未必の恋
◇◇◇新学期。高校三年生に進級する前の、最後の学期。
生徒の大多数が内部進学で大学に進む月桂高といえど、三年生ともなれば否応なしに受験ムードを盛り上げられる。高二の三学期は、その直前の最後のあがきのような時期――ではあるのだが、それはそれとして、一、二年生には当然のように休み明けの試験がきっちり組まれている。
新学期の初日は始業式後から夕方まで、冬休みの課題から出題される試験が続く。陀宰くんのことで頭を悩ませたり、バイトに精を出したりとなかなか忙しい冬休みではあったものの、試験勉強はそこそこにこなしていた甲斐あって、今のところは大コケはしていなさそうだ。
めでたし、めでたし。
「いや全然めでたしめでたしじゃないから。なんでメイちゃんも名前ちゃんも、ふたりともそんないつも通りなの? 名前ちゃんがメイちゃんに告白したのって、もしかして僕が見た夢?」
試験の合間の昼休み、ヒヨリちゃんが席を外しているタイミングでこそこそと、いやそれなりの声量で文句を垂れてくる凝部くんに、私は抗議の一瞥を遣ってから陀宰くんに視線を向けた。
教室内は休み明けの騒がしさと試験日の緊張感に満ちており、私たち三人の会話に耳を傾けているクラスメイトなどひとりもいない。教室の熱気によって窓ガラスにうすらと白が刷かれ、寒々しい外の景色がぼんやりと曇っている。
「ごめんね陀宰くん、凝部くんに話しちゃった」
お弁当のウィンナーをつまみながら私は言った。陀宰くんの手元には単語帳が開かれている。昼食時でも試験勉強を迫られていることから、陀宰くんの試験勉強の完成度は推して知るべしだ。
陀宰くんは単語帳から顔を上げると、きまり悪げに眉根を寄せた。
「いや、俺は……」
「あー、それならメイちゃんも僕に言いふらしてたから。名前ちゃんが気にしなくても大丈夫だよ」
「おい! バラすなよ!」
陀宰くんが慌てて椅子から腰を浮かせ、凝部くんの口を塞ごうとする。はずみに単語帳が宙を舞い、私は慌てて腕を伸ばし、ばらばら捲れる単語帳をキャッチした。
凝部くんは陀宰くんの腕をひらりと避ける。にやにや笑いをいっそう深めると、うまく陀宰くんを制したまま凝部くんは言った。
「いやー、ね、自分のモテを声高に主張する男って、僕はマジでどうかと思うんですけどー。その辺、メイちゃんはどうお考え?」
あげつらうような揶揄い方が、非常にいやらしく悪質だ。陀宰くんが机の下で凝部くんの足を踏もうとする。しかしそれもやはり不発に終わり、陀宰くんがただただ地団太を踏んだだけに終わった。
さらには凝部くんから「ちょっと困るとすぐ暴力に訴えかけるんだから。メイちゃん最近、ちょっとケイちゃんに似てきたんじゃない?」と追い打ちをかけられる。その一言でもって、陀宰くんはあえなく轟沈した。
と、そんな攻防を見るともなく眺めていると、私の心にまでむくむくと悪戯心がわいてくる。凝部くんの追撃の手がゆるんだのを確認してから、ことさら大袈裟に、深刻そうに、私は大きく嘆息した。
「なんかさぁ……別に凝部くんの肩を持つわけじゃないけどさぁ……陀宰くんさぁ……あのさぁ……」
「ち、違う!」
俯けていた顔をがばりと上げた陀宰くんに、私はふぅ、と物憂い青色吐息を吐き出して見せる。
「振られた私が話すならともかく、振った側がそういうことをぺらぺら話すっていうのは……」
「だから違う! 俺は言うつもりなかったんだけど、こいつが、」
「メイちゃん、男の言い訳は見苦しいよ?」
「凝部お前ほんとにウザい!」
「語彙がない男って嫌だねー」
ぐぬぬ、と陀宰くんが言葉を詰まらせる。どうやらこの勝負、完全に凝部くんに軍配が上がったようだ。
まんまと言い負かされた陀宰くんは、じっとり怨念のこもった目で凝部くんを睨んでいる。そんなことをしたところで凝部くんは一顧だにしないだろうに。というより、今陀宰くんが睨むべきは凝部くんではなく、私だろうと思うのだが。
とはいえ、凝部くんと陀宰くんの間のパワーバランスはともかく、今の陀宰くんが私に対して強く出られないことも分かる。あんまりやりすぎるのもよくないだろうと、私は「うそうそ、ごめんね。冗談だよ」と悪戯心の矛をおさめた。
「ちょっと悪ノリしすぎました。ごめんね」
「……いいけど、本当に、喜び勇んで話したとかじゃないからな」
