必要な嘘 と 不要な迷い
04


人の笑い声が聞こえる。尋之さんが誰かと電話でもしているんだろうか。
微睡んでいる思考はうまく回らず、いつもよりも寝心地が良く感じるベッドで寝返りを打つ。

昨夜、あんなに濡れてしまったのにふかふかのマットレスと触り心地のいいシーツに二度寝をしようとして、ハッと目が覚めた。どう考えても、昨日の今日でマットレスが乾くはずがない。ガバっと起き上がると、聞こえていた笑い声がピタリと止んで、聴き馴染みのある明るい声が耳に入った。

「あ、遼起きた?」

ゆっくりと視線を斜め後ろに向けると、床に座った郁の姿とその向かいでゆるい笑顔を浮かべた尋之さんがいた。

何で、郁がいるんだ。

意味がわからない状況に、これは夢かもしれないと思い始めたところで尋之さんが口を開く。

「はるちゃん、郁くん、もうこっちに引っ越してきたらしいよ?予定伝えてたみたいだけど」
「え・・・え!?」
「遼ってばひでーの。昨日荷物運んであらかた片付いたら会いに行くって言ってたじゃん」
「あ、そう、だっけ?ごめん・・・」

正月に帰った時にやっぱり家は別々にしようと伝えて、その後に家が決まったと連絡が来ていたかもしれない。ここ最近は尋之さんと過ごす事が幸せでいっぱいいっぱいで、申し訳ないけど見落としていたのだろう。
とりあえず、服を着ていて良かったとベッドから降りてマットレスを眺める。

おそらく尋之さんが新しく買ってきてくれたのだろうそれに、お礼を言いたいが郁がいる手前、口に出しづらい。マットレスを買い換えるなんて、側から見たら何をしたんだと勘繰られるのが普通だ。チラリと尋之さんに視線を向けると、困った様に笑って俺を手招きした。

まだ拗ねた顔をしている郁を横目に尋之さんの隣に座ると、長い腕がガシッと俺の肩を掴んだ。あまりされた事のない強目のボディタッチに硬直していると、尋之さんが明るく言った。

「いやー、はるちゃん、昨日は悪かったね〜。まさかベッドの上で酔って吐くとは思わなくってさ」
「え、いや、え?」
「あー、はるちゃんも結構酔ってたし、覚えてないか〜」

ははは、と笑った尋之さんを茫然と見つめていると、郁が呆れた表情を浮かべた。それを見てようやく意味が分かって、尋之さんがうまくごまかしてくれたのだとほっとした。まさか弟に、男同士でそういうことをしていたとばれるのではと、うっすらとかいていた冷や汗を拭う。

「てか、尋之さんと遼って、どこで知り合ったの?」

もうマットレスに関しては興味はないと言った様に郁が聞いてきた。何と答えればいいのかと、視線をずらして考えていたが再び尋之さんが助け舟を出してくれた。

「あー、なんか、悪いキャッチに捕まってるとこを助けてあげた、みたいな感じだよ〜」
「まじか、遼、気を付けろよ」
「え、ああ、うん。そうだね、気をつけるよ・・・」

あながち嘘ではないが、よくこんなにポンポンとごまかす言葉が出てくるな、と尋之さんに再び視線をやるとおかしそうに笑って俺の口元を撫でた。郁がいるのにと、ドキッとしたがニヤリと笑った尋之さんに顔を熱くして黙り込む。

「はるちゃん、よだれの跡ついてるから、顔洗ってきなよ」
「・・・え!?早く言ってください!」

いい歳をこいてよだれなんて、と立ち上がって洗面所に行くと、確かによだれの跡がついていた。郁にも見られたってことか、と、兄としての尊厳も何もないなと苦笑いを浮かべる。ついでに歯も磨こうと歯ブラシを咥えたところで、後ろから「はるちゃん」と声をかけられた。振り返ると携帯を片手に外の扉を指さした尋之さんがいて、多分仕事の電話だろうと首を縦に振る。

俺だけだったら、家の中やベランダで済ませるのだろうが、郁がいるのでそれは無理だった。
俺たちの関係だけじゃなく、尋之さんが何者なのかということまで隠し通さなければいけないことに少し胸が痛む。絶対に祝福はしてもらいないと分かっている関係は、危うくて、それでも手放せないほどに甘い。

適当に歯を磨き終えて、部屋に戻ると郁が腕を組んで難しい顔をしていた。

何をしているんだと声をかけようと向かいに座ったところで郁が意を決した顔で口を開く。

「なぁ、遼。あの、もしかして、だけどさ」
「え・・・なに?」

郁が言い辛そうに吐き出した言葉に、心臓が大きく跳ね上がる。もしかして、尋之さんがヤクザとバレてしまったのだろうか。何とごまかせばいいんだろう。吹き出してきた嫌な汗に、ぎこちなくなってしまっただろう笑顔を浮かべて聞き返すと、郁が大きく溜め息を吐いた。

