処方箋が切れた場合は
03


朝から原田に迷惑をかけてしまった今日は、何もする気になれず、食事すら取ることなくベッドに横になっていた。そして、気づけば日が完全に落ちていた。

街灯がわずかに照らす暗い部屋で、電気をつける気にもなれずにベッドの上で蹲っていると、枕の横に放ってあった携帯が震える。面倒だと思いながらも、手にとって画面を見ると梶野と表示されていた。
いつもだったら飛びつくように電話に出る。だけど今は、どうにも出づらかった。きっと、梶野の声を聞いたらまた弱音を吐いてしまう。じっと見つめていると、どれほど経ったのか、振動が止まって不在着信1と待ち受け画面の下に表示時された。

梶野からの電話を無視してしまったのは、これが初めてかもしれない。

かけ直すべきか、このまま気づかなかったふりをするか、悩んでいると一件メールが入る。それは案の定梶野からで、電話に出なかった俺を気遣う内容だった。

どうやら寝ていると勘違いしている梶野にやっぱり返事をする気は起きなくて、そのまま画面を閉じて再びベッドに潜り込んだ。


しばらくして、再び携帯が震えた。

また梶野だろうか、と、億劫になりながらも画面を見ると今度はヨネダ社長からだった。
あの一件以来、一度会ったきりだったのでどうしたのだろうと電話に出た。

「はい、伊藤です」
〈おー、久しぶりだな。お前今から時間あるか?〉
「え?今から、ですか?」
〈いや、久々に伊藤が働いてたバーに行こうと思ってよー。一緒にどうだ?〉
「え!あ、行きます!」
〈よし、じゃあ19時にバーでいいか?〉
「はい、大丈夫です」
〈んじゃ、また後でな〉

突然の誘いだったが、こうして家で一人でいるよりはマシだと、すぐに行くと応えた俺に社長は少し笑っていたが、そんなのは気にしていられなかった。そして、辞めて以来会っていないバーのオーナーと店長にも会いたかった。

ほとんど酒が飲めないのにバーでバイトができていたのは優しいオーナーと根気よく教えてくれた店長がいたからだった。それに、母さんのことで苦しんでいた俺の話を聞いてくれたのも感謝してもしきれない。

先ほどまで意識していなかった時計に目を向けるともう少しで17時になるところだった。アパートの最寄りからバーの最寄りまではだいたい1時間以上かかる。流石に一日中ベッドにこもっていた身体のまま外に出る気にはなれないのでシャワーを浴びたい。そう考えるともうあまり時間がないなと、急いでベッドから降りた。


バーの前に着いて、時計を見ると19時の5分前だった。
先に中に入っていてもいいのだろうかと、地下にあるバーへ入るための階段前で考えていると、背後でドアが開く音が聞こえた。振り向くと、見覚えのある背中がドアの横にある看板にペンで何かを書き込んでいた。

8年ほど前に見ていた時よりも、髪色が落ち着いたように見える店長に、思わず声をかけた。

「店長!お久しぶりです」

唐突に声をかけられた店長は何事だと勢いよく振り返る。階段の上に立つ俺に気づいて、目を徐々に見開かせたかと思うと、勢いよく階段を駆け上がってきて抱きついてきた。

「うわー!慎二じゃん!!ちゃんと生きてた!?」

相変わらずハイテンションな店長に苦笑いしながらも、俺も抱き返す。確か、俺の4つ上だったから、もう37のはずなのに全く変わらない店長に安心した。そして、言われた言葉に、俺が社長の会社を辞めて音信不通になっていたことも知られているのだと思うと恥ずかしさと申し訳なさが湧き出てくる。

「はい。すみませんでした。連絡もせずで・・・」
「ほんとだよお前!ヨネダさんヤバかったんだからな!?あー、でもいいわ。うん。あれ、てか、今日ヨネダさん来るって言ってたけど、慎二も一緒?」
「はい、誘ってもらいました」
「そっかそっか!なるほどな!だからヨネダさんオーナーいるかって聞いてきたんだなー」