「うん、疑ってないから大丈夫だよ」
ねぇ、と凝部くんに話を振れば、「僕からはなんともー」と無責任な返事がぽんと返ってくる。途端に陀宰くんの瞳が剣呑な色を帯び、私は乾いた笑いをもらした。
「というか、あれかな。私が凝部くんに話したから、それで陀宰くんがつつかれた感じかな」
「いや、多分苗字が言うより俺が先に失言したと思う」
肩を落とす陀宰くんと、「正解☆」と元気いっぱいな凝部くん。
「僕はただカマかけただけだし、名前ちゃんから聞いたのはその後だよ」
「あ、そうなんだ。すさまじいまでの勘の良さだね」
ちなみに私が凝部くんにこの話を打ち明けたのは、正月の三が日が明けてからのこと。どういう風の吹き回しか、凝部くんが私のバイト先に食事をしにきたので、そのついでにちらっとだけ話をした。引きこもりの凝部くんにしては珍しいこともあるものだ、と思ったことだけ、やけに強く印象に残っている。
今にして思えば、あの日凝部くんが私のバイト先にやってきたのも、先に陀宰くんから話を聞いたうえで私がどんな顔をしているのか見てやろうという、野次馬根性だったのかもしれない。他人のことに関心が薄い凝部くんだが、時折妙に俗っぽいところがある。
「あれ? でも凝部くん、私が話したときびっくりしたリアクションしてなかったっけ?」
「あれはー、告白云々にびっくりしたんじゃなくて、名前ちゃんが僕にそんな大事な話を打ち明けてくれるようになったんだなー、ってことにびっくりしたんだよ。僕ってほら、信頼がないから」
「分かってんじゃねーか」
先ほどの恨みを晴らそうと言わんばかりの、地を這う声で陀宰くんが口を挟む。
「僕がメイちゃんよりも名前ちゃんからの信頼を勝ち得ているからって、そんなイライラしないでよ」
「してねえし、殴る」
「してないなら殴んないで」
男子二人のコミュニケーションは気安く大雑把だ。なんとなく見ていて微笑ましい気分になる。
このまま昼休みが恙無く終了するかと思ったところで、
「で? 片や告白しました、方や告白されました、で? それでどうしてキミたち何の変化もないの?」
すっかり逸れていた話題を、凝部くんが半ば無理やり軌道修正した。私と陀宰くんが顔を見合わせ肩をすくめ合っても、凝部くんは「何それ!」と何故か余計に気炎を吐くばかりだ。
「一応聞くけど、メイちゃんは名前ちゃんの告白を断ったんだよね?」
疑問というよりは文句を言い立てでもするように、くちびるを尖らせ申し立てる凝部くん。苦笑する私を見て、振られた側では意見を言いにくかろうと思ったのか、陀宰くんが「だから言うなって、そういうこと」とむすりとする。
「でも、事実でしょ。あなた、告白しました」
そこで凝部くんは私を指さして、
「で、あなた告白されました」
もう片方の手で、今度は陀宰くんを指さした。
「で、それで関係が変わらない方がどーなんだって感じじゃん? ねえ、名前ちゃん」
「うーん、そうは言ってもねぇ……」
私はそこでちらりと、陀宰くんに視線を向けた。私の視線に気づいた陀宰くんは、まるですべてを受け容れますと言わんばかりの、悟りを開いた顔をしている。
(いや、悟られても困るんだけど……)
その潔いばかりの表情に、私は内心苦笑した。むしろもう少し狼狽えでもしてもらった方が、こちらとしては余程嬉しい。もちろん物には程度というものがあるけれど……。
と、そんなことを思いつつ、私は凝部くんへの説明のための言葉を探した。
「そうだなぁ……、なんていうか、振られたからって、私としては現状が変わったわけではないというか。私は陀宰くんのことが好きで、陀宰くんはヒヨリちゃんのことが好き。私は今のところ『待ち』を選んで長期戦の構えだし……」
悟りを開かれては困るが、まったく意識されないのも考えもの。だが、ぎくしゃくするのは一番よくない。適度な緊張感を保ちつつ、表面上はそのまま。それが今の私の希望だった。
「じゃあメイちゃんの方は?」
「俺は、苗字が何も変わらないから……俺が変に意識したりとか、しない方がいいのかと思って」
「ありがとう、陀宰くん。あ、でも最低限の意識はしてね。じゃないと私の告白が無意味なものになっちゃうから」
「ど、努力はする……」
難しい顔をして頷く陀宰くん。難しいことを要求している自覚は、私にもある。けれど諦めるなと言ったのは陀宰くんなのだから、そのくらい要求することは私にとって当然の権利のはずだ。
