築うん十年だかですっかり傷んだアパートの床のうえにごろんと寝ころぶ。この肌をとおして伝わってくるひんやりがすきだ。
 ぶーんと音を立てて忙しなく首を回す水色の扇風機の風が自分にあたるように調節して、台所から聞こえてくるトントンという音に耳を傾ける。なんだか、

「…小学生みたい」
「えー? なんか言った?」
「んー」

 ちらりと顔をのぞかせたうすい桃色のエプロン。私のエプロンだけど、少し奮発してお高いのを買ったわりにはそういえば私はあんまり料理というものをしないことに気づいたので、今は勇人がそれのご主人様なのである。もうすっかり私よりも勇人になじんでしまって、むしろ私がつけるとなぜか違和感を感じるようなエプロンだけど、でもきっと使われないで隅っこにしまわれちゃうよりは、こっちのほうがいいに決まってる。
 うだうだ、そんなことを考えていたところで、できたよと声をかけられた。菜箸を手にした勇人が台所から顔を出す。

「お茶と箸用意して」
「はーい」

 冷蔵庫からキンキンに冷えた麦茶のボトルを取り出して、氷をふたつみっつコップに入れる。たぷたぷと麦茶を注ぐと、ぱきりと氷にヒビが入った。この瞬間もすき。
ちいさいテーブルのうえに箸とコップを置いて、勇人を待つ。なかなか来ないから、コップをほっぺにくっつけてみた。つめたい。

「おまたせー」
「今日のメニューは?」
「そうめん」

 テーブルのうえにお皿をどんっと乗っけて、向かい合わせで座る。いただきます! と手をあわせて、さっそくそうめんに手を伸ばして、ちゅるんとひとくち。

「おいしいー」
「そう? ただのそうめんだけどね」
「私だったらゆですぎてゆるゆるのふにゃふにゃになっちゃうもん」
「はは」

 トマトとツナときゅうりとレタスが添えられた彩りのよいそうめんをみつめる。私だったら野菜乗せようとか考えないな。そうめんだけゆでてそのままめんつゆにつけて食べちゃう。やるなあ、勇人。ていうか、そうめんもゆでられない私ってどうなんだろう。しゃきしゃきのレタスを口に頬張りながら思う。

「冷蔵庫にもうちょっとなんか入ってたら、そうめんなんかじゃなくてべつの作ったのにさ。オレ来るときはなんか肉とか野菜とか入れといてよ」
「えっ…うーん、うん…べつにいいよ、ほらそうめんで十分おいしいし!」
「買い物行くのめんどくさいだけでしょ」
「ぐっ……じゃあ、夕方一緒に買い物行こ」
「いいけど…土曜って終電何時だっけ」
「あれ、なんか用事あるの」
「べつになんもないよ」
「え? なのに帰っちゃうの?」
「…え、なに、いいの」
「なにが?」

 赤く熟れたトマトを口にほうり込みながら、完全に箸が止まっている勇人を見る。甘くておいしい。今年の夏はトマトが高かったらしいけれど、これまた食品の値段が全然わからない私は特になにも思わずにかごに入れて、その存在をさっぱり忘れていたのだ。よかった、勇人が見つけてくれて。こんなにおいしいものの存在を忘れてるなんてもったいない。それに、だめにしてしまうなんてばち当たりだ。

「…泊まってっても、いいの」
「どうぞどうぞ」
「…じゃあ、よろしくおねがいします」
「うん」

 くちをもぐもぐさせながら頷く。最後に残った短いそうめんたちを集めてすくって、くちに入れる。ごちそうさまです。そう言って手を合わせると、いつもみたいにお粗末さまです、と返してくれた。
 また扇風機の前に陣取って、扇風機が運んでくるぬるい風を受ける。網の部分をつめでひっかいてみる。暑い暑いと文句を言ったりするけれど、でもクーラーの冷風よりこっちのほうが私には合っていると思う。それに、クーラーをつけようにもまずこのおんぼろアパートにはつける場所がないのだ。

「なんかさ」
「うん」
「昔の小学生の夏休みっぽい」
「はあ、昔の」
「だって今どき玄関に簾なんか掛けてさー、真っ昼間からそうめん食って扇風機かけてごろごろして、小学生じゃん。一昔前の」
「私れっきとした女子大生だよ…」
「オレはいいと思うけどね。…あ、でもやっぱりちょっとだけよくない」
「? なんで?」

 寝ころがった状態から勇人を見上げる。あ、ちょっと難しい顔してる。さてはまたなんかお母さんみたいなこと言おうとしてるな。勇人お母さん。この前ふざけてそう呼んだら怒られてしまった。

「もうちょっとさ、セキュリティのちゃんとしてるとこ住んだほうがいいと思うよ」
「セキュリティってあれ、戸締りとか?」
「そ、このアパート鍵とか古いし、やっぱおんなのこひとりだけだし心配だよ。オレだってそんな近くに住んでるわけじゃないんだし」
「えー。勇人ってほんと心配性だね」
「そりゃ心配するよ、おまえあぶなっかしいんだもん」
「でも私ここ引っ越したくはないなー…」
「うん、だからさ、困ったことあったらすぐ呼んで。なるべく早く来るから」
「うん。…ありがとう」

 たまに、すごくぜいたくだと思う。勇人は料理も私なんかよりずっと上手で、こんなにも優しくて、それを甘んじて享受しているだけの私が。私は勇人からもらっているものの代わりになにを返せているんだろうって、不安になる。
 きっとそう言ったら、ばかだなって優しく笑ってくれるんだろうけど。

「勇人、やっぱり今日は私が夕飯作る」
「え、できんの?」
「…カレーくらいなら」
「そっか」

 たぶん、私が考えてることなんてとっくに見透かされてるんだろう。面白そうに細められた目に、顔をうつむけた。
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