園の収束地点

(失言、だったかな……)
 自らの言葉と凝部くんのリアクションを反芻し、考える。そして失言というよりはむしろ、欺瞞という方が正しかったな、と胸中で結論づけた。
 もはや私は陀宰くんに対し、思い出してほしいなどとは微塵も思っていない。また思い出されたところで、今になって何がどうなるとも思っていない。
「あ、でも凝部くんには感謝してるよ。クリスマスに陀宰くんに会えると思ってなかったし」
 微妙に話題の向きをずらせば、凝部くんも心得たもので、わざわざ深追いしたりはしてこない。意地の悪い笑顔をにっと浮かべて、凝部くんは私に尋ねた。
「電話したのが七番目でも?」
「七番目でも」
 たとえ七番目でも、何かあった時に思い浮かべてもらえるというだけで、私にとってはありがたい。微笑みを浮かべてそう言い返せば、凝部くんは呆れたとでも言いたげに鼻に皺を寄せた。

 ◇◇◇

 結局私たちが凝部くんの家をおいとましたのは、冬の日がすっかり沈み切り、それからさらに、数時間経ってからのことだった。「寒いから見送りはパス」という凝部くんに別れを告げ、私たちはぞろぞろとマンションを出た。
 クリスマスの夜だけあって、街中は浮かれムードで満ちている。凝部くんの家は繁華な通りに近いため、人々の浮かれた喧噪が、冬風に乗ってかすかに聞こえてくるようだ。
 利用するバス停が違う獲端くんとはマンションを出たところで別れ、私と陀宰くんはふたり並んで近くのバス停へと向かう。制服と違い私服には防寒処理が施されておらず、スカートからはみ出した足がて風に撫でられるたび、ぶるりと身体が大きく震えた。
「なんだかんだで結構楽しかったね」
 バス停へ向かう途中、私がそう声を掛けると、隣を歩く陀宰くんは怪訝そうな表情を浮かべ、私を見下ろした。
「そうか……? 獲端とか露骨に、苗字に対して態度悪かったと思うぞ」
「でも獲端くんのことは最初から女嫌いって聞いてたから、思ったより大丈夫だったなって自分では思うよ。陀宰くんと凝部くんがうまく間に入ってくれてたし」
 たしかに獲端くんには終始つっけんどんな――というかかなり冷ややかな態度を向けられたが、事前情報から覚悟していた甲斐あって、それほどダメージは受けなかった。会話をするしても、三人全員に話すように主語をぼかせば、獲端くんも最低限の返答はしてくれた。
 何より食べるものに関して、獲端くんは常にこまごまと面倒を見てくれていた、という印象が強い。だからこうして振り返ってみても、獲端くんの印象は実際それほど悪くなかった。
「別に私個人が何かして嫌われてるわけでもないし、そういう人だと思えばね」
「お前、偉いな……」
「そう? 『女嫌いの人』って属性で見てるぶん、獲端くんからしたら逆に嫌だったかもしれないけど。まあそこはお互い様だね」
 正直に言えば、こちらの苦手意識をものともせずにぐいぐい来る、初期の凝部くんの方が、私はよほど苦手だった――とはさすがに言わずにおいた。せっかく陀宰くんが少し感心してくれたのだ。わざわざ自分と凝部くんを下げる必要はない。

 バス停に到着する。
 ちょうど前のバスが行ってしまったばかりのようで、バス停には私たち以外に人影はなかった。それでも周囲には店も多く、街灯もそこかしこに配置されているおかげで、夜の暗闇のさなかにいる不安さはかなり薄い。むしろ夜闇が適度に互いの姿を覆ってくれているおかげで、ふたりきりであっても陀宰くんを意識しすぎないで済むのがありがたいくらいだ。
 バス停のベンチに腰をおろす。プラスチックの座面から凍えるような冷気が染み入って、思わず自分の身体を抱き抱えるように腕を回した。寒さから気を紛らわすべく、私は口を開く。
「そういえば陀宰くん、夜から用事があるって言ってたけど、時間は大丈夫なの?」