どうしよう、やだ、尋之さんと離れるなんて、無理なのに。

ゴクリと生唾を飲んだ俺に、郁が苦笑いを浮かべた。

「いや、別に、そんな否定するつもりはないよ」
「・・・え?」
「あー、その。まぁ、遼が幸せならいいっていうか・・・今の時代珍しくないでしょ、同性愛なんて」
「あ・・・え、あ、うん・・・え!?」

まさか、そっちがバレているとは思いもしなかった俺は、たっぷり時間をかけて大声を上げた。そしてようやく、理解した時には恥ずかしさで顔が湯だったように熱を持った。

何でバレたんだ、いや、でもヤクザだってバレるよりは良かったのか。
郁の方を見れずに、俯いて考え込むと郁が呆れた声で言った。

「お2人さん、隠す気ないでしょ!まずマットレス替えるって相当だからね!?あと、尋之さんが遼のこと抱き上げてベッドに運ぶとことか、なんかもう割れ物でも扱ってるんですかってくらい甘ったるすぎて直視できなかったし、さっき尋之さんに顔触られた時の遼の顔とか、もう、隠せてないんだよ!どうせ隠すならもっと上手くやってよね!」
「う、え・・・」
「・・・こんなラブラブなところ見せられて、否定なんかしないっての。もうちょっと弟のこと信用してよ」
「あ、ごめ、ん・・・」
「家族に否定されるかもー、とか、そんなこと迷ってたんならまじ心外。うちの家でそんなこと言う奴いるわけないじゃん。遼が幸せならいいってみんな言うよ」
「うん、う、ん。ごめ・・・っ」
「・・・はぁ・・・まぁ、ほんと、良かったね、遼」

最後は笑顔でそう言った郁は、もう俺に甘えてくるだけの弟ではなかった。いつの間にこんなに頼れるくらい成長したんだと止まらない涙を隠すように俯くと、ガチャっと音がして尋之さんが戻ってきたのが気配で分かった。
何で泣いているんだと、聞くだろうと思っていたのに黙って俺の横に座って背中を撫でてきた尋之さんに濡れたままの目を向けると、いつもの優しい笑顔を返される。それにまた止まらなくなってしまった涙を隠すために俯くと、体を引っ張られて尋之さんの肩に頭を預ける体勢になった。

もう郁にバレてしまったんだし、今更だと背中に腕を回して抱きつくと尋之さんが笑ったのが振動で伝わる。
どうして俺の周りはこんなに優しい人ばかりなんだろうか。ギュッと抱きつく手に力を込めると、背中を優しく撫でられた。

「あー・・・尋之さん、確信犯ですよね」
「え〜?何のこと?」
「遼はなんか隠そうと必死でしたけど、尋之さん一切その気なかったでしょ」
「んー・・・まぁ、君に否定されたところで、はるちゃんは返してあげないつもりだったからね」
「うっわぁ・・・もう何も言うことありませんよ・・・」
「ふふふ、ま、俺がはるちゃんを大事にしてないなって思ったら、いつでも俺のこと殺しにきてよ」
「殺・・・物騒ですね、尋之さん」

ようやく涙が止まってきたので、顔を上げると郁が苦笑いを浮かべて俺たちを見つめる。
恥ずかしいところを見られてしまったと、尋之さんから離れて改めて身体を向き直すと、不思議そうな表情を浮かべながら郁も俺に向き合う。

「自分の、口から言わなくてごめん。俺は、尋之さんと付き合ってます」
「・・・うん」
「理解、して欲しいとは言わないから、否定しないでほしい。それと、父さんとか母さんには、まだ言わないで・・・」
「うん。誰にも、俺から言うつもりはないよ。あと、さっきも言ったけど、否定なんかしないし、遼が幸せで、元気になってくれたならそれだけでいいよ」
「・・・ありがとう、郁」
「俺からも、ありがとね、郁くん」

こんなできた弟がいて幸せ者だと、再び頬を伝った涙を郁は優しい笑顔で見つめる。

会社のことで、散々心配をかけてしまったから、今が幸せだと伝えられて良かった。
尋之さんの職業は、きっと一生誰にも打ち明けられないし、言うつもりもないけど、それは多分、俺たちが付き合うためには必要な嘘だ。

将来、バレてしまったとしたら俺は、家族をとるんだろうか、それとも尋之さんと一緒にあちら側の世界へ行くんだろうか。

俺たちの関係を打ち明けることに、もう迷いはなくなったけど、もしバレてしまったらと思うとそう簡単には話せない。

それでも、尋之さんが身を置く世界ごと、俺は受け入れると決めてしまったから、いつかバレてしまうその日まで、俺はこの嘘を抱えて平凡な幸せを手放さずに生きていくと決めた。






end.



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