「というか俺、意識しないとかは逆に無理な気がする」
「ああ、メイちゃん結構顔に出やすいもんね」
凝部くんが「前途多難すぎじゃん」と笑う。たしかに、と私も笑う。陀宰くんだけが目尻をかすかに朱色に染めて、むすりとそっぽを向いている。
「あと、気になってたんだけど、名前ちゃんがメイちゃんを好きって話、ヒヨリちゃんには言わない感じ?」
「絶対に言わない」
「うわ、即答」
私の返事に、凝部くんが引いたような声を出す。けれどこれだけは、最初からずっと決めている。考えるまでもない。
「だってさすがに、それはフェアじゃないでしょ」
「恋愛にフェアもそうじゃないもあるの?」という凝部くんの茶々は黙殺した。陀宰くんは薄々私の考えに気が付いていたのか、特に驚いた顔もしていない。凝部くんではないけれど、陀宰くんが思ったよりも私のことを信頼していることが窺えて、なんとなく妙な気分になった。
「ちなみに、なんで言わないの? ヒヨリちゃんに隠し事をするの、嫌じゃないの?」
「まあ、好きで隠し事したいってわけではないよね」
でも、と私は続ける。
「賭けてもいいけど、ヒヨリちゃんは私が陀宰くんのこと好きって知ったら、私のこと応援すると思うよ。そしたら陀宰くんには申し訳ないけど、陀宰くんがヒヨリちゃんと両想いになる可能性はゼロになると思う」
「おい。はっきり言うなよ」
「だから内緒にしておこうって言ってるんだよ」
「名前ちゃん的には、バラしちゃった方が有利なのに?」
「目先の利をとるか、長期的な利をとるかって話だよね」
ヒヨリちゃんが陀宰くんに恋心を抱いているわけではない以上、ヒヨリちゃんを味方につけることは多分、容易い。けれどそれをしてしまうと、陀宰くんからの信頼はほとんど失われてしまうだろう。
「ていうか、俺の前でそういう話していいのか?」
呆れた声で陀宰くんが言う。
「自分にかかわる話は聞いておきたくない?」
「いや、普通に気まずいから」
陀宰くんが表情を険しくして嘆息した。私と凝部くんは視線を合わせて笑う。ちょうどそのとき、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴る。教室の前の入口に、ヒヨリちゃんの姿が見えた。よく見るとすぐ後ろに萬城くんも立っている。なるほど、戻りが遅かったのは萬城くんと話をしていたかららしい。
ヒヨリちゃんが戻ってきそうな様子を見て、何とはなしにこの話はおしまいになる。そのまま解散になるかと思った矢先、陀宰くんがふと思い出したように「苗字、」と私を呼んだ。
「苗字、来週以降で暇な日あったら教えてくれ」
「いいけど」
「何なに、デートのお誘い?」
すかさず混ぜ返そうとしてくる凝部くんを、陀宰くんが「そういうんじゃねーよ」と面倒くさそうにいなす。
「そういうんじゃないなら何さ」
「……うちの姉貴が、苗字に会いたいって言ってて」
陀宰くんは苦い口調でそう言ったが、私は思わず笑顔になって椅子から腰を浮かせた。
「ああ、陀宰くんのお姉ちゃん! 私も会いたいな。ぜひ!」
「よかった。姉貴に言っておく」
「伺うなら休日の方がいい?」
「いや、最近はわりと暇してるみたいだから、放課後でも大丈夫だと思う。一応確認はするけど」
「分かった。そういえば私、陀宰くんの引っ越し先の住所知らないや」
「ああ、そうか。じゃあ住所も送っとく。当日は最寄りの駅まで迎えに行くし」
「本当? 助かる」
休み時間の残りが少ないため、手早く話を進めていく。そんな私と陀宰くんを交互に見ながら、凝部くんが訳知り顔で「ふーん」と口を尖らせた。
「なんかさー、ふたり、そういう感じなわけねー」
「何が?」「何だよ?」
私と陀宰くんの声がきれいに重なる。凝部くんはさらに白けた顔をした。
「長期戦の決着が見えちゃって、僕的にはあーあって感じ。結果が見えてるゲームなんて、全然面白くないんだけど」
そう言って凝部くんは、陀宰くんの肩と私の肩を、それぞれぽんと一回ずつ叩いた。
「ま、いいけどね。お幸せにってことで」
凝部くんの無責任かつ意味深な言葉に、私と陀宰くんは顔を見合わせる。ちょうどそこへ戻ってきたヒヨリちゃんが「どうしたの?」と天真爛漫な笑顔を陀宰くんと私に交互に向けた。
fin.