俺の謝罪を軽く流した店長は、腕を引っ張ってバーのドアを開けた。

「オーナー!慎二がきた!!」
「お前、声でかいよ。客まだ入ってないからいいけど・・・って、え?慎二?」

カウンターの中でグラスを磨いていたオーナーはさっきの店長と同じように俺を見て目を見開かせた。

「慎二、久しぶりだね」

驚いても声を荒げたりしないオーナーは、昔から落ち着いていたが、今はさらに磨きがかかっている。柔らかい笑顔でそう言われてしまえば、ここ最近はずっと緩みっぱなしの涙腺から涙が出てくる。
店長に掴まれていない手でぬぐいながら、なんとか震える声で「お久しぶりです」とだけ返した。

「なんだよー、俺の顔見ても泣かなかったのに、オーナー見て泣くのかよー」
「お前は泣く隙すら与えないほどうるさいからね」
「ひでー!もう15年も一緒にいるのに、ずっといじめてくるんだよこの人。慎二いなくなってから更に!5つも下の男いじめて楽しいですかー!?」
「ははは、35超えたら、5も10も変わんないよね。お前も俺もおじさん」

懐かしい、オーナーと店長の言い合いに思わず笑ってしまった。泣きながら笑う俺はさぞかしおかしいだろうが、二人とも優しい目でこちらを見ていてくすぐったかった。


それから、ノンアルコールのドリンクを作ってもらい、しばらくしてヨネダ社長がやってきた。

「どうだった?久しぶりの再会は」

カウンターに腰掛けて、いつものドリンクを頼んだ社長にそう言われて、社長が30分も遅れてきたのはわざとだったのかと、その心遣いに感動してまた少し泣いてしまった。

「っはい、嬉しかったです。ありがとうございます」
「ははは、伊藤は本当によく泣くなぁ」
「すみません・・・」
「いーのいーの。そんなお前が可愛いんだからさー、俺たちは」

頭を撫でられて恥ずかしさから俯いていたが、店長が横に座って顔を覗き込んだり脇を突いてきたりするので怒る振りをしながら顔を上げた。

「そういえば、伊藤、仕事決まったのか?」

事情を知っている社長にそう言われて言葉を詰まらせた俺を見て、社長が申し訳なさそうに言った。

「あー、別に急ぐことないんだったら、ゆっくりでいいんだからな」
「いえ・・・何ができるのかもやりたいのかもわからないのが、情けなくて」
「んなことねぇって。俺だって未だに会社やってても何がいいのか悪いのかわかんねえこともあるくらいだ。これから、会社のためにどうしたらいいのかなんて、毎日悩んでるよ」
「・・・そう、ですか?」

度数の高い酒が入ったグラスを煽りながら口端を上げて笑う社長は、どう見ても自信に溢れていて迷いなんかない様に見える。でもそれは外見からの意見であって、実際は思い悩むこともあるのだと言われると少し安心した。会社を経営してうまくいっている様な人でも悩みぐらいあるのだと。

だったら、俺みたいな人間がいっぱい悩むのは仕方のないことなのかもな、と自分の中で納得していると、カウンター越しにオーナーが言った。

「やりたいこと、は見つけるの大変だろうけど、慎二はできることたくさんあるでしょう」
「え?いや、ないですよ。力も資格もないし」
「そう?ここでバイトしてる時の接客は完璧だったけどね。実際、慎二がやめてから来なくなった人もいるよ」
「え!そうなんですか・・・?」
「そりゃあねえ?騒がしい店長と入れ替わり立ち替わりで入る無気力な大学生の接客じゃあ、ねえ?」
「あ!今俺の悪口聞こえた気がする!」

教えられた事実に、嬉しくなる。そうか、このバーで俺のことを気に入ってくれていたお客さんがいるんだ。
よくよく考えてみれば、今ほどではないが昔から人といるのが好きだったし安心した。それにお客さんとかわす何気ない会話だったり、様子を見て必要なものを提供するのは楽しかった様に思う。

そうか、俺は接客が好きだったのか。

ストンと、俺の中に落ちた【接客】という文字は、次の仕事を探す上で、とても役立つものに違いない。途端に顔を明るくしただろう俺を見て、オーナーが笑って俺に言った。

「それで、ものは相談なんだけどね?新しく店をやろうと思ってて、そこ、慎二働いてみない?」

思ってもみなかった誘いに、俺は唖然として声を出せなかったが、正気に戻った時には無意識に首を縦に振っていた。



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