器用貧乏がになって

 凝部くんと獲端くんが、揃ってキッチンへと消える。残されたのはカットされた獲端くん特製ケーキと、それを食べるための食器一式、そして私と陀宰くんだった。
 私が部屋に入ってきたとき、陀宰くんと獲端くんはすでに向かい合って、テーブルについていた。獲端くんの隣には座るべきではないだろう、という私なりの配慮もあって、現在私と陀宰くんは隣同士でテーブルについている。
「陀宰くんも凝部くんに呼ばれたんだね」
 さっきの話の繰り返しになるが、ほかに適当な話題も思いつかない。半ば惰性で話しかけると、陀宰くんは何故か驚いたように肩を揺らして「え、あ……うん」と曖昧な返事をした。着ているセーターの下で身体がぎこちなくなっているのが分かり、見ているこちらが居た堪れない気分になってくる。
「そういえば陀宰くん、クリスマスは友達と遊ぶって言ってなかったっけ」
「そっちは夜からになったから、昼間は凝部に付き合おうかと」
「付き合いいいんだね。予定のはしごって大変じゃない?」
「ああ、……いや、どうだろうな」
 またしても曖昧な返事が返ってくる。心ここにあらずな様子の陀宰くんに、私はそれ以上話しかけるのをやめた。そういう時だってあるだろうし、そもそも陀宰くんもまだ、先日の気まずさを引き摺っているのかもしれない。
 陀宰くんに話しかけるのを諦めた私は、そのぶん自分のなかで思考を重ねる。
 陀宰くんのことを『付き合いがいい』と言ったけれど、どちらかといえば陀宰くんには『面倒見がいい』という方が似合うのかもしれない。面倒見がよく根気がなければ、あの凝部くんと付き合えない。私はといえば面倒見も悪く根気もないので、凝部くんとの付き合いはぐだぐだだ。
 ヒヨリちゃんにしても陀宰くんにしても、驚くほどに人がよくて、他人に親身だ。凝部くんが親切でないとはいわないが、ヒヨリちゃんたちは年季が違うというか、自然体にそういう親切をやってのける。あれほど押しつけがましくならないのは、一種の才能だと思う。
 きっとヒヨリちゃんは、小さいときからああいう性格なのだろう。幼馴染の萬城くんの言動を見ていれば、嫌というほど察せられる。そのことに悪感情を持ってはいない。私にはできないことをしているという意味で、ただただすごいと思うばかりだ。
 陀宰くんはどうだろう。
 少なくとも十年前の陀宰くんは、ヒヨリちゃんのような人ではなかった。けれど今の陀宰くんは、やはりヒヨリちゃんと何処か似ていると思う。
 そんなことを考えぼんやりしていると、遠慮がちに声を掛けられた。
「……あのさ」
「ん?」
 声につられて陀宰くんの方を向く。目線を向けた先には、固く強張った表情で私を見る陀宰くん。白目がちな眼が、言葉を探し、選ぶように視線をやや彷徨わせている。
「陀宰くん?」
 呼びかけると、陀宰くんの喉がごくりと上下した。首を傾げて見つめる私に、陀宰くんは眉根をむっと寄せている。その表情がもどかしげで、苦しげで、私は思わず、目を瞬かせた。
(この間と同じだ)
 思い出されるのは、あの冬休み前の夕方のこと。あのときも今日と同じく、陀宰くんは何かもの言いたげな表情をしていた。私を困惑させる切実な色の瞳が、ただならぬ気迫を奥底ににじませて私を見つめている。気迫が前面に出てこないのはきっと、陀宰くん自身がどうすべきか、まだ決めあぐねているから。
(だけど、陀宰くんに何を迷うことがあるんだろう……?)
 一体全体、どうして陀宰くんがそんな顔をするのか。あの日も今日も、やはり私には皆目見当がつかなかった。陀宰くんがそんな表情をする理由なんか、どこにも、ひとつもないはずだ。いつだって、迷っているのは私の方なのだから。
 それでも、切実な瞳で見つめられれば、否が応でも反応してしまう。本当はもう胸の奥底に沈めておきたい感情を揺さぶられ、全身がその感情の動きに引きずられてしまう。
 心臓が徐々に鼓動を速めて、胸の中で暴れまわっている。鼓動を打つたび痛いくらいどきどきして、けれど見つめられている理由はやはり分からず、笑顔のままの頬が引き攣る。
「苗字――」
 低く掠れた声で名前を呼ばれると、耳朶が燃えるように熱くなった。髪をおろしていてよかったと思う。千切れそうに赤く熱くなった耳の先を、陀宰くんにだけは見られたくない。
(凝部くんたち、まだ戻ってこないの……?)
