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次の日の朝、目を覚ますと梶野はまだ寝ていた。
やっぱり俺を迎えに来てくれてから、ろくに寝ていなかったようだ。起こさないようにそっとベッドから降りる。昨日は身体を起こすのも辛かったことを考えると体調はだいぶ良くなっていた。
しかし、蹴られた腹は相変わらず痛い。Tシャツをめくると黄色や紫、緑に変色した腹が視界に入る。思いっきり蹴られたので、これくらいは想定内だ。むしろ内臓がやられていなかったことに感謝すべきだろう。

完全に目が覚めてしまった俺は、ソファに座って梶野が起きるまで待っていようと寝室の扉を開けた。窓から差し込む光に目を細めてからキッチンに目を向けると、スーツを着た女性がこちらを見て会釈をした。あまりに驚きすぎて固まっていると女性は軽く笑って口を開く。

「おはようございます。驚かせてしまってすみません。私、梶野社長の秘書を勤めさせていただいております、新田明(にったあきら)と申します」

そう言って綺麗にお辞儀した彼女は、モデルか何かかと思うほどスレンダーな美人だった。梶野と並んだらさぞかし絵になるだろう。

「あ、ご丁寧にありがとうございます。俺は、伊藤慎二です。梶野の高校の先輩で」
「はい、存じております。コーヒーはお飲みになりますか?」
「え、あ、はい。いただきます」

綺麗な所作と言葉遣いに、思わず硬くなってしまう。カウンターの椅子に腰掛けてチラッと時計を見ると、針は8時前を指していた。慣れた手つきで淹れたアイスコーヒーを差し出され、軽くお辞儀をしてそれを受け取った。

「ふふふ、そんなに硬くならないでください」
「え?あ、いや、朝起きて知らない人がいてびっくりしたのと、あまりにもお綺麗だったので・・・」
「あら、嬉しいです。伊藤さんもお綺麗ですよ」
「あー・・・いや、お世辞ですよね?ははは」

女性にきれいと言われてもあまり嬉しくはない。それに、俺よりもはるかに彼女の方がきれいな見た目をしている。苦笑いをしてコーヒーに口をつけた。そう言えば、何も言っていないのにコーヒーには多めにミルクが入れられている。不思議に思いつつも、黙ってコーヒーを飲んでいると寝室のドアが開く音がした。

「あ、社長、おはようございます」
「・・・あぁ、アキラか」

梶野は眉間にしわを寄せて、薄く目を開けて返事をした。高校の時から朝が弱いのは変わっていないらしい。こんな美人に毎朝起こしてもらえるなんて、梶野は幸せ者だ。と、思ったがそうだ、梶野はゲイだった。そして昨日俺と付き合うことになったんだった。思い出して熱くなる頬を冷たいグラスで冷ましていると、後ろから腕が伸びてきて、ぎゅっと抱きしめられる。持っていたグラスからコーヒーをこぼしそうになり、両手で支えると耳元で少し掠れた笑い声がした。

「危ないよ、梶野」
「すみません、おはようございます」
「うん、おはよう」

俺の肩に頭を付けて甘えるような仕草をする梶野に、頬が緩む。頭を撫でてみると、幸せだと感じる。しかし、この部屋は今二人きりでないことを思い出した。女性にこんな男同士がいちゃついてるのを見せるなんて恥ずかしいし、申し訳ない。パッと頭から手を離した俺を不思議に思ったのか、梶野が顔を上げる。

「か、梶野、ほら、新田さん、いるから」
「あー、アキラは気にしなくて大丈夫です、だいたい知ってるので」
「知ってるって言ってもさ、女性にこんなとこ見せるのは流石に・・・」
「え?女性?・・・アキラは男ですよ、先輩」

苦笑いをしながら俺から離れた梶野が放った言葉に、すぐに反応できなかった。
ようやく理解してから、新田さんの方を振り返ると、先ほど変わらないきれいな笑顔を浮かべている。

「え、新田さん、女性の方じゃ・・・?」
「あはは、よく間違えられます。でも、正真正銘男ですよ」
「・・・何が間違えられるだよ。わざとやってんだからお前はタチが悪い」
「社長ったら、そんなひどいことおっしゃらないでください。私はこれが素なんですから」
「そうやって油断して近づいてきた男食うのが趣味のやつがよく言うよ・・・」

