処方箋が切れた場合は
05


バーで散々愚痴って帰り、服も着替えずに眠った俺は翌日携帯を見てメールの返事が返ってきていないことに肩を落とした。
なんであんな風に電話を切ってしまったんだろう。

絶対に怒っているだろう梶野に、電話をして直接謝ろうかとも思ったが、もし電話に出てくれなかったらと思うとなかなかできなかった。

明日の何時にこちらに着くのかもわからない。あと1日はこの気持ちを抱えながら過ごさなきゃならないのかと思うと、ようやくできる仕事に巡り会えたというのに全く気分が晴れない。

それもで、与えてもらったチャンスを無駄にするわけにはいかないと、駅前の本屋にでも行ってカフェ雑誌を見るために家を出た。ついでに腹が減ったので近くにある牛丼屋にも寄ろう。

腹を満たして、本屋でだいぶ長い時間雑誌などを物色していたらしい。
気づけばもう夕方で、良さげなものだけを手に取ってレジに向かう。財布を取り出したところで、携帯を家に置いてきたことに気がついた。しかし、今朝梶野からの返事もなかったし、誰かから緊急で連絡が来ることもないだろうからいいか、と気に留めなかった。

お金を払って外に出ると、冷えた空気が頬を撫でる。だいぶ肌寒かった。
まだ日が高い時間に出たために、長袖のTシャツに薄いカーディガンを羽織っただけの俺は腕をさすりながら早歩きでアパートへと向かった。

途中、コンビニで温かいお茶を買って暖をとりながらようやくアパートに着いた。そして、階段を登りながら鍵を取り出し、顔を上げたところで足が止まった。

「え、なんで、いるの」

塗料の剥がれたボロボロの柵に寄りかかって、腕を組み目を閉じる梶野が俺の家の前に立っていた。
思わず溢れた声が聞こえたのか、勢いよく上げた顔に険しい表情を浮かべてこちらへ近づいてくる梶野に、一歩後ずさろうとしたところで、後ろが階段だということを思い出して踏み止まる。

「なんで、仕事は?」

ほんの30cmほどまで近づいた梶野を見上げながらそういうと、梶野はぐいっと俺を抱きしめた。頬に触れたスーツが冷たくて、長い時間待たせてしまったのかと申し訳なくなった。
荷物を持っていない方の手で背中に手を回すと、柵のパリパリと剥がれた塗料が付いていて、思わず笑って手で払うと、さらに抱きしめる力が強くなった。

「・・・梶野?とりあえず、家はいらない?」

ポンポンと背中を叩いてそういうと、身体を離した梶野に手を引かれて家に入った。
合鍵はだいぶ前に交換していたので、一度中に入ったのに外で待っていたらしい梶野に、再び笑うと靴を脱いだ玄関先でまたすぐに今度は後ろから抱きしめられた。

「あー、梶野くん、顔見せてよ」
「・・・いやです」
「いやって・・・寂しいな」
「すみませんでした、怒ってないですか」
「え?」

あまりにも普段とはかけ離れた弱々しい声に腕を解いて正面から梶野の顔を見ると、眉を下げて目には若干涙が溜まっていた。驚いてじっと見つめていると、嫌そうに眉をひそめた梶野に抱きしめられて再び顔が見えなくなった。

「なんで、梶野が泣いてるの?むしろ、俺は梶野が怒ってるかなって」
「・・・さようならって、言ったじゃないですか、最後」
「え、あ、それ?あれは、うん、ごめんなさい。なんか頭に血が上った」
「うん・・・でも、俺も、関係ないとか言ってすみませんでした」
「あー、そうだね。あれは傷ついたかも。でも、じゃあ俺も、辛い時に梶野に一番に頼らなくてごめんね」
「ん、そうですよ。彼氏としてのプライド考えてください・・・でも、俺が先輩の気持ちを察してなかったのもダメでした。すみません」
「ごめんね。察するも何も、俺が隠したのが悪いんだよ。あとは、えーっと・・・ふふふ、これじゃあずっと謝っちゃうね」

抱き合ったまま、お互いに不満と謝罪を繰り返す状況に笑うと、肩口で梶野も笑うのを感じた。
よかった、仲直りができて、と安心したところで、そうだ、梶野は明日まで出張のはずじゃなかったっけ、と、胸を軽く腕で押して、顔を見ながら聞く。