 たしか、中学のときの友人たちと遊ぶ約束があると言っていたはずだ。そのことを思い出し尋ねると、途端に陀宰くんは気まずげに視線をふいと逸らした。
「ああ、まあ、うん。というか、そっちは行かなくてよくなった」
「え? なんで?」
「いや、元々そういう感じのゆるい集まりなんだよ。せっかく凝部や獲端や苗字とケーキ食べてんのに、途中で切り上げてそっち行くとか、それもどうかと思うし」
「えぇ……」
 そんなふうに言われてしまうと、なんだかこちらの方が恐縮し、申し訳ない気持ちになってしまう。自分で言うのも悲しいが、今日のクリスマスパーティーに、陀宰くんが昔の友人との約束を蹴るほどの価値があったとは到底思えない。
「そっちの、元々あった約束の方は、今からでも行けないの?」
「行けなくはないが……」
 すでにこの時間だし、もう行く気はない、ということだろう。陀宰くんは語尾を曖昧に濁して、口をつぐんだ。
 しんしん積もった暗闇を、車のライトが切り裂いては消えていく。重苦しくない沈黙が落ち、私はぼんやりと目の前の風景を眺める。
 陀宰くんが両手を顔の前に持ち上げて口許に寄せると、はぁっと息を吐きかけた。寒々しいけれど少し可愛い仕草に、思わず口許がゆるむ。陀宰くんはにやつく私に気付かず、何か考え込むように視線を遠くに投げている。
 視界いっぱいに広がる暗闇を、店先を彩る電飾が照らしている。今日は聖なるクリスマス。一年に一度の、大切な日。
 陀宰くんがこうやって二人きりで一緒に過ごしたい相手は、きっと本当ならば私なんかではないはずだ。成り行きでふたりきりになってしまった私と陀宰くんだが、本来クリスマスに顔を合わせるような間柄ではまったくない。恋人ではないというだけでなく、友人としても、そのレベルには至っていない。
 陀宰くんが今見つめている視線の先には、私ではない彼女がいるのだろうか。そんなことを、考えるともなく思う。
 そのとき、唐突に私は思い出した。
「あ、そうだ」
 ごそごそと鞄の中に手を入れて、中からあるものを取り出す。現実に引き戻された陀宰くんに、私はにやりと笑いかけた。
「陀宰くん、手だしてくれる?」
 素直に手のひらを上にして、私に手を差し出す陀宰くん。少しだけかさついて、私よりも一回り以上大きな陀宰くんの手のひらに、私はそれを置いた。
「はい、これ。クリスマスプレゼント」
「え……?」
 陀宰くんの白目がちの三白眼が、はっきりと戸惑いを示している。視線は手の上に置かれたクリスマスプレゼントに注がれていた。
 私は苦笑した。陀宰くんが戸惑うのも当然だ。クリスマスプレゼントと称して、いきなりクラスメイトの女子からガムを手渡されたのだ。誰だって反応に困るに決まっている。あの凝部くんですら、やんわりと苦言を呈してきた。
「これ、ガム……、だよな……?」
「もちろん、見ての通りガムだよ。さっき凝部くんにも同じの渡したんだけどね。陀宰くんの方はほら、なんと限定のパッケージ」
 猫でしょ、と教えると、陀宰くんがぱちくり瞬きをしてから「本当だ」と呟いた。
 凝部くんにあげたものも陀宰くんにあげたものも、中身は同じ普通のミント味のガムだ。ただし陀宰くんの方は、猫の人気キャラクターとの数量限定コラボ商品を選んでいる。ちなみに値段もまったく同じ。
「獲端くんの分も買ってあったんだけど、絶対にいらないって言われるだろうなと思って、渡すのやめちゃった。これは私が食べることにするよ」
 ケーキをご馳走になったお返しは、また後日考えればいいだろう。獲端くんに直接お礼をするのが難しければ、凝部くんか陀宰くんを経由すればいい。
