パラル観測

 どうして陀宰くんと凝部くんが、情報管理局に出入りしていたのか。
 今でこそ、かつての不祥事と醜聞にまみれた評判を『広く開かれた組織』という新イメージで塗り替えようとしている情報管理局だが、本来あそこは堅牢堅固で水も漏らさぬ管理体制を敷いた、国の第一級重要機関だ。間違っても一介の学生がそうそう容易く出入りできるような、そんな生易しい機関ではない。
(バイトとか、職場体験とか、……そんなわけないよね)
 無論、情報管理局での学生バイトの話もまったく聞かないわけではない。部署によってはインターンだってあるだろうし、父からそんな話を聞いたことがあるような気もする。
 しかし、さすがに高校生を出入りさせるような特例はないはずだ。あったとしても、陀宰くんと凝部くんがふたり揃って、とは考えにくい。
 そういえば、と。
 記憶のなかの一片を、思考がおもむろに拾い上げる。
 陀宰くんは夏休み前の一時期、学校を休んでいたことがあった。その時は気にならなかったし、後から「そういえば休んでいたな」とふと思い出した程度の話だ。
 しかし思い返してみれば、一体どうして、私は陀宰くんの休学を気にしていなかったのだろう。きっと大したことではないと、そう思っていたのだろうとは思う。けれどそもそも、大したことではないと、そう思うこと自体がいささか不自然だ。
 私は陀宰くんのことばかりを視線で追っている。一学期中は特に、避けようと強く思っていたからこそ、陀宰くんの動向にはかなりの熱意をもって注視していた。そんな私が、彼の休みが長く続くことを気にも留めないなんて有り得ない。
 凝部くんはそれよりも前から学校に来ていなかったから、クラスではそもそも、不登校児として扱われていた。良くも悪くも、休んだところで誰も気に留めはしない。登校してこないのが通常運転で、クラスにいないのがデフォルトだ。
 しかし、陀宰くんは違う。彼は輪の中心にいるタイプでこそないものの、人気だってあるし友達も少なくない。私のように視線で陀宰くんを追っている女子もいるだろう。それなのに、どうして誰も彼の休学を気に掛けていなかったのだろう。
 彼はどうして学校に来なかったのだろう。
 どうして、来られなかったのだろう。
(……答えは『情報局が絡むような話だから』?)
 そうしてその結論に至ったところで、私は思考を無理やりシャットダウンする。情報局が絡むなら、一市民、それもたかだか学生の身分に過ぎない私では、首を突っ込むだけ無意味だ。最悪、情報局にマークされる。そんなことになれば、情報局員である父にも迷惑がかかる。

 私が陀宰くんたちを情報局の前で目撃してから、すでに半月近くが経過していた。制服の夏服は衣替えを経て冬服に変わり、朝晩の冷え込みは毛布がなくてはしのげない季節へと移ろっている。
 私と陀宰くんとの距離は相変わらず。陀宰くんが私を思い出すきざしはないが、それについてはもとより期待していない。最近ではようやく友達と呼んでも違和感がない、そのくらいに近くなっただろうかという距離感で、一緒にいて気まずくなるようなことはほとんどなくなった。
 凝部くんは私との約束を守っているのか、この半月ほどのあいだ、一度も陀宰くん関係で絡んでこなかった。ヒヨリちゃんとも相変わらず。演劇部の手伝いが一段落したのか、最近はまた一緒に下校したり、休日に遊びに行ったりしている。
 淡々としていて、波乱のない日常。
 大きな障害も、乗り越えなければない難題もないかわりに、心躍る冒険も、奇跡みたいな出来事もない生活。
 これはこれでいいのかな、と恙無つつがない日々を送りながら思う。陀宰くんとの昔話も、自分の行き場のない感情も、ヒヨリちゃんたち三人が抱える、おそらくは情報管理局絡みの秘密も――全部、それなりにやり過ごしていれば、心おだやかに過ごしていけるのかもしれない。

 そんなことを考えながら、私はヒヨリちゃんたち三人と一緒に、放課後の街並みを歩いていた。店々のウィンドウは、すでに秋を通り越して冬の支度を始めている。クリスマスのことなんて、まだ考えられもしないのに、となんだか勝手に置いて行かれたような気分を味わう。
 と、軒を連ねる店のうちの一軒に、ふいに視線が引き寄せられた。ほかの店と同じく気の早い冬装いを施したその店は、看板がわりの店頭ディスプレイに、次々とさまざまな写真を映し出している。 
「名前ちゃん? 何見てるの?」
 ヒヨリちゃんに声を掛けられ、はたと我に返った。「あれ」と視線の先を指さすと、ヒヨリちゃんだけでなく、先を歩いていた陀宰くんと凝部くんもまた、私の指の先へと顔を向けた。
「写真館か。こんなところにあったんだな」
「へー、これはまたアナログな」
 凝部くんが呆れまじりにそう言ったのは、ディスプレイには画像のデータだけでなく、写真撮影の風景も映し出されていたからだ。
 今ではあまり見ることのない、写真撮影以外の機能を持たない、単機能カメラ。撮影ブースに立たされた子どもが、カメラのレンズに向かってピースサインをしている。
