小さい壁 と 大きい壁
03
ダイニングキッチンでは、雅修くんの母親が何かを作っているらしく、いい香りが充満していた。
彼女に話しかけた修之さんとは反対に目を向けると、少し離れた場所にある大きめのソファに座っていじけた顔をしている雅修くんと、窓の外に立ってタバコを吸っている尋之さんが目に入る。それに、先ほどの歳の離れた兄弟喧嘩を思い出してまた少し笑いがこみ上げてきた。
ソファに近づくと、雅修くんがパッと顔を上げて俺を見上げる。
「あ、はるちゃん・・・泣いたの?」
「うん、ちょっとね」
「はるちゃんは、兄ちゃんのこと好きなんだね」
「・・・うん。好きだなぁ」
「そっか。じゃあしょうがないね・・・」
どうやら尋之さんに色々と言われたらしく、見るからに落ち込んだ表情で再び視線を落とした雅修くんの頭を軽く撫でて、心の中で、ごめんね、と呟いてから窓を開けた。風に乗って尋之さんの吸っているタバコの香りがして安心する。
窓を開けた音で振り返った尋之さんは笑みを浮かべようとしたが、泣いた後だと分かるだろう俺の顔を見た途端、眉間にシワを寄せて、窓ガラス越しに修之さんを睨んだ。そしてすぐにタバコをもみ消し、窓に手を伸ばした尋之さんに慌ててしがみつくと、ピタリと動きを止めた。
「・・・何言われたの」
伸ばしていた腕を俺の背中に回した尋之さんは、ダイニングキッチンから見えない位置に俺を連れていくと肩に頭をグリグリと当てた。
「えっと、あの、尋之さんへの、気持ちを確かめられた、というか」
「あー・・・親父がやりそうなことだね・・・ていうか、明恵さんにもやってたわ・・・」
「え、そうなんですか?」
「うん。プロポーズがそんなだったらしいよ。その覚悟があるなら嫁に来いって感じ〜」
「わぁ・・・」
尋之さんの言葉に、俺は思わず声を漏らした。好きな相手に、そんな風に言える修之さんはヤクザである自分を理解した上で相手に選択肢を与えているんだろう。
「かっこいいですね」
感心してそう言うと尋之さんが肩から頭を離して俺の顔を覗き込む。その顔は少し拗ねた表情を浮かべていて、弟だけじゃなくて父親にも嫉妬するのかと、呆れとくすぐったさに笑った。
「え?うそ、かっこいいの?俺は理解できないけどね。俺はもうはるちゃんを離す気ないから。ヤクザはちょっとヤダなんて言われたら速攻でやめるよ」
「・・・ふふふ、言わないです。・・・何を言われたとかは言わないですけど、俺も尋之さんから離れられないなって思いました」
相変わらずな甘い言葉を吐いた尋之さんに抱きついてそう言うと頭の上で低い唸り声が聞こえた。
「・・・可愛いこと言わないでよ・・・ここじゃ抱けないんだから」
ボソボソと続けて何かを言っている尋之さんに、胸に当てていた顔を上げて照れ笑いを返すと、深い溜め息をついて優しい笑顔を浮かべた。
「でも、紹介できてよかった。突然だったけどね〜」
「俺も、迷惑かけてしまいましたけど、尋之さんの家族に会えてよかったです」
「そう思ってもらえてよかったよ。まさか親父に泣かされるとは思わなかったけどね」
背中に回された腕がぎゅっと締まったのを感じて、笑みを零せば尋之さんも返してくれた。
好きな人の家族に認めて貰えただけでこんなに嬉しいものなんだと知ってしまうと、どうしても、離れて暮らす両親と弟妹たちの顔が浮かんできてしまう。
もし、尋之さんを連れて行ってこの人と付き合っていますと紹介したら、どう言う反応を返されるだろうか。男同士だと言うことに驚くことは間違いない。それに加えて、尋之さんがヤクザであると伝えたら、やっぱり否定されてしまうだろうか。
家族はもちろん大切で。でも、伝えて、目の前で否定されてしまったら。俺が好きな人を受け入れて貰えなかった悲しみと、受け入れてくれなかった家族への感情に、俺は耐えられる自信がなかった。
俺の家族に、紹介する勇気がなくてごめんなさい、と胸に頭を擦り付けていると、察しのいい尋之さんが笑って俺の頭を撫でる。いつでも、こうして優しく包み込んでくれる尋之さんと離れ離れになってしまう未来なんて俺には想像がつかなかった。
「はるちゃんが今、何を考えてるのかなんとなくわかるけど。無理しなくていいんだからね」
「・・・ごめんなさい」
「いいんだよ。俺の家が、特殊なだけ。はるちゃんの家は何も悪くないよ。むしろごめんね。気軽に打ち明けられる相手じゃなくて」
「そんな、尋之さんは、俺には勿体ないくらいの相手です」
「そう〜?はるちゃんも俺に勿体ないくらい優しくて可愛いよ」
ポンポンとリズムよく叩かれる背中に身を預けていると、背後でガラガラと窓が開く音がした。
それに尋之さんは、慌てて離れようとした俺を引き寄せて梁の影に隠れると、ニヤリと笑って顔を近づけてくる。
「あれ、兄ちゃん?はるちゃん?」
どうやら窓を開けたのは雅修くんだったらしい。俺たちを探すその声の後ろから「放っておけ」と修之さんの声が聞こえてきたと同時に、優しくキスをされた。
バレたらどうするんだとぎゅっと目を閉じた俺を笑って、尋之さんは再び、今度は少し長めのキスをする。
離れるときに下唇を噛み、わざとリップ音を鳴らす尋之さんの胸に力なく拳を当てると、尋之さんが楽しそうに言った。
「本気で恥ずかしがってるはるちゃん、悪くないね」
「・・・ひどいです」
「ごめんね。でも、そんな真っ赤な顔でさ、潤んだ目で見られたらキスの2つや1つ、仕方ないと思わない?」
「自分の顔は見えないんでわかりません」
揶揄ってくる尋之さんから顔を逸らしてそう言うと、背中に回っていた手が意味ありげに腰を撫でてくる。尋之さんは実家だし、気が知れてるのかもしれないけど、こっちは気が気じゃないんだ。
「はーるちゃん。こっち向いてよ」
「・・・嫌です」
「ごめんね、あんまりにも可愛いから」
申し訳なさそうな声を出す尋之さんに、あっさりと観念した俺は視線を戻す。困ったような笑顔を浮かべる尋之さんは、もうこれ以上しないよ、と言って腰を撫でていた腕を離してズボンのポケットに差し込む。それに俺は、別に尋之さんに触られること自体が嫌なわけではないんだけど、と、勝手に自分の中で言い訳をした。
ふぅ、と溜め息をついて、戻ろうか、と体を反転させようとした尋之さんの首へ飛びつくように腕を回すと、ポケットに手を入れていた尋之さんは珍しく少しよろめく。驚いたのだろう尋之さんが動かないうちに俺は言葉を紡ぐ。
「尋之さんの、家に行ったら、好きなだけ触ってください」
言い逃げ上等だと、固まったままの尋之さんを残し、ダイニングキッチンに入ると「どこにいたの?顔真っ赤だよ?」と話しかけてくる雅修くんに曖昧に返事をして、少し後に中に入ってきた尋之さんの顔をしばらく見ることができなかった。
end.
[ 14/27 ]
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