眠いな、と、目が覚めて一番に思ったのはそれだった。視界がやけに眩しくて、しばらくぼーっとしたあとで天井が物理的に白いのだと気が付く。
まばたきをして、改めて瞼を開く。既視感はあるが知らない天井だった。
「……目覚めたか、立香」
「ん、うーん、ここどこ……」
名前を呼ばれたからとりあえず返事をして、声のしたほうを見る。それで天井以外の色々なものが目に入り、保健室だとか病院だとか、そういう単語が頭に浮かんだ。白い光景に溶け込むような色の髪と肌。金色の瞳は、様子をうかがうように見つめてくる。
「……?」
「俺に訊くなよ。迷子の少女のために樹から落ちるなど、何をどうしたらそうなったのか知りたいのはこちらのほうだ。じきに看護師か医師が来るだろうが、事情聴取はその後だな」
冷静に、けれど少し不機嫌そうにつらつら喋る彼に見入っていると、背後でカツカツと足音がした。寝返りの要領で振り向くと、言われたとおり看護師さんがそこに来ている。自分がぼんやりしているうちに、ナースコールでも押してくれたのだろうか。
「藤丸さん、お加減いかがですか」
「身体は大丈夫じゃないかなと思うんですけど、ちょっと……」
「『身体は』?」
「えと、あの」
ベッドの上で上半身を起こす。なるほど強く打ったのだろう、いろんなところが痛くて、怠い。視界の左側で彼がやや屈んだのがわかって、きっとこれは自分がふらついたら支えてくれるつもりだったのだろうと察する。
知らない人では、ないはずだ。
「たぶん、記憶喪失に……なってると思います」
看護師さんは目を丸くした。冷えた心臓がどきどきと鳴っていて、彼のほうを振り返るのが、少し怖かった。
音も立てずにカップがソーサーへ置かれて、あ、来るな、と思った。彼が話し始める前にと、口の中のドーナツをこっそり急いで飲み下す。
「……無理して思い出そうとせずともいい。医師も言っていたろう、今後ふとしたことで記憶が蘇る可能性は十分にある」
「し、一生思い出せない可能性もある」
彼が言わないだろう先を補完すれば、眉間に苦々しそうなシワが寄った。予想通りの表情だ。
「無理してるつもりはないよ」
彼と『知り合って』からの一月、その中でも特に色濃かったのだろう七日間。断片的にしか聴けていないけれど、大切な時間だったということはわかる。自分にとっても、彼にとっても。
「すべては俺が覚えている。おまえが思い出さずとも、何ら揺らぐことなく」
それは、彼が何度も繰り返した言葉だった。
唇を舐めると砂糖がついていた。紙ナプキンでぬぐって、またドーナツを一口かじる。
真実なのだろうと思う。彼とはこれから関係をまた築いていけばいいし、忘れてしまっただけで経験はきちんと自分のものになっているかもしれない。でも。
こくりと飲み込んで、笑う。逆の立場だったらどう思うか。目の前の彼が、どう感じているか。
「寂しいだろ、自分だけ覚えてるって」
だから、諦めたくはないのだ。くるりと丸く開かれた目を見て、尚更、そう決めた。
2021/08/27
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