「ただ写真を撮影するだけならバングルでも十分に事足りるけど、さすがにああいう機材を使うと、雰囲気が出るよな」
 陀宰くんが誰にともなく言う。一昔前の携帯端末が担っていた機能のほとんどは、今や個人のバングルに搭載されている。カメラも標準装備されていて、より高画質や高機能を求める人間は、別途それらの追加機能を購入する仕組みになっている。
「今時、実物のカメラなんて触ったことある人間の方がレアなんじゃない?」
「私たちの親世代は、まだそうでもないんじゃないかなと思うけど」
「まあ、たとえカメラを持っていたところで、バングルの方が手っ取り早いよな」
 写真館の前だというのに、何とも敬意のない会話を展開する陀宰くんたち。
 実際には、単機能のカメラやビデオカメラといった機械も、完全に淘汰されたというわけではない。一部の好事家こうずかやマニアのような人たちからの人気は根強く、高価格な機種が発売されるたび、ひそかな話題になっている。
 とはいえ最近ではプロの写真家であっても、バングルを使って被写体を撮影している場合が多いらしい。
(うちの父親は、フィルムカメラも使ってるけど)
 それもずいぶん古い型なので、母や私には使い方すらわからない。
 そんなことを考えつつ、私が黙って聞いていると、ヒヨリちゃんが「名前ちゃんは?」と私に話題を振った。
「名前ちゃんは写真撮るの好き?」
「いや、そういうわけでもないけど。あ、でもうちは父がカメラ好きで母が記録好きだから、撮られる機会は昔から結構あったかな」
 さすがに最近は節目のイベントでもないと写真撮影の機会もない。それでも実家にはアルバムの冊子が残っているし、アルバムデータのチップも相当数保管されている。
「うちにもデジタルの記録だけど、小さい頃の写真ならたくさんあるよ」
「どーせトモくんが写りこみまくってるんでしょ?」
 凝部くんの茶々に、ヒヨリちゃんが膨れっ面をした。
「うっ、だって、幼馴染なんだから一緒に遊ぶことも多かったし」
「仲が良くて結構けっこー」
「そういう凝部くんは?」
「僕は昔の写真とか全然ない。でも、特に欲しいと思ったこともない。記録は記録で、それ以上の意味なんかないでしょ」
「なんかクールだね」
「写真撮るから入って、って言われたら普通に写るけどね。嫌いなわけじゃないし」
 凝部くんらしい回答だ。さまざまなことにこだわりが薄く、頓着しない。とはいえ何にも愛着を持たないわけではない。薄情だとは思うけれど、非情ではない。
「俺も、昔の写真はそんなに残ってないな」
 陀宰くんが会話を引き継いだ。
「そうなの?」
「俺、三人兄弟の末っ子だから」
「ああ、下の子になるほど放っておかれるやつ」
「家族と写ってる写真ならあるけど、俺個人のアルバムとかフォルダとか、たくさんはないんじゃないかな……。小中学生のときは友達と撮ったりするから、全然ないってわけでもないが」
 陀宰くんの話を聞きながら、性懲りもなく胸がしくしく痛んだ。こんな雑談でいちいち傷つく方が馬鹿らしい、そう分かっているのに、こればかりは自分ではどうにもならない。
 あと何回、陀宰くんの思い出のなかに自分がいないことを、突き付けられればいいのだろう。いい加減慣れてしまえばいいと思うのに、心はそれほど思い通りにはなってくれない。
 私の手元にだけある、幼い頃の写真たち。
 私のそばにしかない、陀宰くんとの記録たち。
 思考が鈍り、気持ちが塞ぐ。鬱屈とした感情を振り払おうと、私は頭を振って顔を上げた。
 と、こちらを見ていたらしい陀宰くんと視線がぶつかる。
「ん? 陀宰くん?」
 どうかしたの、と尋ねると、陀宰くんは何か言いたげにくちびるを薄く開いた。言葉を選ぶように、陀宰くんの視線が左右に泳ぐ。
 そして、
「……あの、さ」
 ゆっくりと、けれど焦れているような陀宰くんのその声に、何故だか胸がざわりと騒めいた。
 目の前の陀宰くんの発した声は、困惑の中にもはっきりと切実さを滲ませていた。
 私の喉がごくりと鳴る。こんな陀宰くんの声は、一度も聞いたことがない。吸い寄せられるように視線を奪われ、目をそらすこともかなわくなった。
「……ぁ、」
 何か言おうとして発した言葉は、喉に張り付き、締められたときの呻きのような苦しげな音になる。
 陀宰くんが、ぐっと口を引き結ぶ。喉ぼとけが一度、ごくりと上下した。
 そのとき、私には陀宰くんが発するはずだったなにがしかの言葉まで、一緒にまるごと呑み込んだように見えた。
 ややあって、陀宰くんは溜息をひとつ吐き出す。そして視線を横にそらして切ると、
「……いや、何でもない」
 小さく呟き、ゆるりと首を横に振った。
「そう……?」
「うん、何でもない」
 深追いすべきか、そっとするべきか。陀宰くんの表情をうかがうと、貼り付いた固い表情のなかに、かすかにほっとするような、ゆるんだ色が混じっている。
(これはきっと、触れないでいた方がいい話なんだよね……?)