 自分が唾を飲み込む音すらやけに大きく耳につき、呼吸が勝手に浅くなる。これ以上は心臓がもたない。陀宰くんから視線をそらそうとした瞬間、薄く開いた陀宰くんのくちびるから、声がこぼれた。
「なぁ、あのさ、」
「……なに?」
「いや、なんていうか……」
 俺、と陀宰くんが続ける。まさにそのとき、陀宰くんの声を遮るように、ポンッ、という軽やかな破裂音が唐突に響いた。
「ひえっ!?」
 気の抜けた音が、張りつめていた緊張に穴をあける。私を見る陀宰くんは、大きく目を見開いていた。彼は私と違って悲鳴こそ上げなかったが、それでも結構な驚きだったに違いない。おそらく驚いた顔をしている私と、間違いなく驚いた顔をしている陀宰くんが、間の抜けた顔を突き合わせ、お互いを見つめ合う。
 キッチンからは、「ちょっ、やばいやばい、待ってケイちゃんタオルタオル」「うわっ、おい瓶を揺らすな傾けるな! こぼれる!」「あははは、ケイちゃん靴下濡れた?」「最悪……」と何とも楽しそうで騒々しい会話が聞えてくる。
 ふと、自分がぎゅっと手のひらを握りしめていたことに気が付く。ゆっくりと指を開くと、手のひらがじっとりと汗で湿っていた。陀宰くんの視線によって支配されていた全身が、はからずも今の漏れ聞こえてきた騒動のおかげで、緊張から解放されたらしい。
 ほどなく、笑顔を貼り付けたままの凝部くんが、キッチンからひょこりと顔を出した。
「ごめーん、シャンメリーなんだけど、こっちで楽しく栓開けちゃった☆ でも楽しいところを独り占めしたケイちゃんを、どうか責めないでやって?」
「栓抜いたのお前だろーが」
 キッチンから獲端くんの抗議が聞こえる。
「あれ、そうだった?」
 凝部くんはわざとらしくすっとぼけた。ぺろりと赤い舌を出してのウィンク付きという、気前の良さ。もとの顔立ちが整っているだけに、ふざけた表情でもやたらと様になっている。
「名前ちゃんとメイちゃんも栓抜きやりたかった?」
「いや全然」「俺はいい」
 ほとんど同時に声を揃えた私と陀宰くんに、凝部くんは不満げに口を尖らせた。
「ちょっとは羨ましがればいいのに。ふたり揃って、してやり甲斐がないってゆーか」
「『してやり甲斐』の意味間違えてないか?」
 陀宰くんの冷静なツッコミに、凝部くんがまたしても「てへ」と笑顔をかました。もしかしたら凝部くんも、クリスマスパーティーに少しだけ浮かれているのかもしれない。普段から浮いたテンションの凝部くんでも浮かれることがあるんだな、と微妙に失礼なことを思う。
 獲端くんに呼ばれ、凝部くんがふたたびキッチンに引っ込む。その隙に、私は疲れた顔で溜息を吐いている陀宰くんを観察した。
 先ほどの痛いくらいに張りつめた緊張は、今やすっかり鳴りを潜めている。私のどきどきも治まって、表面上は私も陀宰くんも、まったくいつもの通りに戻っていた。
「陀宰くん、さっき何か言いかけてなかった?」
 あえて軽い調子で蒸し返せば、陀宰くんは困ったように視線を左右に泳がせる。そして一度ぎゅっとくちびるを引き結ぶと、
「……いや、やっぱ何でもない」
 そう言って、それきり口を閉ざしてしまった。

 不揃いなガラスの皿を四つ載せ、お盆を持った獲端くんと凝部くんが戻ってきたのは、その直後のことだった。
「お待たせしましたー☆」
 自分はちゃっかり手ぶらで戻ってきた凝部くんが、浮かれたように声を掛けてくる。獲端くんがテーブルに置いたお盆を覗き込み、私は思わず感嘆の声をあげた。
「わっ、何これすごい! フルーツポンチ?」
「僕が非常食としてため込んでるフルーツの缶詰があったから」
 ガラスの皿の中にはしゅわしゅわと細かい泡をたてるシャンメリーが注がれ、そこに色鮮やかなみかんや桃、さくらんぼが沈んでいる。てっきりグラスにシャンメリーを注ぐだけだと思っていたら、こんなにも上等にアレンジしてもらえるとは。私だけでなく、陀宰くんも感心したように「すごいな」と呟く。
「別にすごくも何ともねーよ。こんなもん即席だ。大体シャンメリーなんて、普通に飲んでもそこまで美味しいもんでもないだろ」
「その発言はさすがに、買ってきてくれた名前ちゃんに失礼すぎない?」
「いいよいいよ、私もご相伴にあずかることができてありがたいです」
 シャンメリーの味はともかく、普通に飲むよりフルーツポンチにしてもらった方が嬉しいのはたしかだ。獲端くんは満更でもなさげに、いそいそと皿を各自の前に並べる。そんな様子を微笑ましく眺めながら、私もケーキを取り分けた。

 獲端くんにはケーキからフルーツポンチから、何から何までお世話になってしまったので、せめて後片付けくらいは私がさせてもらうことにした。「え? もしかして片付けって僕もやんなきゃいけないの? うっそ、めんどー」という凝部くんをキッチンに押し込み、ふたりで洗い物をする。
