少女の部屋から、看護師が退出した。医療の場を戦場とし、戦場を医療の場と認識するバーサーカーは、次の患者を見つけるために今日もカルデアの巡回をはじめる。
 しばらくして、身支度を終えた少女も自室をあとにした。スケジュールを右手と左手で数えながら、その足が向かう先は食堂。
 少女の表情に、姿に、魂に。特段の翳りはない。



 朝食をとった少女はブリーフィングに向かい、そこで現在は特異点発生の兆しがないこと、時計塔が求める報告の提出に難航していること、これまで手つかずだった倉庫の整理を、可能であればサーヴァントも動員して行いたいこと、などを確認した。
 単純な力仕事でも、生身の人間、それも研究を生業とする者の多いカルデアスタッフだけではどうしても時間がかかる。たとえ全員がスパルタ王のトレーニングを受けていてもだ。歴史に名を刻んだ英雄であるとはいえ使い魔、今を生きる人間にどんなかたちでも力を貸したい者もいるし、そうでない者もいる。人選は少女に一任され、人の好いサーヴァントや暇と体力を持て余したサーヴァントが声をかけられた。
 倉庫整理は半日に及んだ。思わぬ掘り出し物が見つかったかと思えば、使い道すらわからないものも出てくる。今は故人となった者の持ちものと思しき段ボール箱も積み上げられた。カルデアの外に遺族がいる場合は、連絡をとって送れるものを送る手続きまで必要になる。手放すのに時間がかかる遺品を保留とし、それでも倉庫の山は半分以下に削れた。
 後輩とともに歓談しながら遅めの昼食を平らげ、荷の山の処遇が大方決まったあとは諍いを起こしたサーヴァントを戦闘シミュレーターに引きずり込み、作家部屋のキャスターに紅茶を淹れ、夕食の味見に一役買い、腰に懐く幼子の相手をし。そうしているうち、一日が過ぎていく。



 情報端末を確かめ、飾るように結った髪留めをほどき、少女は寝床に入らんとする。
 刹那。
 くるりと方向転換して、少女はベッドに、潜るのではなく腰掛けた。

「巌窟王、いる?」

 夜の静寂を壊さぬ、控えめな呼びかけ。応えるまでに、一拍を要した。
 現実に干渉するための器を取り戻し、炎が意図を持って集束していく。霊体の己に、すがたを与えていく。
 実体化。
 ややあって、革靴の底をリノリウムの床に着けた。音は立てない。帽子を深く被り直し、共犯者たる少女を見下ろす。

「……どうした、マスター」

「うん、朝からなんとなくキミの顔が見たかったんだけどね」

 朝から、という言葉が、胸にとまる。少女は丸一日、そんな様子を見せはしなかった。

「今日、会えてなかったからさ」

 それだけ。怒る? と、少女は少しばかり決まりが悪そうに微笑した。彼女が望むのならば、否やはない。その願いも強制するつもりでもなく、もし声の届く範囲にいるのならば、というささやかさであったのだから、尚更。
 かぶりを振って答えにすると、少女の顔に、じわりと安堵が広がった。

「時に、立香。……近頃、夢見は悪くないか」

「夢?」

 気取られぬよう、問う声になんの念も含ませぬよう注意した。少女は不思議そうにまばたきをして、幼子のような素直さで首を振る。

「ううん。むしろ今日はたぶん、とてもいい夢を見たんだと思う。……どんな夢かは、ぜんぜん思い出せないんだけど」

 そうして、記憶をさぐるような目線を虚空に投げてから、少女はやわらかく笑った。

「……そうか」

 予想だにしなかったその顔を、閉じ込めるように目を伏せる。
 この少女は。
 特異点を巡る人理修復、失ったものも数多い旅路を振り返り、楽しかった、とのたまう人間だ。悲しみを、憤りを、痛みを忘れることはなく、けれど確かに出会ったものを喜んでは笑う。
 精神の奥深く、残骸の積もるそこは決して気持ちのよい処ではない。昏迷すれば戻れなくなる危険すらある、本来踏み入るべきではない場所だ。戦闘を好むわけでもない彼女が、それをいい夢と呼んだのは。

「それでいい。無理に思い出す必要はないさ」

 眩しさに、身を灼かれるような心地になる。馬鹿なことを。既にこの身は炎であるというのに。
 底の出来事など、そこになにが居たかなど、覚えていないほうがいい。現実と、多くの夢で、彼女は十二分に戦っている。残滓まで気にかけるべきではない。後始末にまで心を寄せる必要はない。
 知らなくていい。知らないままで、いい。

「そら、疾く寝てしまえ。瞼がとろけはじめているぞ」

「うん。……おやすみ、巌窟王」

「ああ。よくよく眠れ」

 猫のように目をこすり、少女は今度こそベッドに入った。今宵は夢すら見ずに眠るといい。それでもなにかを見るのなら、せめて。

「おまえのための、よい夢を」

2018/09/12


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