 陀宰くんの心情が分からないなりに、私はそう推測した。最近でこそ仲良くなりつつあるとはいえ、私と陀宰くんはまだ何でも言い合えるような関係ではないのだ。ここで迂闊に踏み込み過ぎて、不躾な人間だと思われるのは嫌だった。
「でもアナログの写真ってなんだかよくない?」
 そんなヒヨリちゃんの声が聞こえ、私は意識を引き戻される。何食わぬ顔で、私もヒヨリちゃんたちとの会話に戻った。
 ヒヨリちゃんは隣にいる凝部くんに話しかけている。対する凝部くんは「そーかなー?」と、にやけて髪を掻き上げた。
「ヒヨリちゃんの言うそれって、データ改ざんの恐れがないから? でもさー、ここの店って、カメラ使って撮影はしてるんだろうけど、結局データで商品取引してるわけっしょ? そーんな中途半端なポーズだけで、アナログ名乗られてもねぇ?」
「別にこの店がアナログ名乗ってるわけじゃないでしょ」
「大体、データ改ざんの話するんなら、それこそ古式ゆかしいフィルムカメラでも使わない限り、出力した媒体が違うだけで改ざんの恐れはありまくるじゃん」
「そういうロマンのない話じゃなくて」
「というか別に瀬名はデータ改ざんの話なんかしてないだろ」
「たしかに」
 しれっと会話に参入してきた陀宰くんの苦言を、凝部くんはあっさり認めた。どうやら本気でヒヨリちゃんを言い負かそうという気はなく、適当な御託ごたくを並べて遊んでいただけらしい。ヒヨリちゃんが目をすがめ、凝部くんをひややかに睨んだ。
「さっきのヒヨリちゃんの話じゃないけど」
 凝部くんを目で制しながら、今度は私が会話に割って入った。
「うちはアナログ写真に現像するよ。でも嵩張かさばるし、どう考えてもチップでデータ管理の方が楽だと思う。データなら共有したり整理するのも簡単だし」
「苗字んちの親はまめなんだな」
「親というか、写真を撮りたがるのは主に父かな。そういう習慣がついちゃってるんだと思う。メモひとつとっても手書きも残したがるし」
「いっそ病的だね、このデジタル社会で」
 揶揄やゆするように口を挟む凝部くん。
「だってそーじゃん。それって要は、現行の社会システムとか生活基盤全般を信用していないってことでしょ」
「おい、凝部」
「いいよ、私もちょっとそう思ってるところあるし」
 というより、私もどちらかといえば凝部くんと同じような考えの持ち主だ。アルバム一冊とっても、嵩張るうえに重たくて仕方がない。その点チップならば、アルバムの数倍、いや数十倍の容量を保存でき、保管にスペースもとらない。データのバックアップさえ取っておけば、のちのちデータが消えて困ることも滅多にない。
「まあ、僕もアナログゲームの愛好者として、まったく通じるところがないとは言い切れないけどさ」
 と、凝部くんが会話をまたしても引っくり返す。ヒヨリちゃんが「もうっ」と可愛らしく呆れて見せた。
「それじゃあ結局、凝部くんはどっちの立場なの?」
「僕は確固たるポジションなんか持たない遊撃隊でーす」
「雑談してる友達を遊撃すんなよ」
「えー、でも攻めは最大の守りっていうし?」
「お前は一体誰を攻めて、誰から守られるつもりだよ?」
「それはもちろん世間の荒波とか、ケイちゃんの鉄拳とか。僕は日々、あらゆる者と戦ってるんだよ☆」
「もういい、勝手にやっててくれ」
 突っ込むのにも疲れたのか、陀宰くんが会話を投げ出した。凝部くんの発言すべてにツッコミを入れていては、どれだけ頑張っても追いつかない。げんなり顔の陀宰くんに少しばかり同情を寄せながら、私は写真館のディスプレイに視線を向けた。
 七五三の記念写真、入学記念、日常のささやかな風景。
 いつか誰かの心を彩るであろう、あたたかな記録。
「だけど、記憶が伴っていなくっちゃ、記録だけあっても仕方ないのかもしれないね」
 悲観的になるつもりはなかったけれど。
 優しい写真の数々を見ているうち、自然とそんな言葉が口からこぼれた。

- index -
- ナノ -