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会社に集まるサイレンの音に、野次馬がぞろぞろと集まってくる中、俺はパトカーで事情聴取を受けていた。

会社の入っている3階の中段から2階へと突き飛ばされた上司から出た血が1階にまで垂れていた。俺が聞いた悲鳴は、それを見た別会社の女性社員のものだった。
なので、直接現場を見た第一発見者として事細かに状況を聞かれている。

さらに、先輩は上司への殺人動機はあったのかだとか、諸々聞かれたが、もし、先輩が悪者にされるようなことがあったとしたら耐えられないと、そこの部分に関しては濁すようにしか答えられなかった。

救急車で運ばれた上司は、脳挫傷を起こしている上に、頭の傷がそれなりに深いらしい。死んでしまうのかもしれないと思うと、いくら憎い上司でも怖くなった。
先輩は、自分がやったと素直に認めて最後に俺に「ごめんな」とだけ呟いて感情が抜け落ちた顔のまま、パトカーで連れて行かれてしまった。

ようやく、事情聴取が終わった時には、もう日が沈みかけていて、この状態じゃ仕事はできないと別部署の部長が今日は帰れとだけ言ってきたので素直に自宅に帰ることにした。

電車に乗る気にもなれない俺は、まだ明るい道をトボトボと歩く。

もっと早く、先輩を助けていれば、こんなことにはならなかったかも知れない。
怒鳴られる先輩を見て、次は自分かも知れないと、ただただ脅えて縮こまることしかしてこなかった自分を殴りたい気分だった。

あの上司は、先輩をターゲットにしている節があった。
だから、先輩が怒られているうちは、自分にはその怒号が降りかかってくることはないと誰もが無視をしていた。そしてそれは、先輩の心を壊すには充分すぎる材料だった。

どうにか動かしていた足が完全に止まる。

俺は、逃げてしまいたいと思うことはあっても殺してやりたいなんて、一度も思ったことはなかった。不満を抱き、愚痴をこぼしても、それを本人にぶつける勇気すらなかった。

きっと先輩は、積もりに積もって、限界を超えてしまったんだ。

気づけば頬が濡れていて、俺は泣いているんだと気付いた。
薄暗くなってきた道で、スーツ姿の男がただただ涙を流す姿に、皆好機と不躾な視線を向けながらも、歩みを止めてまで気にすることはない。俺の会社だけじゃなく、この世の中が、自分に不利益になる事柄に対して冷たいのかも知れない。

俺は踵を返して、道路を蹴った。

先輩に、どうしても、謝りたかった。
連れて行かれた警察署は聞いていたので、全力で走って、なんとか着いた時には完全に日が落ちていた。

そして、着いたまでは良かった。
先輩に会わせてくれと、入り口にある受付で申し出てみたが、事情聴取中だとだけ返されて取り合ってもらえなかった。
何度言っても同じ言葉しか返ってこない警察署を出て、近くにあった公園のベンチへと腰掛けた。暗い公園をポツポツと汚れた街灯が照らしている。無力な俺を嘲笑うかのように、木がさわさわと揺れた。

今日は、始まりは最高の一日だったのに。

尋之さんの優しい笑顔に見送られて、先輩に声をかけて、理不尽な罵倒と無理難題な仕事を乗り越えて。これから変わっていくんだと、決意した日にこれだ。
この会社に就職してしまった時から、俺の運は底辺を這いつくばっているんだろう。

ぐしゃぐしゃになった目元と鼻をシャツの袖で拭おうとして、ピタッと止まる。
このスーツもシャツも、尋之さんが俺のために用意してくれたものだ。そう思うと涙と鼻水で汚す気にはなれず、カバンから昨日使ったハンカチを取り出して拭った。

そして香ってくる柔軟剤の柔らかい香りに、まさかこれまで洗っていれておいてくれたのだろうかと、尋之さんの優しさとマメさに感嘆すると同時に、とてつもなく慰めて欲しかった。

騙されているのかも、なんて疑っていた自分は棚に上げて、ただただ優しい言葉だけを投げかけてくる尋之さんに会いたい。弱った心は無駄に勇気を持っていた。
気づけば連絡先を開いて、電話のアイコンをタップしていた。

耳にあててじっとコールを聞く。
そして、20コールは鳴っただろうか。流石に忙しいのであれば迷惑かと諦めてスマホを耳から離す直前で〈はるちゃん?どうしたの〜?〉と柔らかい声が聞こえた。

「あ、ひろ、ゆきさん・・・」
〈うん、そうだよ?どうした?〉
「うっ、尋之さ、俺、おれ・・・」
〈なんで、泣いてるの?なーに?〉
「おれ、先輩、守れなか、った」

途切れ途切れに話すおれの言葉に熱心に耳を傾けてくれる尋之さんだったが、流石に意味がわからないといったような雰囲気に、だんだんと申し訳なくなってくる。

〈先輩?んー・・・今どこいるの、はるちゃん〉
「みなみ、け、いさつしょの近く、の公園」
〈あら〜、あーんまり行きたくない場所にいるね〜?でも、はるちゃんのためだから行っちゃう〜〉
「っあ!ごめんなさい、大丈夫、です。ごめん、なさい」
〈・・・大丈夫じゃないでしょ〜?いい子だから、待ってな。ね〉

優しく言い包められた俺は電話だというのに首を縦に振った。

〈じゃあ、近くに行ったらまた連絡するから、待っててね〉

そう言って切られた電話を握りしめて、ベンチの上で膝を抱えた。
きっと忙しかったんだろう尋之さんは、俺の元に来てくれるらしい。

これは、もう騙されてたとしても文句は言えないなぁ、と優しすぎる彼が来てくれるのを静かに待った。



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