腹の底が熱い。右手の指に絡んだ指が、時折抱き締めるように握られる。既に死した影である身には不要なはずの呼吸が、重く湿って温度を持つ。
 伏せていた瞼を上げると、サファイアの瞳とかち合った。向こうもすぐに視線が交わったことに気が付き、一瞬照れたように唇をまごつかせたのち、状況には不似合いなほど幼気な笑みを浮かべた。蕩けるように喜色を示す、何の情欲も感じさせないひたむきな笑顔。
 ベッドの上で。身体を繋げたこの状況で。

「……ハ、ァ」

 呼気が意図せず声帯を震わせ、こぼれ出た音は快楽に茹だって崩れていた。こうまでこちらを融かしておきながら、ただただ慕情で微笑む少年にいつも負けたような気分になる。肉欲に溺れて目の前の相手を見失うような男であれば、そもそもここまで許していまいが。
 ぬるりと押し込まれ、内側の粘膜が余す所なく刺激される。薄い避妊具越しで、そこに限って言えば魔力の受け渡しなど皆無であるのに、何度も意図をもってひらかれてきた身体はこれを快と認識する。先程まで穏やかであった彼の表情が、今度は健気に歪むのもよくなかった。好いと、感じられているのが丸わかりで。

「……ふ」

 脊椎を走る感覚に震え、その震えを宥めるかのように鼻先へキスが降りる。こちらがある程度受け流せたことを見てとると、その唇は顎に、鎖骨に、心臓の上にと次々降りそそいだ。精神ごと愛撫され、落ち着いた呼吸がまた速まる。
 中のそれが、ずるり、引き抜かれていく。刺激に慣れぬうちに半分まで去って、それからその位置で、ぐ、と腹を内側から押し上げた。
 視界がまたたく。不随意に声が出る。
 握る手の力だけは、強めてはならないと理解していた。サーヴァントたる膂力で加減をせず握り込めば、人間の骨などたやすく折れてしまう。自由な左手がシーツを泳ぐ。熱を帯びた指に、さらりとした布地は冷たい。

「ん、きもち、いい?」

 自らも快を覚えながら眉を寄せて堪える顔に、心臓が疼く。漏れ出る声を抑えたとて、いらえには僅かばかりの時を要した。羞恥を煽る意図でもないのだろうが。

「……見て、わかれ」

 まだ幼さの残るかたちをした頬が、赤く染まる。その色が抜けないまま、彼は気恥ずかしそうに目を伏せた。

「……うん」

 幾度も身体を重ねても、いまだに斯様な反応をする。こういう振る舞いが、気に入らないと言えば嘘になる。
 胸の中心へ鼻先を埋めるように口づけを寄越すと、彼は腹の中に沈めたそれをぎりぎりまで抜き出した。そうしてまた、細胞のひとつひとつに思い知らせようとするかのような緩慢さで、うずめていく。

「り、つ」
 
 わけもなく呼ぼうとした名が、途切れる。こちらを向いた顔はふにゃりと笑んだ。心臓が痛む。指先が震える。
 はじめの頃より辿々しさが収まったとはいえ、行為はいつもゆるやかなものだった。明け渡した身体で差し出した己だ、好きなように抱けばいいが、弱火で煮詰めるようなやりかたは意識がすべてを追えてしまうぶん、どうにも逃げ場がない。これ以外を知っているわけでもないのだが。
 少年のやや骨ばった肉付きの悪い右手が、腹の筋肉をなぞる。ひくりと、跳ねて、それが内側にまで届く。

「好き、だよ」

 せいぜい半径数十センチのあいだでささやかに響いた声が、鼓膜を揺らし皮膚にまでも染み渡る。この身の核たる熾火は消えず、それなのに、決定的に陥落する。
 予感のように、背筋が震えた。

「……ふ」

 内臓が痙攣している。蠢いて、食んで、勝手に刺激を増幅させて、その刺激のせいでまた、蠕動がひどくなる。

「あ、」

 異常事態だと、理性は冷静に判断した。したからといって対処ができるわけでもない。こちらを見つめる晴れ渡った空の瞳が、異変の気配にきょとりとまたたく。

「っぐ、う」

「あっ、え、巌窟王」

 頭を振っても振り払えなかった。浮遊の錯覚、重力に手放されていく、波が押し寄せ、思考の端が白ばむ。
 膜越しに、彼が極めたことを認識し、一層痙攣と感覚が強くなった。己が目を閉じているのか開いているのか、それさえ見失う。
 脳髄が、痺れる。