梶野と新田さんで何やら物騒なやり取りをしているのを黙って聞いていたが、本当に新田さんは男性らしい。でも確かによく見てみれば、肩幅はそこそこあるし、身長も俺とあまり変わらない。ただ、首から上だけを見ると、どうしたって女性にしか見えなかった。
あまりにも衝撃的すぎて、じっと見つめていると、こちらを見た新田さんと目が合ってしまった。
不躾な視線を送ってしまったと慌てて目をそらすと、「ふふふ」と柔らかい笑い声が耳に入る。

「伊藤さんは、可愛らしい方ですね。社長が長年思い続けていた理由がわかります」
「え?か、可愛らしいって・・・」
「あー、先輩。こいつにはあんまり近づかないでくださいね。危ないやつなので」
「ひどいですね。流石に人の恋人を奪ったりする趣味はありませんよ?」
「・・・信用ならねー」

梶野が俺を隠すように新田さんとの間に立った。そんなに悪そうな人には見えないけど、梶野に守られているようなこの状況はまんざらでもなかった。愛されてるなと嬉しく思う。

「あ、可愛い」

新田さんが口に手を当てて思わず、と言うように言葉を漏らすと、梶野が不機嫌そうに口を開いた。

「可愛いのは知ってるし、さっさと用件を言って帰れ」
「あー、ヤダヤダ。男の嫉妬はみっともないですよ、社長。まぁ、そうですね。確認してもらいたい書類を持ってきただけなので、すぐ帰りますよ」

そう言って新田さんはソファの端に置いていったカバンからファイルを取り出して梶野に渡す。すぐに中身を取り出した梶野は、ソファに座ってその内容を確認し始めた。
そしてなぜか、腕を引かれてラグが敷かれている床に座らせられた俺は梶野の足に挟まれている。これでは書類が見づらいだろうと体勢を変えようとしたが、肩を掴まれて阻止されてしまった。
じゃあ、せめて邪魔にならないようにしようとじっとしていると、確認を終えたらしい梶野がファイルに書類を入れて新田さんに差し出した。

「先方はなんて言ってる?」
「んー、コストがもうちょっと下がらないかとはおっしゃっていましたが」
「・・・そうか。まぁ下げれるとこは下げて、それでも無理なら俺が直接話す」
「承知しました。では一度こちらで提出しますね」
「ああ、頼む。電話なら対応できるから何かあれば連絡くれ」
「はい。それでは、お邪魔致しました。・・・伊藤さん、今度ゆっくりお話ししましょうね」

にこっと微笑まれて、手を差し出されたので俺も腕を上げたが梶野が先に新田さんの手を掴んだ。

「俺がいるところでならいい」
「あー、心が狭い。面倒になったらいつでも私のところに来てくださいね。それでは今度こそお邪魔致しました」

最後に梶野が掴んだ手を、払うような仕草をしてリビングから出ていった新田さんを見て、思ったことを梶野に伝えた。

「仲良いんだね、新田さんと」
「え?・・・そう見えましたか?」
「うん、梶野も気楽に話してる感じするし」
「あー・・・、あんまり先輩には見られたくなかった一面ですね」
「なんで?俺は敬語じゃない梶野が新鮮で結構嬉しいよ」

顔を見ずに話していたので、梶野の膝に手をついて振り返ると昨夜と同じように赤くなった顔を手で隠していた。割とすぐに赤面する梶野にまた少しいたずら心が芽生える。

「ねえ、梶野さ、敬語やめよ?」

体を完全に向かい合わせて膝に顎を乗せてそう言うと、赤かった梶野の顔がさらに赤くなった。

「・・・先輩、ちょっと、ストップ」
「うん?なんで?だって俺たち付き合ってるんだからさー」
「はい、重々承知してます。はい。心臓がもたないのでちょっとストップで」

そう言ってソファにもたれかかって天井を仰ぐ梶野を見て、「しょうがないな」と言いつつも、俺は満足した。



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