「お疲れ様でした!」

 まだ残っているバイトの人や店長に挨拶をして、裏口のドアを開ける。途端に、突き刺すような冷え冷えとした外気がからだを包んだ。すん、と鼻から吸いこんだ空気がひんやりとからだ中に染みわたっていく感覚に、思わずからだがぶるりと震える。 寒いどころの話じゃない、からだの芯まで凍っちゃいそうだ。
 マフラーをくちもとまで引っぱり上げながら、急いでお店の入り口に回る。店の前に立っている、見覚えのある制服のひと。

「神童くん!」

 驚いたように携帯をいじっていた手を止めて顔をあげた神童くんに駆け寄る。
 バイトが終わって着替える前に携帯を見たら、メールが一件。『外で待ってる』って一言、神童くんから。だから今日はこれまでにないってくらい早く着替えて、慌てて出てきたのだ。

「ごめん、待ったよね」
「そうでもないよ」
「うそ、だってメール来たの三十分も前だったもん」

 そう言うと、困ったように笑う。私とおんなじようにマフラーだけ巻いて、コートなんて着てないし。鼻の頭もゆびさきも私よりずっと赤い。私なんかまだ外に出て五分でもう凍えちゃいそうなのに、こんな寒いなかずっと待たせてたなんて。

「ほんとごめん…」
「いや、俺が勝手に待ってただけだから」
「…うー」

 大事なゆびなのに。少しでも温かくなるように、神童くんの手を私の手で包む。彼の手は私よりも大きいから包みきれてないけど、くすぐったそうにしながらも、「あったかいな」って言って柔らかく握り返してくれた。もう、今日はいやだって言ってもこのまま手をつないで帰ってやるんだから。
 そう決意して、ぎゅっとつないだ手に力をこめた瞬間、後ろから名前を呼ばれた。慌てて振り返る。

「あっ、店長、お疲れさまです!」
「おーうお疲れー」

 ちゃらちゃらと手に持った鍵(たぶんお店の)を揺らした店長は私を見て、神童くんを見て、それから私たちの手をじっとみつめて、面白そうに目を細めた。
 …はっ! 店長の笑顔の意味に気づいて思わず手を離そうとしたら、するりと神童くんの細くて長いゆびにつかまえられる。ええっ、ちょっと、神童くん! 必死に目で訴えかけるも、そ知らぬ顔をする神童くんと焦る私に店長は一言、「若いっていいねえ」そう言って歩いていってしまった。…なんだったんだ、いまの。

「…えっと、神童くん…」
「もう遅いし帰るか」
「…はい」


▽△▽


 街灯がおんなじ間隔でぽつりぽつりと薄暗く道を照らす。たまに仕事帰りのサラリーマンのひととすれ違うだけで、あまり人通りの多くない道をふたりで歩く。
 大きく息を吐き出すと、白くなったそれはまるで溶けるようにすうっと暗闇に紛れていった。それを追うように暗い空を見上げる。

「バイトってなにしてるんだ?」
「私? 私はひたすら餃子焼いてるよ。餃子以外も作るけど」
「キッチンで働いてるのか」
「うん、始めたばっかだから。最初はホールはやめた方がいいよーって言われた」
「へえ」

 他愛ない話をしながらそっと視線を落として、つながれたままの手を見る。なんか、神童くん変わったなあ。中学生だった頃に比べて背も高くなったし、手もこんなに大きい。なにより今ではなんでもないような顔をして手をつなげるようになったけど、あの頃の私たちは手をつなぐのでさえ一苦労だった気がする。思い出して、思わずくちもとがゆるむ。そんなので笑えちゃうくらい、私、神童くんがすきだ。

「どうかしたか?」
「んーん、神童くんすきだなあって」

 上機嫌で神童くんを見上げる、と。あれ。なんだか複雑な顔。神童くんは心配性だからよく見るといえばよく見る顔だけど、微妙になんか、違う。どちらからともなく自然に立ち止まって、え、私なにか言った? もしかして神童くんすきって言ったの、だめだったとか。
 悶々と考える私をよそに、ふっと街灯の明かりを遮るように、上から影が落ちてくる。顔を上げると私より全然背の高い神童くんが少しかがむようにして、顔が近づけられる。思わず顔を背けようとして、でもそれは頬に手をそえられて叶わなかった。うわ、は、はずかしい。慌ててぎゅうっと目をつぶると、くちびるにしっとりと柔らかいものが押しあてられた。

「う」

 くちびるがくっついた状態でいち、にい、さんなんて数えてる余裕はなくて、心臓がばくばくいっている。神童くんの柔らかい髪の毛が、ほおをくすぐる。くちびるがくっついてるだけの可愛いキスなのに、なんで、こんなに。
 息が苦しくなってきて、つながれていない方の手で神童くんの制服の裾を掴んだら、ゆっくりとくちびるが離れていった。目を開けて、神童くんを見る。

「…めずらしいね」
「…なにが」
「神童くんが、外でこういう、こと、するの…」

 あと少しで合いそうになった目が、ふいと逸らされた。くちもとに手を当ててそっぽを向かれる。

「…悪い。…なんか、どうしてもしたくなった、から」

 気まずそうにくちを開いたと思ったら、くぐもった声でそうちいさく呟いた。
灰色がかった茶色のふわふわした髪からのぞく耳とほっぺたが真っ赤で、う、わあ。神童くん、どうしちゃったの。いまさら、しかも自分からしておいて照れるなんて。 普段の神童くんからは考えられないような行動や言葉に唖然とする。

「…いやだったら、ごめん」
「え、な、なんで謝るの?」
「だってここ、外だし」
「…えええ、いや、うん、全然いやとかじゃないよ」
「…そうか」
「ほんとだよ! だって私、神童くんがキスしてくれて嬉しいよ。外…とかは、いやそりゃひとに見られてたらはずかしいけどほら、誰も見てなかったし! 全然大丈夫だよ、むしろもっとしてくれてもいいんだよ!」
「…いや、ここでは遠慮しとく」

 なんだか余計なことまで口走ったような気がするけど、それでも安心したようにいつもみたいに笑う神童くんに私もほっとした。だって、すきな人とキスできていやなおんなのこなんて、きっといないと思う。まして、私は神童くんのこと、だいすきなんだから。すきですきで仕方ないんだから。きっと、神童くんが思ってるよりもずっとずっと、私は神童くんのことがすきだ。私の神童くんをすきって気持ちが全部伝わればいいのに。

「神童くん」
「ん?」
「すきだよ」

 ありがとうって、嬉しそうに笑ってくれる。
 背も伸びて笑った顔も大人っぽくなったけど、ピアノとサッカーが上手で優しくてちょっと泣き虫なところは変わってない。 ずうっと変わらなければいいな、なんて思ってる。
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