 獲端くんのためにと買っておいたガムは、凝部くんに渡したのと同じ、ノーマルなパッケージのものにした。単に獲端くんという人の好みがわからなかっただけなのだが、そもそもプレゼントをどうぞなんて空気にはならなかったので、結果的には普通のものにしてよかったと思う。限定版パッケージはひそかに人気があるらしいので、必要以上に買い占めるのもよくない。
「プレゼントって……俺、何も用意してないぞ」
「いいよいいよ、私もシャンメリー買うついでに買っただけだし。それにこれ、シリアルナンバーついてるでしょ。これでプレゼント応募できるんだけど、実は私、ひそかに応募し続けてて。陀宰くんさえよければ、そのシリアルナンバーで応募させてほしいな」
「もちろん」
 陀宰くんにガムを差しだされ、私はバングルでシリアルナンバーを読みとった。そのまま応募画面が表示されるので応募まで済ませていると、隣から陀宰くんが私の手元を覗く。
「応募したいのってそれ?」
「そう。この一等を狙ってるんだ」
「一等だと何がもらえるんだ?」
「オリジナルマグカップだって」
 陀宰くんは興味を引かれたのか、少しだけ私との距離を詰めた。
「へえ、マグカップはいいな。使い道あるし」
「だよね。写真あるかな」
「どれ? 見せて」
 画面をスライドし、景品一覧を表示させる。猫のキャラクタ―とのコラボだけあって、景品はどれもこれもそのキャラクター一色だ。
 ただし猫とはいってもかなりデフォルメされたデザインなうえ、コラボグッズの絵柄はお世辞にも可愛いとは言い難い。猫好きの人間には、却って思うところもあるのだろう。私の隣でも、陀宰くんがひくりと頬を引き攣らせている。
「陀宰くん的には微妙? もっとリアルな猫の方が、陀宰くんは好きかな?」
「いや、リアルとかそういう以前に……これ、本当に欲しいのか……?」
 疑わしげに陀宰くんが問いかける。陀宰くんの視線は、でかでかとぶさいくな猫キャラがプリントされた、一際強烈なデザインのマグカップに釘付けになっていた。
 疑念を蹴散らすように、私ははっきり頷く。
「本当に、めちゃくちゃ欲しいと思ってるよ」
「苗字の雰囲気とは違いすぎないか?」
「そうかな? まあマグカップなんて、何個あってもいいからね。少しくらいはキワモノっぽいのがあってもいい」
「いや、そう何個もはいらないだろ」
「何個もいらないけど、別にあっても困らないでしょってこと」
「苗字んちって兄弟いるんだっけ」
「ひとりっこだよ?」
「じゃあ、いらない」
「そんなことないってば。あ、じゃあペン立てとかに使おうかな」
「無理やり使い道を模索してるじゃねーか」
 呆れた顔とくだけた口調でつっこまれる。なんだかそれが妙におかしくて、私は思わず声をあげて笑ってしまった。そんな私に、陀宰くんが一瞬呆気にとられた顔をする。それから数秒後、私の笑い声に釣られるように、陀宰くんもふっと噴き出した。
「っ、くく、っは……ふ、ははっ!」
「べっ、べつにっ……ふふっ、いいじゃん、ぺ、ペン立てにしても……! なに? な、なん……ふっ、ふふ……っ」
「いや、だって、……っく、はは……!」
 肩を震わせ、陀宰くんが背をまるめた。顔を見合わせ笑っていると、なんだか余計におかしくなった。別に特別面白おかしい話をしていたわけじゃない。取るに足らない、他愛ないにも程があるような遣り取りだ。それなのに、たがいに変なツボに入ってしまったようで、どうにも笑いの波が引かない。
 今日一日、私と陀宰くんの間には、絶えず緊張感のようのものがぴんと張りつめていた。それがはからずも、今の会話ですっかり溶けて、消え去ったようだった。
 目尻に溜まった涙を拭い、細く長く息を吐く。陀宰くんの前でこんなに大笑いをしたのははじめてだったし、陀宰くんのこんな大笑いを見たのもはじめてだった。
 クリスマスプレゼントとして、これ以上ないものを貰ってしまったような気分だ。
