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先輩を家まで送り、家に着いたのは0時近かった。
着替えもせずに、ソファに座ると先ほどの先輩の不安そうな顔が浮かぶ。
どうやら先輩は一人になることに対して、恐怖というか、不安を抱いている。そんな弱っている部分を利用して先輩を手に入れても嬉しくもなんともないと思う反面、いいチャンスだと囁く声も聞こえる。ノーマルな先輩が今のままで、男の俺に恋愛感情を抱いてくれることは、多分1%にも満たないだろう。少し、依存されている感は否めないが、それとこれとは全く別だ。

一度コーヒーを淹れにキッチンへ行ったが、ドリップするのが面倒になり水を冷蔵庫から取って、再びソファにだらしなく腰掛けた。
それからどれくらいだろうか、天井を仰ぎ見ながら呆けていると、尻の下で振動を感じた。ハッとして時計を見るともうすでに1時を回っていた。立ち上がって携帯を取り出すと、Barの前で電話したばかりの【ハンダ】の文字がある。何か進展したのだろうか、と通話ボタンを押して耳に当てる。

〈あ!出た!よかった〜!すみませ〜ん。夜分遅くに〜〉
「いや・・・随分と騒がしいけど、大丈夫なのか?」

ハンダはいつものゆるい話声だが、少し硬いようにも感じた。タナカを見つけでもしたんだろうか。

〈大丈夫ですよ〜って言いたいところなんですけど・・・伊藤さんが拉致られました〉
「は!?ついさっきまで一緒に居たぞ!?」
〈あー、はい、そうみたいですね。高級車で送りなんて俺たちに囲われてるに違いないって、勘違いも甚だしい。憂さ晴らしに連れ出したみたいです。で、タナカは見つけたんで、居場所は吐かせました。ただちょっと急いだ方がいいかもしれなくってですね。・・・胸糞悪いので詳細は端折りますが、タナカに協力した奴がイかれてるみたいで、早く伊藤さんのところに行かないとなんです。でも俺の方がちょっと今手一杯で。迎え行ってもらえませんか?〉

焦ったように吐かれた言葉に俺は車の鍵を持って玄関へと向かった。

「わかった。場所送ってくれ。すぐに向かう」
〈助かります。・・・その協力した奴も捕えてはいるので。伊藤さん、無事だそうですが、保護できたら連絡ください。じゃ、よろしくお願いします〉
「ああ、わかった。」

電話を切って、すぐに送られてきた住所はここから20分ほどかかる場所だった。焦る気持ちを抑えながらエレベーターに乗り込む。

まさか、先輩が。なんで俺はあの時一緒に帰りましょう、と言わなかったのか。後悔してても仕方がないが、考えずにはいられない。ハンダが無事だと言っていた。ただ詳細は省くとも言った。何をされたのか想像するだけでもタナカに対して怒りがこみ上げてくる。なぜ先輩がそんな目に合わなくてはならないのか。

地下について、いつも通りコンシェルジュが頭を下げてきた。多分俺はそいつが頭を上げる前に車に乗り込んでいただろう。ナビをセットして、すぐに先輩の元へと車を走らせた。


車をできる限り飛ばしてついた場所は、普通の団地だった。7棟の308号室と、メールに書かれていたので急いで階段を駆け上る。3階につき、階段から一番離れた奥のドアを勢いよく開けると、部屋の明かりが煌々と照らす中に横たわる人影が目に入った。
靴を脱ぎ捨てて駆け寄ると、腕を後ろで縛られた先輩が気を失って倒れている。

「先輩!」

声をかけても、ピクリともしない先輩に血の気が引いていく。硬く縛られたロープをなんとか解くと、鬱血の跡がひどかった。そして、破られた衣服のせいで直接触れる肌がとてつもなく冷たい。思わず抱きしめると、肩にもたれた先輩の頭がかすかに揺れて、ヒュッと息を吸う音が聞こえた。

「先輩?気づきましたか?」

ガタガタと震える体を抱きしめながらそう言うと、先輩の体が激しく抵抗し始めた。驚いて手を緩めると、頭を振りながら後ずさる先輩に胸が痛くなる。

「や、やだ、嫌だ。ごめんなさいごめんなさい。一人はやだ」

自分の肩を両腕で抱いて蹲る先輩に胸が痛む。腕を伸ばしかけたが、また怖がらせてしまうのを恐れて声だけかける。

「先輩、大丈夫。俺です、梶野です」

できる限り落ち着いた声でそう言うと、震えていた先輩の体がピタリと止まる。ゆっくりと顔を上げた先輩は閉じていた目をゆっくりと開けてようやく俺を見た。

「あ、え・・・梶野・・・?」
「うん、そうですよ。大丈夫です。もう、大丈夫。遅くなってすみません」

先輩が安心するように笑顔を作ったつもりだったが、きっと酷い顔をしているだろう。痛々しい先輩を目にして、眉間にシワが寄ってしまう。

「梶野、っ、俺、ごめん、また一人で、やなのに、一人に」

荒くなっていく息と共に、途切れ途切れに言葉を吐き出した先輩は苦しそうに口に手を当てる。
怖がられることが怖くて下げた腕をもう一度伸ばす。今度はしっかりと先輩の体を捉えた。背中をリズムよく叩くと、胸に頭をつけた先輩方聞こえる荒い息遣いが小さい嗚咽に変わった。

「いや、今回のは仕方ないです。俺も配慮が足りなくてすみませんでした。もう、大丈夫ですから」
「っは、う、・・・梶野は、離れ、ないで、いてくれる?呆れて、ない?」

小さく聞こえた先輩の言葉に、こんな時だと言うのに少し頬が熱くなる。
声を出したら上ずってしまいそうで、返事の代わりに強く抱きしめると、先輩の腕がゆっくりと俺の背中に回った。

「俺、なんか、一人になること考えると、ダメなんだ。・・・前までは大丈夫、のつもりだったのに、いざ梶野とか原田とかと会ったら、ダメだった」

ぎゅっと抱きついてきた先輩の頭を撫でると、ビクッと体が揺れる。
先輩は、俺や原田先輩に会ったからと言っていたが、多分今回のことが一番大きい原因だろう。確かに不安げな表情を浮かべることはあった。それでも、ここまで息が乱れたり、震えたりすることはなかった。

何があったのかを全て聞いて、相手を殺してやりたいが、先輩にとっては口に出したくない内容かもしれない。あとでハンダに聞こうと決めて、先輩の顔を上げさせた。
泣きすぎて赤くなった瞳が俺を見上げる。

「大丈夫。俺はずっと先輩のそばにいますから。だから不安にならないでください」

今度こそ、と笑顔を浮かべると先輩の顔が歪む。

「ふ、う、ごめん、こんな、先輩で。ごめん」
「いいんですよ、先輩は先輩ですから。それに、俺は頼られるのは嬉しいです」
「ほんと、ごめん。・・・ありがとう」

ゆっくりと閉じていく先輩の瞼がとても綺麗だった。
瞼を閉じきると、先輩の体から力が抜けて、また気を失った。

感謝される理由なんて、一つもない。俺が、先輩のそばにいたいだけなのに。
それでも、先輩が俺に離れないでほしいと思っていることがこんなにも嬉しい。たとえそれが恋愛感情じゃないとしてもだ。

最後にもう一度、軽く抱きしめてから先輩を抱え上げて、この忌々しいアパートを後にした。



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