「っ、ごめ、ん、オレだけ、先に」

 応えられない。
 色を取り戻し始めた視界の中心近く、薄い唇には血が滲んでいた。堪えんとして噛んだのだろう、バカなやつだ、あれではきっと内側にも傷が出来ている。

「……巌窟王?」

 視覚から、聴覚から、触覚から、彼以外の情報を拾えない。己の輪郭が、空気にとけているかのように。

「大丈夫か?」

「あ、あ、……う」

 問われ、喉から音が出ていることに気が付き、熱い、腹の中がひくついて、それがまた神経を駆け上り、首の後ろから脳天に響き、飽和し、あまりにも。

「どうしたの、なあ、……抜こうか、なか」

「……ッ今、は、まて」

 どうにか紡いだ制止に、彼はニ度素早くまばたきをして、首肯した。
 手の甲を、五つの指先が気遣わしげに撫ぜる。ただやわらかいだけの触れかたに、心許ない感覚が僅かずつ落ち着いていく。
 呼吸に、一吐きずつ、深さを与える。己の意思の支配下に、それを再び抑え込む。

「いっ、……て、ないよな?」

「…………いや、……」

「?」

 おろおろと心配そうに、また困惑したように瞳が揺れる。そんな顔をするな、髪をかき混ぜてやりたくなってしまう。
 唾液を飲み下す音がいやに響き、それが僅かばかり意識を明瞭にした。触れ合っていない左手で、己の前髪をかき上げる。

「……とりあえず、抜くよ」

「……ああ」

 手のひらを額に押し当て、刺激を受け流そうと構えた。脈拍が煩わしい。ずるりと、中で動いたものに、また腹筋が引きつる。

「ふ、っ……」

 抜き去られるそれに、どうしようもない切迫感を覚える。奪われた、とすら思った。実に、バカげている。全身が小刻みに震えることをやめない。
 頬に、顎に、鼻先に、いくつもキスを落とされる。行為の直後であるのにやはり色情の湿度からは遠く、まるきり飼い主の顔を舐める犬の様相だった。触れては離れる唇からは、控えめな気遣いと心配ばかりが伝わる。
 力を抜いた左の腕が、ぱたりとシーツに落ちた。

「大丈夫?」

「……に、見え、るか」

「見えない……」

 きゅ、と右手が握られる。耳と尾が見えそうだ。彼の母国の犬種はなんと言ったか、尻尾の丸まった。
 ひとつ、大きく息を吸う。糸のように細く、長く吐き出して、身体に残る余韻をつとめて抜いた。

「ごめん」

「謝るな、必要ない」

「……ちゃんと言ってほしい、どこがおかしい?」

 真っ直ぐにそそがれる視線は、マスターとして──『カルデアのマスター』の務めを担う者として──磨かれてきた、状況に向き合おうとする真摯なそれであった。好ましいが、今に似つかわしいものではない。

「違う、……何も。何も不具合は起きていない。常と同じだ、……放たなかっただけで、それを除けば同じようなものだったろう、おまえが見た俺のさまも」

「……えっと」

 己とて正確に理解しているわけではないのに、安心させてやろうと言葉を紡ぐのが滑稽だった。ただ、目の前で彼が動転しているおかげで自己を取り繕えたのは確かだ。
 繋いだままの右手がぬるい。意味を咀嚼するような間のあとに、ぱ、とその顔がまた色を変えた。少年そのものの恥じらいが、こちらにまで波及しようとする。
 ひくりと、血を張り付かせたまま乾きはじめた唇が声もなくまごついた。

「そ、そんなこと、あるんだ……?」

「……知らん、知らんが、おまえが俺に齎したことだ」

 突きつけようという意図はなかったが、彼は追撃を受けた表情で黙り込んだ。目尻から耳までも色づいて、眺めるぶんには愉快ではある。
 じわじわと下がっていく視線を、右手に軽く力を込めることで呼んだ。

「……はい」

 目を合わせたままで、半分伏せてみせる。きょとりと丸く開かれた青が、すぐに理解してはにかんだ。ゆっくりと、降りてくる。
 重ねた唇を舌で割り開き、下唇の裏側をなぞる。やはり、内側のほうが深い。顰められる眉、強張る肩に溜飲が下がった。
 痛みに怯んでか縮こまった舌を、絡め取って伸ばす。とうに覚えた彼の好むやりかたを使うと、閉ざされた瞼は素直に震えた。
 
「……は、」

 こちらの顔のすぐ横に、頭が落ちた。首元に懐かれ、癖のある髪が肌をくすぐる。

「暫くは水でも沁みそうだな」

「あー、トマトとか痛そう……」

 素肌同士がひたりと吸い付く。いい加減軋んできた右手をほどいて、黒い髪の中へと埋めた。撫でることはせずそのまま置き、離す。
 たったそれだけで、へへ、と嬉しげに声をこぼす、その顔の見えないことが少し、惜しかった。

2020/08/09

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