 しばらく身体を震わせていた陀宰くんは、結構な時間をかけてようやく、笑いの渦の中から脱出した。一足先に平静を取り戻していた私を見て、陀宰くんはどこか照れくさそうに目元を擦る。
「なんで俺ら、こんなに笑ってんだ……」
「いや、本当にね」
「くそ……」
 ぼやいた陀宰くんは、はあ、と区切りをつけるように、俯き、一度深く息を吐き出した。かと思えば、彼は背を丸めて顔を俯け、その姿勢のままでぴたりと固まってしまう。
「ん、陀宰くん? どうしたの? 疲れた?」
「いや、そういうわけじゃないだけどさ」
 そこで陀宰くんは言葉を切り、口を閉じた。何一つ説明されないまま、会話はぶつ切りの宙ぶらりんになる。
 陀宰くんはそのままかなり長い間、身動きせずにじっとしていた。顔もやはり俯けたまま。どうしたのかとおもったら、どうやら彼は、手に持ったままのガムを何やらじっと見つめているようだった。
「あの、さ」
 と、陀宰くんが、俯いたままで切り出す。
「少し話をしたいんだが、苗字、時間いいか」
 その声音に、ただならぬものを感じた。
 陀宰くんが顔を上げ、私の瞳と視線を合わせる。さっきまでとは打って変わって、陀宰くんの表情に、ふざけたところはひとつもない。
 笑って緊張が一度途切れたからこそ、引きずっていたものを吹っ切れたのだろうか。陀宰くんはいやに、腹の決まった顔つきをしている。
 知らず、私の背中と肩に力がこもった。
「……私はいいけど、陀宰くんは、時間は?」
「俺も大丈夫……だから、苗字さえよければ」
 もしかしたら陀宰くんは今日顔合わせたときから、私と話をしようと思っていたのかもしれない。不意にその考えに思い至った。だからこそ陀宰くんは、このあとに入っていた予定をキャンセルしたのだ。凝部くんの家で話そうと思っていたことを、あのとき話せなかったから。
(はぐらかせない……)
 咄嗟に、心にその言葉が浮かんだ。それと同時に、全身からさっと血の気が引く。そのときはじめて、私は自分が陀宰くんとの話から逃げ出したいと思っていることを自覚した。
 どきどきと、胸が嫌な鳴り方をしていた。それでも、目の前の切実な瞳から目を逸らすことはできない。陀宰くんと私の、視線が絡む。呼吸も忘れて、私は彼の瞳に見入った。
 何か強い感情が、陀宰くんと絡めた視線から、絶えず流れ込んでくる。呼吸が、脈拍が、何もかもが陀宰くんに絡めとられていくようだ。
 陀宰くんは、ひたすらに私の返事を待っていた。
 もしも――もしも、私がここで断ったところで、彼は何も私に無理強いしないに違いない。何もいることはないし、責めもしない。新学期には、今まで通りのグループ付き合いが続くのだろう。そしてその展開こそ、今の私がたったひとつ望むものだ。
 それなのに、どういうわけか。
 気付けば私は、陀宰くんに向け頷いていた。
「じゃあ……どっかお店、入る?」
 私の返事に、陀宰くんは「えっ」と戸惑うような声を上げた。もしかして、私が頷くとは思っていなかったのだろうか。ついつい苦笑したくなる。
「いや、だって話をするのなら、ここじゃあまりにも寒いかなー、とか……。あれなら凝部くんちに戻るでも、いや、でもそれはさすがに迷惑すぎるしなー、とか……」
 我ながら、妙に言い訳がましい言葉の羅列だ。陀宰くんは眉間に皺を寄せる。
 とはいえ、このまま寒くて暗いこの場所に長居したくないという言い分には、陀宰くんも同意見のようだった。
「じゃあ、そこにカフェあるから……そこで」
「……うん」
 陀宰くんに促され、私たちは揃って立ち上がる。寒さで強張った足をぎこちなく動かしながら、私たちは橙色の電球の光に引き寄せられるように、道向かいのカフェへと無言で歩き出した。

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