「駄菓子屋さん行きやしょう」

 二限の授業が始まって五分、突然そんなかわいらしい言葉が沖田くんのくちから飛び出した。駄菓子屋にさんづけって。
 呆気にとられて沖田くんをみつめれば、私のかばんをごく自然に持って(奪い取ったともいう)さっさと席を立って歩きだしてしまった。ていうか、え、今から? だってもう二限始まってるんですけど。
それでも、もたもたしていると置いていかれてしまう気がしたから、ええい、もうどうにでもなれ! と腹を括って、なるべく目立たないように後ろのドアから教室を抜け出した。出るときにちらりと後ろを振り返ったら冷やかな目をした教授とばっちり目があってしまって、私、もう次からこの授業出られないかもしれない。
 もう夏だというのに背中に冷たい汗をかきながら先に出ていった沖田くんを探せば、すぐ側の自動販売機の横に立っていた。こっちこっちと手招きされる。

「沖田くん、私もうあの教授の授業出られないよ…」
「なに弱気なこと言ってんでさァ、人間その気になればなんでもできますぜィ」
「え、なんのはなし?」

 またぶらりと歩きだした沖田くんの隣に並ぶ。ドアを開けて外に出ると、セミの声がわっと大きくなった。そのままキャンパスを出て十分くらい歩いて、地下鉄に乗る。沖田くんが黙ってるから、なんとなく私もしゃべらなかった。べつに沖田くんがしゃべらないのなんていつものことだし、この空気が苦痛なわけでもない。むしろ、空いている電車のなかで私と沖田くんだけが隣に座っていることが、ちょっとこそばゆいかもしれない。なんかむずむずする。冷房の効いた車内で、沖田くんとくっついている右側だけが少しあったかい。
 一回乗り換えをして、大学から八つくらい離れた駅で降りた。ちょっと寂れたというか、古い家がたくさん並んでるようなところ。駄菓子屋さん、ありそう。

「沖田くん、ここ来たことあるの?」
「ないでさァ」
「そっかー、来たこと…ええっ、ないの!? 駄菓子屋さんは!?」
「駄菓子屋がないとは一言も言ってないですぜ」

 ほら、と差し出された携帯の画面を見れば、この辺りの地図が表示されていた。それよりも携帯のストラップのほうに驚く。なにこれ、

「カブトムシ…?」
「サド丸十一号でさァ」

 ぷらぷらと揺れているカブトムシのストラップ。すごい、本物そっくり。いつだったか沖田くんが写メって見せてくれたサド丸(何号かは忘れた)にどことなく似てる気がする。
 しばらく眺めていたら、一個あげやしょうかと聞かれたから、丁重にお断りした。今時カブトムシ携帯につけてるおんなのこなんて滅多にいないよ。昔もいたかどうかなんて知らないけれど。
 それからは急な坂道を息を切らしながら上ったり、涼しくてひんやりした木陰を歩いたりしながら駄菓子屋さんを目指した。
沖田くんは汗、かいてるんだけど、なんだかそれすらも涼しく見える。なんだろう、肌白いからかな。うらやましい。そのくせ黒いTシャツの背中が汗びっしょりで色が変わってて笑った。
 沖田くん、さっきから一回も地図見たりしてないけど道わかるんだろうか。まあいいや、時間たくさんあるし。


▽△▽


 二十分くらい歩いて、最後に長い坂を上ると、ちょっと高台みたいになっていて、見晴らしのいいところに出た。ちいさな町と、海。絵に描いたみたいな風景が眼下に広がっている。

「沖田くん、海、海見えるよ」
「俺には駄菓子屋しか見えやせん」
「……」

 こぢんまりとした古ぼけた駄菓子屋さん。いまにも壊れそうな扇風機がかたかたと音をたてて首を回している。なかは薄暗くて、隅っこの暗がりのほうにおばあちゃんが座っていた。全然動かないからまさか死んでないよね? って不安になって、いきなり目が開いたときは驚いて思わず沖田くんの腕にしがみついてしまった。
 沖田くんが真剣に駄菓子を吟味してる横で、私も美味しそうな駄菓子をちょいちょいかごに入れる。コンビニで買ったことあるのとか、全然見たこともないのとか。
 帰り際にお金を払おうとしたら、またおばあちゃんがうつらうつらしていたから、起こさないようにお金を置いて駄菓子屋を出た。
 涼しげな顔をして歩く沖田くんの後ろでビニール袋(カウンターにかかってたのを勝手にもらってきた)のなかでカサコソと音を立てる駄菓子を見ていたら、沖田くんも袋を覗きこんできた。

「これどんな味だと思う?」
「さあ」

 来るときに上った坂を今度はのろのろと下る。
 頭の上にタオルハンカチを乗せて歩く私を、沖田くんはヘンなものでも見るような目で見た。だってすっごく暑いよ、熱中症とかなったら怖いもん。

「ほら、海見えるでしょ」
「ほんとですねェ」
「沖田くん、今度海行こう」
「どこの?」
「なんでもいいよ」

 ふいにざあっと吹きぬけていった風には潮のにおいは混じっていなくて、海風はここまでは届かないみたいだ。あ、海、見えなくなっちゃった。残念。海が見えれば、少しは涼しく感じるのに。
 相変わらず私の荷物は沖田くんの手のなかに収まっている。なんとなく、その取手のところを私も掴んだ。立ち止まって、沖田くんのぱっちりとした目が私を見る。私も沖田くんを見た。

「…手ぇ繋ぎたいんならそう言えばいいのに」
「べつに手が繋ぎたいわけではないんだよ」
「可愛くないオンナでさァ」
「すいませんね」
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