 洗い物くらい、本当ならば私ひとりでもよかった。けれど、そうすると陀宰くんが「俺も手伝う」と立候補してきそうな気がしたのだ。
 さっきの出来事があった手前、陀宰くんとふたりで洗い物をするよりは、やる気のない凝部くんとふたりの方がまだしも気楽だった。そもそも私は凝部家のキッチンのことなど何もわからないから、家主に同席してもらった方が気楽でもある。
「て言っても、キッチンの物の配置なんてどこの家でも大体一緒でしょ。名前ちゃんひとりで大丈夫だって。洗い物だってどうせ食洗器使うし」
「でも食洗器に投入するのは人間でしょ」
「ふたりも必要?」
「私が凝部くんと一緒にいたい……っていうのじゃ、だめ?」
「こういうときだけ僕を都合いい男扱いするんだからさー、もー」
 凝部くんは文句を言いながら、キッチンに置かれた簡易椅子に腰をおろした。本当に手伝おうという気はないらしく、私に言われたからここにいるだけという姿勢を崩すつもりはないようだ。
 仕方がないので、私ひとりが黙々と手を動かして片付けする。凝部家にはどうやら手洗い用の洗剤を備えていないらしい。凝部くんに聞くと、使用した食器はいつも予洗いせずに食洗機に突っ込んでいるとのこと。ここは凝部家のやり方に従い、さっと洗い流した皿やカトラリーを、食洗器の中にそのまま並べていくことにした。
 リビングからは、ほとんど物音らしい物音は聞こえてこない。陀宰くんも獲端くんも、そう声を大きくして騒ぐタイプではないからだろう。
 獲端くんはたびたび怒鳴ったりもしているが、それは凝部くんがやたらと獲端くんを煽るからだ。凝部くんが不在なのであれば、落ち着いていて静かな人なのだと思う。
「さっきメイちゃんとふたりで何の話してたの?」
 その凝部くんが、おもむろに言う。特段潜めた声でもないけれど、リビングのふたりが聞き耳でも立てていない限り、向こうまで聞こえはしないだろう。
 水で皿を洗い流しながら、「大した話はしてないよ?」と私は答える。
「強いていうなら、世間話かな」
「そのわりにはメイちゃんの表情が暗いんだけど」
「そうかな。そう言われるとそうかも……?」
 とはいえ陀宰くんは普段から、そこまで表情豊かなタイプでもない。私はいまいちぴんと来ず、首をひねった。
「凝部くんに呼び出されたのが、実は面倒くさかったんじゃないの?」
「いやいや、メイちゃんは面倒くさそうな顔をしながら、結構自分からいそいそやってくるタイプだから。マブダチの僕には分かる」
「ふぅーん」
「拗ねないでよ。僕のがメイちゃんと付き合いが深いからって」
「拗ねてないですけど」
 それを言うならむしろ、ぽっと出でヒヨリちゃんと旧知の仲のような顔をされていることの方が、私にとってはよほど業腹だ。萬城くんが何故、嫌そうにしつつも平然と受け容れているのか、はなはだ理解に苦しむ。
 ヒヨリちゃんとの仲はともかく、私よりも凝部くんの方が陀宰くんと親しくしているというのは、紛れもない事実。そして凝部くんの観察眼は、実際のところ馬鹿にできない精度を持っている。
 凝部くんをして陀宰くんの表情を暗いと評するのならば、多分それは正しいことなのだろう。
「あの時たしか、何か言おうとしてたんだよね……」
 凝部くんと獲端くんが戻ってくる直前の会話を思い出し、私は記憶を遡る。
 他愛のない世間話、雑談をしているうちに、陀宰くんが何か、真剣な表情になって。理由はよく分からないけれど、なんだか意味深な空気になったのだ。ぞわぞわして、落ち着かないような。
「何かって何?」
「分かんない。結局聞かなかったから」
 もしかしたら陀宰くんは、私に何か言いたいことがあったのかもしれない。けれどその言葉を私が聞くことはなかったし、あとから一応尋ねなおしてみても、やっぱり陀宰くんは口を割らなかった。
 過程がどうであれ、陀宰くんが話したくないというのであれば、私も無理に聞き出そうとは思わない。陀宰くんにだって、話したくないことのひとつやふたつくらいあるだろう。
「……もしかして、名前ちゃんのこと思い出したんじゃないの?」
 凝部くんの思い付きを、私は軽く笑い飛ばす。
「いや、それはさすがにないでしょ」
「分かんないよ? なんてったって、クリスマスマジック☆」
「いらない希望は持たないことにしてるので」
「希望ねー」
 思い出されることは、名前ちゃんにとっての希望なんだ? とは――デリカシーのないことこの上ない凝部くんではあるけれど、さすがにそこまでは言わなかった。ただ、彼がそう言いたげなのは浮かべている表情から明らかだ。

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