「梶野、明日までって言ってなかった?出張」
「え、あー・・・それは・・・」
「何?・・・まさか、本当に社長辞めたの!?」
「いや、そんなことはしてませんよ。アキラに丸投げしてきました」
「よかった・・・って、よくはないね。ダメだよ。社長なんだからそういうところはちゃんとしないと」
「・・・すみません。でも、大事な打ち合わせは今日終わらせてきたので大丈夫です」
「まぁ、梶野が大丈夫だっていうなら、いいんだけど」

とりあえず、ずっと玄関で抱き合っているわけにもいかないので中に入ろうと梶野を促して、俺はキッチンのポットでお湯を沸かす。梶野みたいにドリップコーヒーまでのこだわりはないが、家でインスタントコーヒーを飲むようになった俺はだいぶ成長したと思う。前までキッチンは電子レンジと冷蔵庫を行き来するだけのものだったから。

ネクタイとスーツの上、中に来ていたベストを脱いで床に放った梶野は、座布団に座ってぼーっとステンドグラスを眺めていた。長い足を折りたたんで座る梶野と綺麗とは言えないこのアパートはなんともミスマッチで、でもなぜか絵になるという、よくわからない状況だった。

ポットのお湯が沸いてコーヒーの入ったカップを両手に近づくと、梶野は1つを受け取るために腕を伸ばす。それを無視して胡坐をかく梶野の足の間に座ると、梶野は「え」と声を漏らしたきり固まって動かなくなってしまった。
両手にカップを持って、イケメンの足の間に座るおっさんという、はたから見ればなんともおかしな構図だとは思うが、俺だって梶野を怒らせたかもと不安だったわけで。それに会えるのは早くても明日かなと思っていたのに、突然目の前に現れた愛しい相手に甘えるなというのも無理な話だ。

「ふふふ、梶野、カップ一個持ってよ」
「あ、はい」

素直に受け取った梶野は、もう片方の手をどうしたものかと彷徨わせる。
ニヤリと梶野から見えないのをいいことに、イタズラを仕掛ける時に浮かべる笑顔全開の俺は、ようやく梶野の体の横に収まろうとしていた手をとって、繋ぐ。

「梶野の手は、ここでしょ」

そう言って繋いだ梶野の手の甲にキスをすると後ろにある梶野の体が震えて「アツっ」と声がした。思わず笑ってしまうと、床にカップを置いたらしい音が聞こえて、腹に腕が回された。

「っはー、久々だと耐性無いんで、ほどほどにしてください」
「ふふ、だって、久々だからこそ、甘えたいじゃないですか。ねぇ、梶野くん」
「・・・あんま可愛いこと言わないで」
「梶野が悪いんだよ。俺を甘やかすから」
「まぁ、そうですよね」

自覚があるらしい梶野は俺の肩に額をつけて態とらしい溜め息をついた。
電話越しに聞いた溜め息にはあんなに心が凍りついたのに、今耳元で聞こえた溜め息はこんなにも愛おしいなんて。耐えきれずに俺もカップを横に置いて梶野の頭を繋いでいない方の手で撫でる。

俺のたった一言で落ち込んで焦って近くもない場所からすぐに帰ってきた梶野に、安心感と申し訳なさと、愛おしさが募る。俺だけが梶野を必要としてるんじゃなくて、梶野にとっても俺が必要なんだと、態度で表してくれる梶野がとても好きだ。

痛いくらいに抱きしめてくる梶野の腕を軽く叩いて緩めてもらい、身体を反転させて向かい合うといつもの俺の好きな笑顔を浮かべる梶野に俺も自然と頬が緩んだ。

「あー、あれだね。ケンカした後の梶野の可愛さを思えば、ケンカも悪くないかも」
「・・・勘弁してください」

額を合わせて笑い合う俺たちは、世間から見れば少数派なのだろうけど、それでも今こうしていることがとてつもなく幸せなのでそんなのは気にならない。もし否定する人が出てきたとしても、それで梶野のそばを離れられるかと言われれば無理なわけだし、きっと梶野も同じだろう。

床で横に並ぶカップの、黒とクリーム色のコーヒーがかなりぬるくなるまで、俺たちはしばらく見つめあって笑っていた。






そして、カフェをやらないかと誘われたことを話して、梶野に反対されてまた少しケンカするのはもう少し後の話。






end.




[ 10/22 ]
    

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