまま、音もなく眠りに沈んでいった。



 まだ湯気の立つ紅茶を、アンデルセンは水のように飲み干した。カタンとソーサーに下ろされて鳴ったそれと、ソファに脚を伸ばす童話作家とを見比べて、もう一度カップにお茶を注ぐ。シェイクスピアはペンを握ったままで、机に突っ伏して寝ていた。

「ワインを十本は空けたが、俺とそこの演劇作家殿はそれぞれ一本というところだな。まあそろそろおまえも酔っ払いの介抱を覚えておいてもいいだろう。勉強料? 休みをくれ、釣りも連休にしてドーンと払え」

「は、八本? 八本も飲ませたのか? アルハラじゃない!?」

「人聞きの悪い。心底嫌なら霊体化なりなんなりでさっさと逃げおおせただろうさ! ところでマスター、あの復讐鬼はどうしている。昨夜は結局たいして顔色も変えなかったが、姿を見せんということは流石に二日酔いでもしたか? いや言わなくてもいい、ありもしない行間に物語を生み出すのが作家というものだからな。あれもこれもネタにさせていただくさ!」

 脱稿ハイというやつなのか、まくし立てて高らかに笑ったアンデルセンはスコーンにかじりついた。巌窟王がどうしているか、話すわけにもいかないので、その場を自分も笑って流す。

「……あのさ、ワインっておいしいの? オレ、ホットワインしか飲んだことなくって」

「フン、そうだろうよ。おまえが覚えるにはまだ早い味だからな! それはそうと、下手なサーヴァントの前で今のセリフを口にするんじゃないぞ。よくて酒盛りののち説教、悪ければ棺桶行きだ」

「ヒエエ……」

 思わずティーポットを抱いてしまい、火傷しそうになる。ワイン八本、グラスにして何杯なのだか想像もつかないが、少しもふらついていなかった彼はやはり相当強いのだな、としみじみ思った。お酒って怖い。飲み方を教わるのなら、どうせなら彼がいい。

2018/10/14







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